• 歴史・時代・伝奇
  • エッセイ・ノンフィクション

「萬という漢」を脱稿して

 日本書紀というのは不思議な書物で、幾人かの書き手がそれぞれパートを分担しているので表現方法や表記も一貫していない。淡々と皇統の行跡を記している部分もあれば、神代の頃のようにかなり大げさな表現と共に不可思議な現象が頻出する部分もある。外交にかなり割いている部分もあれば、貴族・庶民の生活に焦点をあてている部分もある。どのような編纂方針でどんな資料(主に口伝であろうが)を集めてこの書ができあがったのか、これは想像するしかなくて、色々な研究がなされても真の姿は現れないであろう。その現れない姿を虚心坦懐にみつめるのも一つの読み方だと思う。その後の紀(続日本紀、日本後紀)などは、小野篁の項にも書いたが、逆に編集者の性格が色濃く滲み出ていて、比較すると面白いものがある。
 さて、天武天皇の治世、日本書紀と前後して古事記、風土記が表されることになるが、日本の「歴史」と「地理」の最初の書物がこの時代に現出したのは当時の先進国である中国の影響であることは間違いない。(従って、遣唐使が終わり、中国との交流が激減するとともに紀は「続日本後記」で終わり「日本三代実録」という「録」に変わり、それさえなくなって大鏡のような「読み物」へと変遷していく)
 要は、その時代、中国との関係において、「歴史」と「地理」という重要な骨格を有していない「国」は蕃国とみなされ相手にされなかったのであろう。政治的・外交的な理由からその時代に一挙に政体の「骨格」を確立する必要があったのだと思われる。

 捕鳥部萬は「日本書紀」崇峻天皇条に出てくる人物である。実在したかどうかはわからない。日本書紀を読み進めている中で物部守屋の一使用人に過ぎないこの男が歴史書の中に忽然と立ち上がってくる姿は極めて興味深いものだった。文庫本でわずか二ページではあるが、「日本書紀」という歴史書に二ページも貴族でも何でもない男の記録が残っている、というのはある意味すごいことではないだろうか。
 その立ち上がった姿を基に捕鳥部萬を主人公にした小説を書いてみたのが「萬という漢」である。
 古来、日本は外国との接触・軋轢を機に政治、文化を発展させてきた。明治維新において西洋文化との接触が近代日本人の苦悩(ある意味でのinferiority complex)による文化(特に絵画や小説において)の発展、政体・軍事・産業の圧倒的変化をもたらしたのと同じ情景が天武天皇の時代に起きていたのだと考えても不思議ではないだろう。新しい政体・軍事・文化・宗教と共に「古いもの」が退けられていく過程の中にいた人々が間違いなく存在する。。
 その人々の苦悩と死を「物部守屋の資人」である萬が象徴しているのではないだろうか、と思えたのである。
 そうした歴史に翻弄されたのは先に記した明治維新の時も同じであり、キリスト教伝来の時期もやはり同様であったろう。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する