短歌で、俳句で、ことばの新しい顔に出会う。
1,940 作品
今回のコンテストでは非常に多くの力作が寄せられ、とても楽しく選をすることができた。
全体的な傾向としては思いや表現のスタイル、スタンスなどがハッキリとしている作品によく出会った。これはやはり小説投稿サイトという場で普段から言葉での創作を行っている人が多いことが要因だろうか。日常の出来事や胸の内など素直なものから、空想や発想力勝負の技巧的なものまで、テーマや表現力の広さには驚かされた。
連作部門はストーリーの上手さに目を見張った。この人の小説はおもしろそうだなと感じるものも多く、構成力においては通常の短歌公募以上かもしれないと感じた。さらに短歌連作の枠にとらわれない作品もあり、私も表現そのものについて刺激を受けた。
一方で31文字という型を活かせていないと感じる作品も見受けられた。少ない文字数だからこそ、一つの言葉、一つの修飾語、一つの助詞、それらを一歩踏み込んだものに変えることで読み手の心に一首という短刀を深々と突き立てられる。この技術は短詩以外を主戦場としている人にも良い武器となるだろう。読み手の息の根止めていきましょう。
最後にいいなぁと感じたのは楽しんで作っていると感じる作品との出会いだ。他作品のパロディから、ホラーやなろう系などジャンル物のお約束を逆手に取ったものなど。短歌はもっともっといろいろな方向に楽しめる、そう教えられた。
第1回の選考委員・西村麒麟さんが書いたように、俳句経験者と未経験者(普段は小説等の投稿サイトに親しんでいる)とがこれほど混在して応募してくださるコンテストは異例だと思います。そして、その異例さを心から喜びます。
俳句は、未経験者でもすごい作品を発表できる可能性のある、数少ない芸術分野です。ハッというひらめきとともに、選考委員が打ちのめされるような句が誕生することもあります。特に、一句部門ではチャンスがあります。同時に、経験者は経験者ならではの表現の幅で多くのことにチャレンジでき、様々な角度から選考委員を悩ませることができます。
第2回は、まさにそのようなコンテストでした。内容や作風にしても、伝統的なものから、前衛的なもの、実験的なもの、さらにカクヨムならではの異世界・転生ものまで、色々とありました。
一句部門は、恐ろしいほどの狭き門でした。全体から60句を予選で絞り、さらに何とか最終候補作品として25句を選びました。さらに、その25句から、大賞1句、佳作4句を選び、残り20句をカクヨム100選に選びました。つまり、計算上、僅差で割愛した句は最低でも35句あり、あなたの句もその中にあった可能性があります。どんなに表現がぶっ飛んでいて、尖がっていても、読者にハッと思わせる要素と解釈する糸口があれば、積極的に評価しました。
二十句部門については、その大賞作品の選評に述べましたが、ある程度の水準の句をそろえる難しさを感じました。その上、句の配置や全体の構成なども評価の対象になります。結果、完璧に近い作品はなく、大激戦になりました。予選で絞った23篇から、大賞1篇、佳作2篇、最終選考作品5篇(5篇はそのままカクヨム100選へ)の8篇を選びました。残りの予選突破作品15篇は惜しかったので、作品をメンションしました。どれも可能性を感じる作品でした。
第3回のコンテストがあること、そして、皆さんが再度挑戦してくださることを願ってやみません。
短歌の部
二十首連作部門
本をテーマにした一連。翻訳をしているのだろうか、日々本に携わる人のようだ。「半地下の蔵書」や「紫壇の棚」など、大量の本に囲まれた場所を舞台にしている。主体が書物の海を果てしなく泳ぎ続ける歌を軸に、うっすらと「あなた」という他者との関係性が歌われている。決め手となったのは一首一首の完成度の高さである。「蔵書を肺の位置に抱え」たり、西瓜を持ち上げるときに浮き上がる血管を「腕から手へ血管あおく流れおち」と表現したり、弾けるような感情を「やぶりたての紙」の熱さと言ったり、細かな表現やディティールにも意識が行き届いている。全体を通したときの静謐な世界観のまとまりと、一首だけでも通用する屹立さが卓越していた。光と影の陰影の美しい連作である。
一首部門
いちご飴を食べている幼い子どもの歌。パリパリのものではなくて、柔らかい水飴のものだろう。氷の上で売られているやつ。「まつりまつり」とユーモアのあるオノマトペによって粘着性の高いいちご飴を咀嚼している子の様子が浮かんでくる。
一首部門
一月一日の光景ではない。おそらく三日とか四日とか。「パジャマ」のダラダラが許されて、雑煮も珍しくない。起きれば自動的に以前申告した数と同等の餅が母によって用意されている。「餅の数」に注目することでのんびりとした平穏な正月の姿を映し出している。
