• 詩・童話・その他
  • 歴史・時代・伝奇

衛守様と須賀川

唐突に出てきた感のある「衛守様と須賀川」の組み合わせ。
実は、二本松市史9の人物伝には「戊辰戦争の直前まで須賀川に住んでいた」と伝えられてます。

ただし、これも確実な典拠と言えるものはないらしく、一説には「塙」説も。

ですが、私は「塙」説は否定的です。理由は当時塙は幕府の直轄地で、他藩の人間を簡単に住まわせるとは思えないんですよね。
一方須賀川は、「白河藩領」。ただし慶応元年(天狗党騒乱の翌年)の二本松藩の記録に「須賀川在住の給人」(要するに扶持を受けていた)の存在があり、「内藤」「市原」という名字からして、まず間違いなく須賀川の商人(兼検断など郷士クラスの人間)が二本松藩と関係を持っていたことが伺えます。

……で、私の推測になりますが。

二本松藩は、福島県内有数の宿場町である須賀川に、情報収集のための諜報機関のようなものを置いていたのではないかなあ……と。
その責任者の一人が、衛守様だったのではないかと考えています。

後で戊辰戦争のときに、二本松軍が須賀川の町中だけではなく、小作田(ぶっちゃけ、須賀川の中でも郊外の方)などにも駐屯させていたことを考慮すると、ある程度現地の地理事情を把握していたわけで。
(小作田は、石川方面から守山・三春に抜ける街道沿いにあります)
須賀川と二本松は割と近いですが、当時須賀川はあくまでも「白河藩領」だったので、二本松藩が「小作田」に7番組(確か)を駐屯させていたのも、事前に須賀川の事情に通じていた……とすると、説明がつくわけです。

***

まあ、空想といえば空想の域です。
ですが、「鬼と天狗」はあくまでも小説ですしね(^^)
これくらいの遊び心は、許されるのでは……と思っています。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する