• 詩・童話・その他
  • 歴史・時代・伝奇

リア充なるみん

まだ「野総騒乱」の途中ですが、少し前に書いてあった「鳴海夫婦」のデート場面を突っ込んでみました。
元々あまり恋愛ネタは書かないのですが、そもそも「鬼と天狗」は割と殺伐とした場面が多く、書き手としても、たまにこの手の「甘め」の要素が欲しくなるのです(笑)。

何気にこれは二本松の現地取材の要素が強く反映されている話で、龍泉寺は実際に足を運んできました。
行ったのは春&秋ですけれど^^;
尚、途中に出てくる「佐久間織部」様のエピソードは、Xのフォロワー様の投稿で知ったもので、これも夫婦の会話でしっかり使わせていただきました。

逆に、「あ……^^;」と思ったのが、「茶園」の持ち主。
西谷に茶園があったのは確実なのですが、どうも持ち主が「大谷彦十郎家」ではなく、文久期の地図を見た限りでは「成田家」だったようです。
二本松藩の大身(家老クラス)の家では、「茶園」を持っていた家もありました。大谷家は微妙なところですが、まあ「小説」ということで、押し切ってみた次第です。

***

なるみん&りん夫婦についてですが、そもそもこの時代、武士の常識として「男女が連れ添って歩く」こと自体、恥ずかしいと考えられていた時代でもありました。
この論法で行くと、間違っても「恋人同士の甘々なラブシーン」なんて出てこないんですよね^^;

それでも、後で誕生する鳴海の娘の年齢から逆算すると、どうも「天狗党討伐」の前の「夫婦の営み」の結果、娘の誕生につながった気がします。
奇遇ですが、鳴海の弟(衛守)も戊辰戦争のときに同じパターンを踏んでいました。
彼(衛守)は戦死するのですが、妻(アサさん)のお腹の中には子供が残されていたんです。
その末裔は今でもどこかで暮らしていらっしゃると思うのですが、戦に赴く前の、男の人の「生存本能」の結果とでもいうのでしょうか……。

「くそ~、リア充め」と思いつつ、それでも茶化す気にならないのは、やはり生と死の狭間からの結果だからなのかもしれません。

ちなみに写真は、実物の「翔龍桜」。
若くして異郷の地で亡くなった「佐久間織部」を慰めるように、今でも毎年見事な花を咲かせています。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する