3日ほどネットから離れていた間に、「西の変事」を仕上げて、アップしました。
いや、まだ「変事」は終わっていないのですけれどね、文字数が多いのと半端になるので、一端二本松藩が上洛を命じられるまでのところで、区切りました。
ここから京都では激動の時期なのですが、二本松藩の情報は……
・京都警衛のために二本松出発(帰藩は翌年2/20)
・8/28に江戸で長国公登営。
・9月に富津在番交代
・10/3 一行着京。
・10/15 下鴨・鞍馬口の警備を命じられる
くらいしかない^^;
その反面、西の方では
・下関事件(5/10)
・下関戦争(対米・仏)
・家茂帰府(6/16)
・薩英戦争(7月上旬)
・八月十八日の政変
・天誅組の変
・参預会議発足
などがあったわけです。
ですが、二本松藩の記録にはこれらの情報が一切出てこない、不可思議さ。
ちと西国の情勢に無関心すぎませんかね、二本松藩(苦笑)。
第二章は結構「江戸」(もしくは京都)の動きと国元の情報がてんでバラバラに動いている感があり、うまく物語に落とし込むのが難しいなあ……と感じます。
長国公が江戸で家茂公に対面して国政について話し合ったとありますから、江戸藩邸や京都藩邸から定期的に報告はあったのでしょうが……。
そしてもっと厄介なのが、「水戸藩」+「長州藩」など、尊攘の空気が強い藩の動向でしょうか。
根本に「二本松藩(佐幕)と水戸藩系の尊攘志士(守山も含みます)」という対立構造があるため、好むと好まざるとにかかわらず、水戸藩の動向も平行して追っています。
何となく、「色々切れそうになっていた」徳川慶喜の気持ちがわかります^^;
そして、京都の探索役は意外なあの方。
ですが、彼が京都に行ったのはれっきとした史実なので、なるみんとの関係も想像を膨らませながら、活躍してもらおうと思います。
そんなわけで、3日ほどの空白期間に、次の話のプロットも作成していました。
できれば間を切らさずにアップしたいと思いますので、気長にお待ちくださいませ。