• 歴史・時代・伝奇
  • エッセイ・ノンフィクション

マルドロールの歌、惡の華、そしてスルレアリスム(1)

欧州八景の「バルセロナ」、「洋上」の二章を書くにあたって、久しぶりにイジドール・デュカス(筆名・ロートレアモン伯爵)の「マルドロールの歌」を手に取り、序でと言っては何だがボードレールの「惡の華」を読んでみた。
「マルドロールの歌」の第二の歌にアンドロギュノス、所謂両性具有者(エルマフロジット)が描かれており、その一節を小説に引用したからである。
私が両性具有の存在を初めて知ったのはこの「マルドロールの歌」の第二の歌の中であった。衝撃的であった。いわゆるLGBTに属する存在は知っていたが、男性と女性の肉体的特徴を有する存在を知らなかったからである。もっとも第六の歌で、マルドロールはその求める相手が少年であり、エルマフロジットではない、と語ってはいるが。

「マルドロールの歌」は日本でも一時認知されかかったような気がする。しかし今、それを手に取る人がどれだけいるだろう。たしかにこの散文詩は読み手を選ぶ書であることは疑いない。私も最初手に取った時は、その陰惨で呪いの言葉に満ちた文章に辟易した思いがある。

しばしば、この書はアルチュールランボーの詩集と共に、スルレアリスムと関連付けられて論じられるが、もちろん作者であるデュカスはそんなことを意識してはいない。彼はボードレールの詩集の熱心な読者であり、「惡の華」の84詩である「すくいがたいもの」を主体的に具現化したような詩が「マルドロールの歌」である。エドガーアランポーに始まる怪奇趣味はボードレールを通して「マルドロールの歌」で最後に花咲き、そして萎れていったといっても良いかもしれない。アメリカに祖を持つ文学がフランスで花を咲かせたというのはアメリカ嫌い(少なくとも当時は)のフランス人にとって皮肉であろうが、逆にボードレールという人間の度量の広さを感じさせるものである。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する