一首部門
幻想性の高い歌である。地面が鍵盤の星なので歩くたびに音がする。生きていくことは音楽を奏でることなのだ。たのしげな絵本のような光景を思い浮かべるが、もしかしたら音楽家やピアニストの歌なのかもしれない。彼らは歩くことも生きることもまさに音楽そのものである。
一首部門
たぶん弟か妹の目線だろう。親だったら見ている場合ではない。キッチンでおしっこをするなんていう特級の背徳的行為に、覗き見というさらなる背徳的行為が重ね合わせられている。それでいて「1/4」のおしりのかわいらしさが読後に残るのだから見事というほかない。
俳句の部
一句部門
福音とは、よい便り、喜びの知らせのことで、キリスト教における福音のイメージも手伝って、神様がもたらすよい知らせ、という意味合いが強い。作中主体は、福音をずっと待っている。福音が訪れたら、神の国行きが確定するのだ。トマトをどんどん焼いてゆけば、そう、悪魔の実たるトマトを焚刑に処しているのだ。こんなに善い行いをする自分に神様からの福音が訪れないわけがない……あれ、まだ来ない。トマトが悪魔の実と呼ばれていた歴史や、狂信的な人間によって魔女裁判と焚刑が行われていた歴史を背景にしたと思われる秀句。
二十句連作部門
二十句部門は、一句一句の出来は勿論のこと、句の配置や全体のトーンなども評価の対象になる。秀句が数句あっても、駄句が少なくても、面白いテーマでも、それだけでは受賞できない。無論、どの応募作も完璧なものはなく、熾烈な……そう、大激戦だった。悩みに悩み、応募作全篇を何度も読み返すうち、その中で推せる句が一定数揃った本作がふわっと浮上した。〈春眠の空気村いつぱいにある〉〈しやぼんだま少し遠くで割れにけり〉〈てふてふのてふ脱ぎすててゆくごとく〉〈箱庭の中から人を見上げたら〉〈鯛焼とこの新しき街歩む〉といった、日常の中に少しの不思議が混ざる句に惹かれた。本作は、瑕疵も少なくないが、一人の作家性と今後の可能性を感じさせるものがあり、大賞に選んだ。
一句部門
世界には素数マニアが多い。様々な物事に素数を見出しては喜び、見出せないときには悲しむ。素数は無限に存在するので、どんなに多い数でも、素数がどうかを確認する楽しみがある。さて、冬の夜空に出ている星々は、素数ではなかったのだ。寒さもひとしおである。
一句部門
片方では爆弾が落ちて、片方では体がふわりと浮き、下降と上昇にゼロサムのような因果関係がありそうなイメージがある。黒揚羽には死者の魂というイメージもあり、それ自体が空爆のイメージともつながる。しかし、当然ながら、ニュースになっている遠い地での空爆と眼前の黒揚羽との間に何ら関係はない……。あっ、もしかして、夏蝶である黒揚羽のバタフライ効果があったのか。
一句部門
一見地味な句だが、滋味がある。何といっても「緻密に」という措辞がよい。細かい一つ一つの照り返しが、無限に近いほど集まった海が見えてくる。つまり、極小と極大が同時に表現される、言葉のレトリックになっている。そして、それだからこそ、「夏至」という季語が活きてくる。
一句部門
句自体がへんてこりんな言語世界についてなので、この句をへんてこりんだと思った時点で作者の術にかかっている。同時代に書かれた〈夏草に汽罐車の車輪来て止る 山口誓子〉と〈頭の中で白い夏野となつてゐる 高屋窓秋〉の二句が混ざり合わさり、頭の中にある脳の言語野と化した夏野に汽罐車が来て、夏野たる言語野が汽罐車のようになってしまった感覚であろう。なるほど、へんてこりんだ。
第2回カクヨム短歌・俳句コンテスト短歌の部
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東京
羽つき電子ピアノ
春愁少女
第2回カクヨム短歌・俳句コンテスト/二十句部門/淡海の海
ジェノサイドオルガン
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脳裏
第2回短歌・俳句コンテスト【俳句二十句部門】~二本松藩士らに捧ぐ~
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選評
世界に向けられた152センチの銃口である。イヤホンを装着し、世界と対峙している。目の覚めるような光景だ。ワイヤレスイヤホンを付ける様子の「装填」が、結句の「やわらかき銃身」に響き合って作品世界を構成している。ノイズと遮断されて、ひとり音楽に満たされながら外界を見たときのあの万能感に覚えがある人も多いのではないか。この銃身から放たれるのは一発で人を射抜いてしまうような言葉であり歌という弾丸なのだろう。