たまには幽霊と恋に落ちることもある

いのそらん

第1話 たまには幽霊と恋に落ちることもある

「ねね、起きてよーーーー!!!」


 その男は、自分の頭が上下にがくがくと揺らされ、合わせて耳元で大声でわめき散らされた結果、ようやく薄目を開けた。


「うぬっはぁ?」

 言葉にならないうめき声が男の口から洩れる。


「ラダン、起きてよ。もう朝だよ」

 再び男の頭の中で声が響く。


 その声は音声としての声としてではなく、直接男の頭の中に響いていた。これでは、耳をふさごうと何をしようと声からは逃げられない。

 男は、緩慢な動作で、寝返りをうち、ようやくまともな言葉を口にした。


「ノルン・・・ほとんど寝なくていい・・お前に合わせて、毎日毎日こんな朝早くに俺を起こすなよ・・・」

「だって、もう外明るいし、わたし、すっごい情報を仕入れて来たんだよ!」

 ノルンと呼ばれた少女は、ドヤ顔でそう告げる。


「ん?幽霊の集会でか?」

「うんうん」

 ラダンと呼ばれたその男は、ノルンのきんきん声に急かされるように、重たげな体に活をいれると、ベットの上で半身を起こした。


「おはよう。ラダン」

 ノルンは、ラダンの周囲をふわふわプカプカ漂いながら、嬉しそうに言った。


 パンツ姿でベッドにひっくり返っていたラダンと呼ばれたこの男、トレジャーハンターを生業としていた。まだ少年といっても差し支えのないようなあどけなさを残した顔をしていたが、今年でもう齢26歳を数えていた。

 黒髪に、黒い瞳、トレジャーハンターとしてはあんまり誉められたものではないとは思うが、小太りで、背は小さかった。身体が小さいことや、ぽっちゃりとした体系がラダンの年を若く見せている原因なのかもしれない。

 

そして、このふわふわプカプカ浮いてる非常識な存在、ノルンは、享年何歳か不明、性別は女、そして一般的に幽霊と呼ばれる存在だった。


 ノルンと呼ばれた少女の幽霊は、普段はどことなく異国の雰囲気の漂うチュニックに身を包んでいた。胸元が大きく開いており、左右の肩口からの袖はゆったりと手首まで広がっている。丈はひざより少し下といったところ。そして、ノルンはいつも靴は履いていなかった。

 ただ、時々違う服を身にまとっていることもあるところを見ると、服は案外自由自在なのかもしれない。


 髪は金髪、瞳は青。あくまでも自称ではあったが、この辺りの幽霊にしては珍しい容貌だそうだ。

 顔つきは、こちらははっきりと少女と言っても差し支えなかった。目鼻立ちはとても端性だが、美人というよりは『可愛い』と評判になりそうな、そんな容貌の持ち主である。

 特に、吸い込まれそうなスカイブルーの瞳は美しかった。ただこれは、あくまでもラダン以外の生きている人間がノルンを見ることができたとしての話ではあるが・・・。


 ノルンは、毎朝、日の出と共にラダンをたたき起こすことに使命感を燃やしているらしく、朝のこのやり取りは、ほとんど毎日繰り返されていた。


 陽が昇る時間は正直季節によって違う。今は夏である。ぶっちゃけラダンも結構むちゃな時間に起こされてはいるのだ。

 そして、そんな時間に、毎朝この問答が繰り返されれば、安宿の周囲の住人も黙ってはいない。今日も隣りの住人からは、


「朝から、その独り言やめてくれないかね。こっちまで気がおかしくなるよ」

 そんな苦情が飛び込んでくるのも当然のことであった。


----独り言?


 そう、幽霊ノルンは、なぜかラダンにだけ姿が見えて、そしてその言葉もラダンにしか聞こえないのだ。

 他の幽霊がどうなのかラダンは知らなかったが、ノルンの怪しげな説明によると、波長があった特定の人にしか幽霊は見えないし、声も聞こえないのだと言う。


 そんなラダンが毎日の生活をしているのは、小さな港街「アクトバート」の町外れの廃屋宿屋で、この宿屋の住人は常に固定で3人だけ。


 1人は、いつもガミガミうるさいお隣さんでもある初老の婦人、もう1名はこの宿屋の主人。そして最後の1人が言わずと知れた、ラダンである。

 もともとボロボロで廃屋と呼ぶにふさわしい宿屋で、新しい客が訪れる事もなく、6部屋あるうちの3部屋はほとんど朽ちていた。もし宿を求めて人が訪ねて来たとしても、とても泊まれるような状態ではなかった。

