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難しい尊皇攘夷

ちっともアップする気配がない気もしますが、「鬼と天狗」の次話、「江戸震撼」の続きを昨日書いておりました。

ここでちと小ネタを。
実は今回のお話を持ってきて下さったH様から、「こんなエピソードがあります」と古い新聞記事の写真を提供して頂いたことがあります。
それは、あの強烈だった「脛毛の筆」の三浦権太夫のほっこりエピソード。
いや、ほっこりしたのは私だけかもしれませんが(笑)、彼もちゃんと人の子だったんだなあ……と感じた次第です。
あまりネタバレになってもアレですが、年の離れた弟との兄弟の仲の良さを感じさせて、私の中で少し彼への評価が変わった次第です。

そして、三浦権太夫というと二本松藩を代表する「尊皇攘夷派」として描かれることが多いのですが、もう一人、別の尊皇攘夷思想の持ち主がここで登場。

それは、安部井清介。後で「安部井磐根」の名で福島県を代表する自由民権運動家の一人として知られていますが、実はバリバリの「勤皇党」でした。
その割に、あまり「勤皇思想」家らしい言動が幕末期には見られず、逮捕されたという記録も見つかりません。権太夫は、丹波に目をつけられていたのに(^_^;)
その解釈として、「別の」勤皇の潮流を彼の口から説明させたのが、「江戸震撼」の後半です。

そう、結構複雑なんですよ、「勤皇思想」の真意は。
それがわかると、なぜあれほど水戸藩が割れまくったのかも、見えてくるかもしれません。

もっとも、現在はまだ執筆の途中。肝心要の「尊皇攘夷」を実行に移した5/10の「下関事件」(長州藩がイギリス商船に向かって大砲をぶっ放した)までたどり着けていないので、しばしお待ちくださいませ。

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