10年目となる3月11日が近づき、世間のニュースは東日本大震災一色とも言っていい今日この頃です。あの日、私自身は東京にいましたが勤務先が高層ビルの最上階近辺だったので、途轍もない揺れに見舞われました。地面というか床が二・三メートル動いたような感覚に襲われ、書庫を必死で支えた記憶があります。
地震からしばらくすると、海を隔てて二か所で火の手が上がるのがはっきりと見えました。余震にも竦みあがるほどの恐怖がありました。震源に近かった方々、とりわけ津波の犠牲となられた方々の恐怖はいかばかりだったでしょう。
あの地震がある前までは、3月の今ごろは東京大空襲関連のニュースが出たものです。3月10日夜半から翌未明まで続いた空襲は、それまでの軍事関連施設中心の空襲と違って、明らかに住宅地を狙ったもので、死者数は結果、10万5千人を超え、負傷者も15万人、罹災者は300万人(3月10日だけで100万人)に上りました。警告の段階からワンステップ上げ、市民への攻撃が始まるのは中東での空襲も同じみたいで、そこは今でも変わっていないのでしょう。
東日本大震災の死者は関連死も含めて2万2千人、それに比べても空襲での死者は5倍近くに上ります。死者の数がどうというわけではないですが、それほど大きな被害のあった東京大空襲が歴史の記憶から薄れてしまうのは残念であります。小説を書くにあたって、当時のフィルムや写真を幾つか見ましたが不鮮明な白黒映像に関わらずその凄惨さは地震にも劣らないものがありました。
桜の季節の一歩手前である、毎年3月10日、11日と1日隔てただけの災害の記憶を私たちは同じ気持ちで思い起こし、頭を垂れることにしたいものです。地震は天災ですが、戦争は人の叡智で避けうるもの、せめてそうした災害は避けたいものです。