『いつかは大冒険家』と、大きな事を言っているラダンではあったが、現実は超ウルトラスーパー貧乏のトレジャーハンタ ー(幽霊のおまけ付)である。

 タダ同然の宿賃のこの廃屋が、今のラダンにとっては最高最適のねぐらであるのだ。


 ノルンのきんきん声でようやく起き上がったものの、座った姿勢のまま再び船をこぎ始めたラダンに、ノルンがまとわりつく。


 柔らかな感触となんとなく漂う香りは心地よかったが、それと同時にラダンは、全身に悪寒と寒気を感じ、一気に目が醒めるのだった。これもいつもの恒例行事である。

 女の子に、それもとびきり可愛い女の子に抱きつかれて嫌な男はいないはずだが、そこはノルンは幽霊。ノルンが肌に触れると、人間であれば、一気にゾクゾクやらヒヤヒヤやら寒気を感じてしまうのだ。

 熱い夏には最適ではあるのだが、寝ぼけ眼にこのぞぞぞぞぞ・・・感は、やはり衝撃は大きい。


「ぐはっ!」

 ラダンは、思わず叫び声をあげた。


「うるさい!!」

 となりの婦人が、壁をどんどん叩きながら再び罵声をあげる。

 ラダンがノルンを睨みつけると、ノルンはチロッと舌をだして頭を掻くのだった。


 ラダンは、部屋にロープで吊ってあった洗濯したてのシャツを無造作に着ると、殺風景な部屋の唯一家具、食卓の前に座った。

 ノルンは、ラダンが食卓につくやいなや、部屋の四隅の山積みされている缶詰の山から桃缶を1つ手に取り自分の胸の谷間に押し込んだ。

 生暖かい感触に耐えているのか、あるいは行為そのものがそうさせるのかはわからないが、ノルはこの時はいつも目を細めてはにかみ笑いを見せる。

 ラダンもそんなノルンを見て、いつもように視線を逸らして目を瞑るのだった。そしてノルンは、胸に挟んだまま桃缶を3回転させ、嬉しそうにそれをラダンに差し出すのだ。

 桃缶はラダンの常食で、ノルンの胸で冷やしたそれは、ちょうど食べごろに冷えていて最高なのだ。

 ラダンは、プルトップの蓋を引っ張って、フォークも使わずにそのまま桃を口に流し込む。


「ぷはーっ!ノルン肌の桃は最高だよな。」

 これが、毎朝、ラダンが目覚めてから初めてノルン見せる笑顔になるのだ。


 心の底から沸き出てきた笑顔はとても自然で、ノルンはこの笑顔が大好きだった。が、その笑顔の口元からのぞく前歯が2本欠けているのを見て、いつもノルンは寂しそうにうつむくのだ。

 2人は、お金ができたら、『まずラダンに差し歯を入れよう』と、よく話をしているのだったが、現実問題、今の稼ぎではとてもとてもそれは無理な相談といえた。


 そんな訳で、ラダンとノルンの当面の目的は、ラダンの差し歯の代金を稼ぐことであるのだ。


「で、今回はどんな話なんだ?」

 ラダンが話を切り出す。


「えっとね。仲間の幽霊がね。アラキア渓谷側の貴族の別荘跡で、隠し地下室を見つけたって!」

 ノルンは、得意げにあごを指で撫で、ラダンに情報を伝える。


「そんな近場に宝があるのかよ?」

 ラダンは、話を聞くなり怪訝そうな表情を隠さず、ノルンに聞き返す。


「でも、仲間が言うには中は手付かずぽかったって・・・」

 両手を顔の前でわさわさ振りながら話すノルン。


「いつの話だ?」

 ラダンも冒険者の端くれ。情報確認は慎重である。


「うーん。春先に幽霊達の親睦旅行で立ち寄った時って言ってたから、3ヶ月ぐらい前かな?」

「どうしてそんなところに親睦旅行で立ち寄るんだよ・・・。まあいいけどな。だけど案外新しい情報だな」


 思ったより時間が経っていないことに、少しだけラダンが意外そうな顔で言う。ただ、親睦旅行の部分に関しては、その言葉に続く沈黙がラダンの心情を如実に語ってはいたが。

 

「うん」

 ノルンは頷いて、ちょっとだけ眉を寄せた。


「でもなー」

 今度はラダンも眉を寄せ、額に手をあてて、何かを思い出すかのように唸る。


「何よ?」

 ノルンが、わざとラダンの視線を避けるように背後に回る。


「思い出してみろよ。去年その親睦会ネタの廃墟を調べに行って散々な目にあったよな・・・・」

「うーん・・・」

 共通の嫌な記憶らしい。ノルンも過去の記憶を絞りだすように目を閉じる。


 そもそも、ノルンには生前の記憶がなかった。

 ラダンとノルンの出会いは、3年前に、ラダンがトレジャーハントのための事前調査で立ち寄った遺跡でのことである。幽霊としてのノルンを、たまたま視界に捕らえることができたラダンが、ノルンに同情して色々話を聞いてあげたのだ。そしてラダンがノルンの話を聞いているうちに、急にノルンが『ラダンに付いていくことを心に決めてしまった』と、いうのが始まりであった。

