今日から(話数は少ないものの)「関東内訌」です。
若干ネタバレになりますが、ここは「関東&幕閣」の内紛について触れています。
そして、第1章でちょろっと出てきた「祐吉君」。彼が登場していたのはちゃんと意味があって、彼が跡を継いだ「結城藩」も、天狗党の騒乱に大きく巻き込まれたからなのです。
ちなみに水野家もいくつかありますが、この結城水野家というのが本家筋らしく、徳川宗家の遠縁に当たります。
あれですね。水野家というと、徳川家康の生母である於大の方の実家です。
家康の頃は、今川へ差し出すはずだった竹千代(家康の幼名)を織田方へ売り飛ばす……なんていうこともやった家ですが、その後はそれなりに厚遇されて幕末に至っています。
どのような縁で結城水野家から二本松丹羽家に「末期養子」の話が行ったのかはわかりませんが、祐吉君が家臣らと上手くいっていなかったのは確かなようで、私は「天狗党勢力」の影響力を嫌ったんじゃないかなあ……と考えています。
二本松藩内部も色々ありますが、基本的には「佐幕」寄りの藩なので、そこで育った祐吉君が「天狗党寄り」の水野主馬や、もろ天狗党の思想の持ち主だった越惣太郎(学館の教授)と上手く行かなかったのは、自然な流れだったでしょう。
結城市史には「幕末に至るまで、お国入りしたのは元治元年の日光祭礼奉行を仰せつかったときにちょっと立ち寄った1度きりだった」とありますが、幕閣として激務だったのに加え、天狗党寄りの空気に包まれていたのでは、そりゃあ近づきたくないだろうなあ……と、少し同情してしまうのです。
そして、この事が幕末のときに家臣団との間で深刻な亀裂を生み、藩主が国元を攻撃するという珍事に結びついていく羽目に。
結城市史では、割と勝知公に対して辛辣な書き方をしていますが、育ちのバックボーンを知れば、無理のなかったことではないでしょうか。