何か、日毎にマスコミ側から「SNSで騒ぎが大きくなってしまったのが、芦原先生を追い詰めた」みたいな書き方をされていますが……。
何で、根本を誤魔化すようなことをするんでしょうか。
やはり、根本は「著作権の問題」だと私は思います。
元々原作者は芦原先生で、それに乗っかってきたのが日テレ&脚本家。
原作者・脚本家双方の投稿が出回っているので、私が改めて説明することではないのでしょうが、SNSで表面化したことが問題ではなく、そもそも「原作改変」が度が過ぎたのが、問題ですよね。
そして、絶対にドラマの使用をするに当たって、利用に関する「契約書」が存在するはずです。秘密保持契約(NDA)があるにせよ、ここは契約内容の詳細を含め、明らかにしなければならない部分ではないでしょうか。
noteでは結構詳しく書きましたが、芦原先生が「原作に口を挟む」のは、著作権法上認められている、れっきとした「原作者の権利」なんです。
(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
第二十八条 二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。
ドラマとしての「二次的著作物」である「セクシー田中さん」にも、芦原先生が意見を出せるのは、至極正当な権利でした。
そうでなければ、世の中、「二次著作物」ばかりが溢れかえり、原作者の権利がなくなってしまうではないですか。
SNSで、脚本家の人が自分の不満を露骨に投稿してしまったのも、確かに芦原先生を追い詰めてしまったのでしょう。
ですが、何でその前に「契約解除」まで視野に入れた上で、芦原先生を守れなかったのか。
それが本当に残念でなりません。
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カクヨムでは見かけたことがありませんが、noteでは「二次利用」を巡って、私もガチでバトりました。
(私が原作者)
私の場合は、二次作品は「朗読」でした。
まあ、この朗読者に「DMでのやりとり」をネタにnote上で「可哀想な自分」を演出されたのが、バトルの発端となったのですが……。(これはこれで、プライバシー権侵害であり、問題あり)
ただし、「朗読作品」そのものについては、実は「二次的著作物」ですらあり得ない。
なぜならば、私が書いた作品を「読み上げた」だけであり、たとえその手法に工夫を凝らしていたとしても、自分の思想・考えを表現したものではないので、単なる「コピー扱い」となるからです。
(コピー作品については、著作権は認められません)
これは判例も調べたので、まず間違いなく、朗読作品については「著作物扱いにならない」という自信があります。
https://note.com/k_maru027/n/n34d1b1512e55逆に、「鬼と天狗」のnote用のイラストについては、イラスト原画者である紫乃森様に、「直筆のサイン」を入れてくださるように、お願いしました。
よく見ると、左下の隅に御本人の直筆サインが入っています。
これは、万が一「盗作」騒動が起こった場合に、「直筆サインがあれば、筆跡鑑定に回して、私が使っているファイルが本物であることを証明できる」ようにしたものです。本人直筆の筆跡は、絶対的証拠になりますし。
それくらい、「原作」というのは大切な権利です。
それにしても、「二次的著作物」や「単なるコピー」について「もっともらしい」理由をつけて、自分の作品と言い張るのは、いかがなものでしょうか。
やはり法的視点から考慮した場合、自分の手で作品を生み出すのが一番です。