古事記異伝三話を書き終えました。読んでくださった方々皆さまに感謝申し上げます。
古事記に限らず、日本書紀、風土記には歴史・地誌と共に非常に興味深いエピソードがいくつもあり、想像力を掻き立ててくれます。いずれ、また日本神話に題材を得た小説を書いてみたいと思います。
また平安時代の今昔物語、宇治拾遺物語、堤中納言物語、あるいは大鏡などと言った物語集、説話集にも大変面白い話があり、源氏物語や枕草子だけでない様々な古典が我々の前に遺産として残っています。これらを題材にした小説も別の機会に挑戦してみたいと思います。
さて、古事記異伝においては全ての話に大穴牟遅命(大国主命)を登場させています。五つの名を持つこの神様は高天原から邇邇芸命が降臨してくる前の日本古来の神様であり、降臨してきた神様に、国譲りを行った出雲の神様であることは神話に興味を持っている方は皆ご存じでしょう。
従来、出雲だけではなく九州から越の国にかけた日本海に面した地域は、日本にとって中国、朝鮮、渤海といった国々と海を隔てて面する「表日本」の地域でした。それが、ペリー来航以来、太平洋側が「表日本」になり日本の表裏がひっくり返ってしまったのですが、佐渡、壱岐、隠岐、対馬、長崎に属する様々な島々を渡って当時、さまざまな技術が日本に齎された時代に出雲はその最先端の地の一つだったのでしょう。
その出雲の神たちは、明治維新で日本海沿岸が表から裏へひっくり返る前に、天孫降臨の時に「表舞台から裏舞台へひっくり返る」経験をしたわけですが、その時大穴牟遅命が言った言葉が「僕(やつがれ)は百(もも)足らず八十垧手(やそくまで)に隠りて侍らむ」(僕者於百不足八十垧手隠而侍)という言葉です。