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マルドロールの歌、惡の華、そしてスルレアリスム(2)

詩集としての「マルドロールの歌」を私は評価しているわけではない。詩人としてはボードレールやランボーの方をずっと評価する。そもそも「マルドロールの歌」を詩として捉える事でさえ、どうか、と思う。むしろ、それは「ツァラトゥストラかく語りき」や、それに先行する「英雄譚」や「聖書」の語り口に近いものがある。この書が意味を持つのは詩としてではないように思う。

しかしこの書がスルレアリスムに多大な影響を与えたのはまぎれもない事実である。アンドレ・ブルトンというあまり論理的ではないがアジテーターとして偉大な能力を持った作家がこの書を忘却の川から発掘して以来、作者の思惑とは別にこの書はスルレアリスムを信奉する人々のテキストブックのようになった。その理由はこの書の持つ豊富なイマジネーションの世界ゆえである。非道徳的であり、破壊的でありつつ、どこか抒情性を失わないこの書はスルレアリスムと極めて相性が良かったのだ。

そもそもスルレアリスムの本質とは何か、と考えた時、まず私たちはスル(sur)という言葉に注目すべきであろう。aでもantiでもexでもない、つまり「非」でも「反」でも「脱」でもない「上」という言葉には、ヘーゲルのアウフヘーベンにつながる上位概念が確実に存在している。

詩でも小説でも絵画でも、あるいは音楽でも、芸術は「現実」にどう対峙するかという最初の課題がある。多くの芸術が現実、自然を尊び、それに寄り添う形で表現されるが、もちろんそれと別の対峙の仕方がある。それは否定的であったり、逃れるものであったり態様はさまざまである。だが、上位にあるものを目指す時、まず現実をいったん破壊することが必要である。そこでは常識や礼節や、優しさ、道徳という概念は一旦破壊されねばならなかったのだろう。

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