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小野篁について 2

さて、「竹の下の皇」という小説に関してはとある出版社から「篁の人物像は面白いが、歴史の本を読んでいるようだ」と言われたことがあります。実は、この小説を書くにあたって自分として3つの大きな創作をしていまして、それは
1)小野篁を嵯峨天皇の子としたこと
2)高津内親王の子供が蝦夷の血を引いているがゆえに排除されたこと
3)西海謡が残っているような書き方をしたこと
です。2)に関しては高津内親王の母親である坂上又子が蝦夷征伐をした田村麻呂の妹であり、田村麻呂が蝦夷の主である阿弖流為を率いて京に戻った時にその命乞いをしたことを背景にはしているのですが、史実ではありません。
そこに創作をしたゆえにあとの史実は日本後記や続日本後記をかなり読み込んで史実に近い形で書き進めたのです。むしろ「歴史に忠実でない」という批評ならば納得いくものだったのですが・・・。
まあしかしよく考えてみれば、小野篁という人の存在自体それほど認知されているわけでもなく、ましてその周りの人など殆ど知られていませんからね。個人的には東宮を廃された恒貞親王が「(苦いといわれる)苣の花も心素直に見れば美しい」(と言わせたのも創作ではありますが、民がそういう歌を作ったのは事実)と呟くところが好きです。なお、苣というのは今でいうレタスです。その頃の苣は苦い食べ物だったようですが、平安時代にレタスがもうあった、というのは面白いですね。

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