 ラダンとしては餌をあげた猫に懐かれてしまい、そのまま無理矢理ついて、いや憑いて?きてしまったというような出来事ではあったが、むげに追い返すこともできなかった。

 そして、そのまま押しかけ女房よろしく同居を始め、現在に至っていた。


 ノルンの名前の由来は、出会った遺跡が女神ノルンに関係するものだったことから、ラダンが適当に決めたものであったが、自分の名前さえ覚えていなかったノルンが気に入ってしまったので、そのまま採用となったのだ。それ以降、記憶の無い幽霊の名前は『ノルン』となった。


 うだつのあがらないトレージャーハンターであるラダンにとっては、食べない、飲まない、見えないという、生活費がまったくかからないノルンは負担ではなかったからだ。

 それどころか、時々幽霊仲間から、未発掘の宝の情報を仕入れてきてくれるのだ。ノルンがラダンにとって、奇妙だか重要な相棒となるのにそれほど時間も掛からなかった。

 どうやって幽霊が宝の情報仕入れるのかついては、ラダンはよく分からなかったが、ノルンによると、


--------------幽霊の中にはとても長い時間を生きている個体もいて、未発掘の宝の情報を知っていることは、そう珍しくない。それに、相手は幽霊である。扉や入口がなくても、どんなところにも入ることが出来る。万が一罠があろうと一度死んでいる幽霊にはなんのその。そんな理由で幽霊は時々思わぬ未発掘遺跡などに出会うことがあるのだ


と、いうことだった。


2人とも嫌な記憶を思い出し、その場に一気に広がった沈黙。その凍り付いた空気を振り払うように、ラダンが話を切り出す。


「思い出したか?あれは本当にひどい目にあったよなー。ソウルイーターが待ち構えてて、宝がないだけじゃなく、お前・・・もう1一度死にかけてたよな・・・」

 ノルンも、その時のことを思い出し苦笑いを浮かべる。


 ソウルイーターとは名前の通り『魂食い』、つまり生きている者であれ、死んでいる者であれ、対象の魂を食らう悪霊のことである。そして幽霊は魂のみの存在である。つまり、ソウルイーターはまさに天敵なのだ。

ノルンの苦笑いを、ラダンは横目でチラリと確認し、


「やっぱり、冒険者協会から情報を買ったほうがいいよなー」

 そう言いながら、椅子にもたれかかって天井をぼんやりと眺め、吐き出すようにため息をついた。


 ノルンはラダンの頭に上に腹ばいになって乗っかると、上からラダンの顔を覗き込むように体をくの字に曲げる。


「そのお金があればいいんだけどねぇー」

 ノルンはラダンの顔に『ふっー』と息を吹きかけた。

 ラダンの周りに一瞬冷気が漂って、額を伝っていた汗がすーっと引いた。そして、そのままノルンは、何も言わずにふわふわと、再び部屋を漂う。

 ラダンは、ノルンを目の端で追いながら、


「そうだよな」

 と、力なく微笑んだ。

 

 お金がない。結局、今回も情報は買えないのだ。


 ラダンとノルンは、その幽霊の情報を信じ、連れ立って出かけるしか選択肢は残っていない。野望は差し歯、もとい大冒険家である。そのためには、まず先立つものが必要なのだ。

 幸い、今回のお宝情報が寄せられたアラキア渓谷は、ここアクトバートからはそう遠くはない。中間に小さな村が1つあり、その村で宿を取れば歩いてもおおよそ2日といったところだ。

 2人は、善は急げと早々に旅支度を終えると、そのまま出立することにしたのだった。


 地図で目的地を確認し、2人は颯爽と部屋を後にしようとしたのだが、部屋を出た途端、この廃屋の3人目の住人、大家が


「今度こそ家賃たのむよ。」

 扉の奥から、ボソッと呟くのが2人の耳に入る。

 その声を聞くと、幽霊であるノルンですら寒気を感じたのか、ゾクッとしてのけぞる。そんなノルンの様子を見て、ラダンが声をあげて笑った。


 今回は情報がそれほど古くないこともあって、2人は期待をしながら、道中を進んでいく。本来、馬を借りたり、乗合いの馬車に乗れば、大幅に時間を短縮できるのだが、2人の経済事情はアレである。財布と相談をして徒歩で目的地を目指しているのだ。

