今年春~夏にかけて連載していた、「泪橋」。
昨年の松明あかしの折に偶然「三千代姫堂」をみつけて参拝し、そこで「三千代姫を偲ぶ会」の方々から、「三千代姫物語」という子供向けの冊子のコピーを頂いたのが、作品誕生のきっかけでした。
それから1年。
ネットで連載するだけでなく、「やはりきちんと書籍にして地元に残そう」との思いから、「直違の紋~」に続いて、POD形式で出版した次第です。
そして念願かなって、11日、再び「松明あかし」の日に「三千代姫堂」へ参拝し、会の方々に接書をお渡しすることが出来ました。
「三千代姫」の悲話は、どうしても「伊達政宗に滅ぼされた須賀川の悲劇」に比べると、小さく扱われがちです。
ですが、戦国時代の「伊達家による二階堂氏滅亡」だけでなく、「須賀川二階堂氏草創期」の悲話も、私は伝えていくべきだと思うのです。
原作である「藤葉栄衰記」では、結構雑?な扱いの「三千代姫&為氏」。主君を持ち上げる為とはいえ、生前の彼女の姿が伝えられていないのは、残念でなりません。
そんな思いから、「スーパーレディ」に相応しい現代的な姫君としたのが、「泪橋」で描いた三千代姫でした。
さらに、一昨日は初めて「松明あかしの御神火奉受式」の神事も見学。
こちらは、二階堂為氏を祭神として祀っており、須賀川の初冬の風物詩、松明あかしの火はここで御神火隊が受け取り、三千代姫堂のある直ぐ側の「五老山」へと運ばれるのです。
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当時の彼らの真実の姿がどうだったのか、今では知るすべもありません。それでも、作品の前半では彼らの「在りし日々」の日常を、描いてみました。
拙作が、少しでも三千代姫や為氏公への供養になっていたのならば、幸いです。
また、添付の写真は「二階堂神社」の御神火奉受式での一枚です。
この奥に妻を亡くした為氏が祀られており、恐らく二階堂神社の御開帳も、松明あかしのときだけだと思います。
この日だけでも、二人の御霊が再び出会えていたのならばと、願わずにはいられません。