• 歴史・時代・伝奇
  • エッセイ・ノンフィクション

古事記について 2

古事記の序文は臣安萬侶が記している。色々な意味で面白い記載ですが、最後の方に「然れども、上古の時・・・」から初めて苦労話とも言い訳ともとれる記載があるのがなかなか人間的です。
その古事記は日本書紀に比較すると随分と量が少ないので読み易いようにも思えますが、色々な意味でハードルが高い部分があり、これが膾炙に支障となると思えます。
まず単純に、登場人物が多い。トルストイの「戦争と平和」の登場人物は559人でロシア固有の長い名前で混乱は必至ですが、古事記の登場人物は(私がざっと数えただけですから数には自信はないですが)777人はいます。その上、それは人であったり、自然の現象であったり、物であったりするばかりか、途中で「これは人ですからね」と人と神を峻別する記載が登場したりして混乱を助長します。そしてロシアの名前よりもさらに覚えにくい長い漢字の名前が現出し、一方で、その殆どは名前を紹介する一回しか登場しない。最初に登場する三柱の神のうち、一番に書かれている天之御中主神はなんだか絶対に偉い人のように思えるのですが、他の二神(高御産巣日神、神産巣日神)が活躍するのに比べて、ほぼこの紹介で終わり、という不思議なことが起きます。そしてこの神たちのどの神の子孫が物部氏であったり、大伴氏であったりという記述がそこらじゅうに記載されていますので、読み手としては整理がつかない。これは古事記の目的が単一ではないため、複雑な構造を要求されておりその要求を満足するためだと思われます。(続)

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する