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古事記について 3

古事記の複雑な構造というのは、いったいそこに「何」を記すのか、ということが鍵であったのでしょう。つまり古事記を作成するにあたって、どのような指示が与えられたかということです。記載の方法は明確な編年体ではないですが、歴史を書くにあたって極めて自然な形で時代を下る形で小治田の御世までという指示があったのでしょう。なぜ小治田の御世(推古天皇)までだったのか、という点にも興味はありますがそれはさておいて、記載内容はどのような指示だったのでしょう。
1)まず、皇統と人物を明確にせよ、族の出自を明らかにせよ、という事は明確に存在したと思われます。それが当時の治世の正統性に繋がるものだからです。それにしても稗田阿礼の博覧強記ぶりには驚かされます。
2)ついで、その主要な活動についての「物語」と「歌」を記せ、ということが言われたと思います。古事記における豊富な神話とやまとうたは、そのおかげで伝わったのだと思います。
3)そして、あわせて土地に関する記載、これは活動がどのようにして日本という領域に広がっていったのか、地理的に記せ、及び地名の由来を併せて記載せよ、
ということが明確な指示かどうかは別としてあったのだと思います。「吾が足三重の勾の如くして」という倭建の言葉が三重の由来、というような記載がいくつかあり、これは日本書紀にも風土記にも同じような記載がありますが、地名というものの由来を記すことは重要な事だったのだろうと思われます。
こうして構造を因数分解して2)を主に読むことで古事記は大変読み易いものとなります。もちろんそのほかの部分を軽視するというのではなく、古事記の神話の部分をよりよく理解するための方策として主要な登場人物を1)から抽出し、3)をなるほど、と思いながら2)を楽しむ。複雑な構造の果物のなかにあるもっとも美味しい部分を多くの人が楽しめる方法なのです。(続)

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