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風土記について 1

 風土記という書は、日本の古代史を語る上でたいへん興味深い書だが、日本書紀や古事記に比べて読者が少ないようである。岩波文庫で日本書紀の最終巻である五巻が22年間で20刷を数えるのに対し風土記は79年間で僅か13刷のみで、休刊している期間が長かったり、書体が旧字体であり読みにくかったりすることを勘案しても随分と読み手が少ない感がある。風土記の大部分が散佚して、きちんと残っているものが五国(常陸、出雲、播磨、豊後、肥前)のみであることも読み手が少ない原因であるのかもしれないが、この書は読みようによっては大変面白い。
 まず、この書が元明天皇の詔によって和銅六年(713年)に各国に命じられた時、命令を受けた側の反応を想像してみてほしい。
おそらくは、「え、なにごと?」とみんな思ったに違いない。というのも和銅六年と言えばようやく古事記が成立した年でまだ日本書紀もできていない時代である。古事記を文にした太安萬侶でさえ、序文で日本語を漢字で書くのは難しいよ、と愚痴っているわけで、地方に出ていた役人にとってそんな命令を受けたら、こりゃどうしたらいいんだと慌てたに違いない。そもそも古事記を始めとした歴史書、地誌などというものは、中国との交流の中で、およそ国と云うもの歴史と地理をきちんと把握していないような国は文化国として成り立たないと言われ(あるいは考えた)てできたものと推察する。よってすべて同時代、天武天皇の頃から企図されたものである。
 そう思いを致すと、その詔(命令)は当時の地方の役人にとっては外国かぶれのトップが言い出した突拍子もない話のように思えたであろう。「文字」じたいが文化の最先端の時代であるわけだから、場合によっては当時の中央政府に助けを求めたこともあるかもしれない。

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