古事記異伝の2つめを書き終えたので、少し古事記とその周辺の書物について書いてみたいと思います。
まずその前に私の小説に目を通していただいた方に感謝を申し上げたいと思います。とりわけ悲愴の章についてはアップするたびにすぐ目を通していただいた方、お名前を上げていいのかわからないので匿名とさせていただきますが、には心の励みになりましたので深謝させていただきたいと思います。
さて、古事記にしろ、日本書紀にしろその成立の源流は天武天皇の時代にあり、風土記もあわせて成立したのは西暦700年代の初めとされています。壬申の乱を経て「国」を統一した天皇としては「国」の正統化とその基盤となる制度を様々な形で模索したに違いありません。その一つに国史の編纂というものがあったのだと思います。逆にいえば当時絶大な中国、隋唐の文化や制度を取り入れる中で国の由来がはっきりしないようでは他の国と伍すことはできないとも考えられたのでしょう。
不運というか幸運というか中国と海を隔てていた日本は陸続きの国家と違って中国の目の届かない場所にあったため、独自の神話形態をとることが可能になり、それが日本書紀の神代の記述や古事記のもととなったと思われます。
古事記と日本書紀はその成立がいずれも天武天皇期10年3月の記をベースにしているとされているためその関係について諸説がありますが、その記述は明確に差があります。単純に言えば古事記は古い時代のものに記載の大半が割かれ、時代が下るにつれ記載は短くなる。日本書紀はその逆だという事です(続)