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マルドロールの歌、惡の華、そしてスルレアリスム(3)

そのツールとして「マルドロールの歌」は恰好なものであった。
「惡の華」の出版社に依頼し自分の小説を世に出そうと目論んだデュカスであったが、さすがにこの書の発禁は避けられぬと出版社は出版を躊躇った。それはそうであろう。「惡の華」の発禁になった部分の詩は今読めば、どのような理由で発禁になったのか、ならなかった部分と比較しても良くわからない(同性愛は忌避されているようだが)ほど穏やかに見える。それに比べて「マルドロールの歌」は現世的道徳からも宗教的価値観からも遥かに破壊的である。
王政、貴族政、宗教の支配から自由をかちとった中流市民にとっても、その内容は眉を顰めるものであったであろう。しかしスルレアリスムを信奉する芸術家にとっては、そうした中流市民の感覚こそが、いわば芸術の敵であった。

スルレアリスムを個人的に定義するなら、「現実を一旦破壊し、そこからある象徴を拾い上げ、意味を転化し、新たな世界を再構築する試み」だと考える。その意味ではサルバドールダリの「ぐにゃりとした時計」こそ、スルレアリスムを体現している。いわば中流市民の象徴である、「大切で守るべき時間」の象徴である時計をダリは全く別の世界に引きずり込んだ。
往々にして、シュール(スル)だねという言葉は理解できないものに対して使われるが、もちろん理解できないものではいけないのであり、失敗したスルレアリスムは、破壊こそできても世界の再構築に失敗している、ないしは再構築として理解されないものなのであろう。

一度、「マルドロールの歌」を手に取ってごらんになったらいかがだろうか。もしかして、その毒にあたって髪の毛を掻きむしるかもしれない。そして落ちた髪の毛が・・・やがてあなたと会話を始めるかもしれない。それはマルドールの世界の一部である。そしてそこからあなたの周りの現実は変容していくかもしれない。
参考文献:
ロートレアモン著 栗田勇訳 「マルドロールの歌」 角川文庫
ボードレール著 堀口大學訳 「悪の華」      新潮文庫 

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