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「だいだらぼっち」を書き終えて(1)

「だいだらぼっち」の「ぼっち」は、ひとりぼっちの「ぼっち」と同じで法師という言葉が変化したという。
 その「ぼっち」という響きのせいか、「だいだらぼっち」の存在はなんとなくうらぶれた感じがしないでもない。一寸法師の法師も同じ「法師」なのにこちらの方はサイズのわりに元気で、鬼をやっつけたり、お姫様に気に入られたりするのに、「だいだらぼっち」の方はそうした勇ましい話は全くと言っていいほどない。昔から体が小さい人間はそのinferiority complexのために却って体に似合わず勇ましいようである。ひき比べて大きいものはどこか鈍重さを伴っている。
 人間のサイズが大きくなったり小さくなったりと言うのか古今東西そうした話がある。西洋にはタイタンという伝説の巨人がいる。近代になれば「不思議の国のアリス」なんか、薬で大きくなったり小さくなったりするし、少し昔ではあるが「ミクロの決死圏」という話ではもはや血管を潜水艇で通れるくらいに小さくなったりする。こちらは今でいうdrug deliveryを人間が小さくなってやるようなものでなかなか想像力を掻き立ててくれるのだが・・・。「だいだらぼっち」は何をしたのだろうか?
 日本での巨人伝説は「常陸國風土記」の那賀の郡の項に一つ、「播磨國風土記」の託加(たか)の郡の項にもう一つ書かれており、前者は蜃(うむぎ:はまぐり)をたくさん食べて「大櫛の岡」を作ったという大変な食いしん坊である。貝塚から大量に発掘された蛤を昔の人が見て、たいそうな巨人がいたと想像したのかもしれないが、この巨人の足跡は長さ30歩余り(40メートル以上)幅20歩余り(27メートル以上)とだいぶ大きい。(ちなみにおしっこをした穴も27メートルと書かれている)しかし、大きさの割には蛤を食べておしっこをした以上の事は書かれていない。
 後者は南の国からやってきたのだが、背が余りに高いので天井に閊え、屈んで歩いていたのだけどここは天井が高くて屈まずにすむなぁ、と感想を言ったため高い所、たかの郡と呼ばれるようになった、その事績といえば「足跡が沼になった、と地名の由来になった」だけである。
 この巨人伝説が「だいだらぼっち」伝説の嚆矢であり、どうも大した悪さも大活躍もしていない。ちなみに風土記では「だいだらぼっち」という名前さえでてこず「大人(おおびと)」である。
 たいして活躍もしないのに大人伝説は意外に各地に存在し、柳田國男がフォルクローレの一環として研究したことでその存在は人に知られることになった。なったが、土砂を前掛けで運んだとか、歩いた足跡が沼になったとか、そんな漠然とした存在である。
 ねたばれで書いてしまえば、この小説では「だいだらぼっち」を竜巻として描いている。竜巻はきまぐれで、その存在は他の気象に比べれば瞬間的である。だが、一瞬見えるその存在感は巨人の足が土地を蹂躙しているように見えないこともない。実際には蛤を海の中から巻き上げるようなことはないが、魚くらいは巻き上げるし、雨を伴って沼らしきものや「おしっこのあと」くらいは作ったと思わせる破壊力もある。南の国からやってきたのは台風に伴う竜巻の発生とこじつけられないこともない。
 平安初期までは日本は今と同じくらい温暖な気候だったというから「竜巻が結構頻繁に発生した」、かもしれない。竜巻というものは風の癖に突然、「目に見える」ものに変化する。それは古代人にとって驚きのものではなかっただろうか?
 僕が子供の頃は竜巻なんて発生したという話はあまりきかなかったが、この頃は結構発生している。そんなことも「だいだらぼっち」竜巻説(?)を僕の想像力の中に産み出したのかもしれない。

 文字のなかった時代の記憶を文字に認めた「風土記」や「古事記」は口伝で語り継がれてきた物語が文字になって溢れかえる。例えて言えば「出雲國風土記」に「國来國来」と「引き来縫える國」の話があるが、日本と言う国は中国やロシアから引きちぎられた土地が重なり合ってできた国であることを考えると、実際にそれを体験した古の記憶が擬人化を経てそんな物語を作り出したのかもしれない。神功皇后の新羅遠征の様子は大地震と共に発生した津波を現した光景なのかもしれない。
 自然と対峙する人間が、圧倒的な自然の力を体験し、それを口伝で伝えていくうちに物語は熟成していく。その中でも「だいだらぼっち」は余り大した場面に出てこないけれど、ちょっとだけ想像力をかきたててくれる、そんな存在である。

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