本業の締め切りも無事乗り切ったので、次話「虎落笛」についてのリサーチ中です。
ところで、今更なんですが……。
慶応4年6/16日戊辰戦争真っ最中の折に、平潟に西軍(新政府軍)が上陸します。このとき、不思議だったんですよね。
茨城県のこの辺りは「水戸藩領」だったはずで、恭順した水戸藩に、なぜ西軍が攻め入ったのか……。
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その謎が、「鬼と天狗」の天狗党の動きを追っていて、解明されました。
当時、北茨城市の大部分は水戸藩領だっただろうと思うのですが、この「平潟」は、棚倉藩の飛び地でした。
文久4年1月15日、ここで、天狗党の一味は現地の豪商(菊池半兵衛、天満屋)を脅して難癖をつけ、金200両を出させようとしたようです。
ですが、それに応じなかった菊池氏は、棚倉藩津奉行所へご注進。それを受けて、奉行所では棚倉表に報告すると共に、同月18日の夜、郡奉行・代官の手勢2~30人あまりと同数の足軽らが出張して、取り締まることになっていました。
ですが、肝心の天狗党員らは17日、大津(北茨城市)を発って那珂湊に逃亡。更に、稲吉宿(千代田村、現かすみがうら市)に至ったところで、逮捕されたのです。
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棚倉藩は、奥羽越列藩同盟の一員。だから西軍はここに上陸したのか!
……なんて、今更知ったのでした^^;
棚倉藩の藩史なんて地元史でもほぼ出てこないので、まさか棚倉藩の飛び地があるとは思わなかったんです。
まあ、「直違の紋~」のストーリーには全く影響がないのですけれど。
ひょんなところから歴史の謎が解明されるなあ~なんて、感じた次第です。