 それでも、途中の村で安宿を1人分の宿代で借りることにしたのは、もうすぐ大金が入るかもしれないという皮算用が、2人を大胆にしていたのかもしれない。


 翌朝、久しぶりに小奇麗な部屋でぐっすりと寝た2人?1人?は、足早に貴族の別荘宅の跡地に向かったのだった。

 ここでもラダンの寝起きは悪く、いつものようにノルンが起こしたことは、言うまでもない。


 目的地に到着した2人は、一通り、罠などの危険がないことを確認し、敷地内に足を踏みいれる。

 豪勢だったであろう屋敷に見合った、だだっぴろい敷地内は雑草が生い茂り、荒れ放題といった感じで、話どおりに少なくとも最近人が立ち入った様子は感じられない。それでも屋敷内部は既に物色された後で、めぼしいものは何一つ残ってはいなかった。


 この屋敷に地下室があるという情報を知らずにここを訪れた者がいたとすれば、この屋敷内をみて、これ以上の捜索はせずまずあきらめてここを後にするに違いない。それは同じトレジャーハンター家業のラダンには容易に推測できた。

 そしてこのことは、地下室の存在を知っているラダン達にはきわめて好都合な状況でもある。

 地下室が手付かずであり、地下室といえばお宝、つまり金目のものが残ってる可能性が高いからだ。否応なしに2人の期待が膨らむ。

 ノルンは興奮したせいか、ほんのりと体が発光していた。


 情報通りに地下室への入口を見つけた2人は、ランタンに火をつけ、地下へ進む階段を下っていく。

 珍しく、2人とも無言のまま足を運んでいた。お宝の期待がそうさせたのかもしれない。そして角を曲がること2回、なだらかな階段を抜けると、ようやく2人は広い空間にでたのだ。

 そして2人は、そこにある光景をみて、愕然とした。


 なんと、地下室であるはずの隠し部屋に光が差し込んでいたのだ。


 よくよく調べてみると、この夏の大雨で、屋敷の崖側の土砂がすっかり崩れ落ちてしまい、地下室が半分ほど谷の隙間から覗いてしまっていたのだ。


 当然のことながら、中の宝など、とっくに根こそぎ持っていかれてしまっていた。


 2人は呆然として、それから激しい怒りを感じはしたものの、しばらくすると諦めて帰路についたのであった。もちろん2人とも無言のままだった。


 たしかにトレジャーハンターが実際に宝を見つけることができる確率はそんなに高いものではない。2人ともプロのトレジャーハンターである以上、お宝にありつけないことなど何度もあったし、くよくよしていられないことは良くわかっていた。

 ようは、今回の情報には期待をしただけに、脱力感が多少大きかったというだけである。愚痴が自然と沸いてくるが、言ってみても宝は手に入らない。結局ぼやきながらでも帰路につくしかないのだ。

ただし、一点、行きの行程と違うのは、帰り道での宿泊は野宿だったことであった。


 2人は辺りが暗くなると、行きに宿をとった村から少しはずれた大きな樫の木の下で暖をとることにした。ラダンは、毛布を地面の上に広げると、大きく大の字に横たわる。

 そうしてラダンは、ふわふわと、自分の上を彷徨っているノルンをぼんやりと眺めていた。


 とっぷりと夜も暮れると、ラダンはこれまで何度となく尋ねた問いを、小声で呟いた。屋敷を後にしてから、愚痴と相槌を別にすれば初めてのまともな会話である。


「ノルンは、自分が生きていた時に、どんな名前で、どんな生活をしていたのか、本当に気にならないのか?」

 ノルンは、ラダンがこの質問をすると、いつも一瞬だけ困った表情を浮かべ、ラダンの目を覗き込む。そして微笑んで、いつも同じように答えるのだ。


「1人だった時は、気になったけど。今は、あんまり気にならない。」

「・・・。」

 そして、ノルンは、ラダンの髪に手櫛を通しながら、更にこう言うのだ。


「知りたい気もするけど、知るのが恐いと思う時もある。今、わたし結構幸せだし。なんか、それを知るとこの生活が消えてしまいそうで。」

「そうか・・・」

 ラダンは、今回もそれ以上は何も言えなかった。


 実は、ラダンがノルンと出会って間もない頃、ノルンには内緒で遺跡の周辺の村や町でノルンのことを調べてみた時期があったのだ。


 ノルンは初めて出会った時から、とても特徴的な服を着ていた。胸の大きく開いたチュニックである。そんな特徴的な出で立ちであれば、この付近では嫌でも目立つ。ラダンは、そんな服装の女の子がこの辺で、事故にあって死んだり、行方不明になったことがないかという話を聞いてまわったのだ。

 そして、ようやく、遺跡の周囲の町ではなく、そこから少し離れたところにある隣町で、50年程前に旅の商人の娘が野党にさらわれ、なぶられた挙句、殺されてしまったことがあった、という話を突きとめたのだった。


 話をしてくれた老婆は、古い話だったためか、容姿までは覚えていなかったが、老婆が語ったその娘の年の頃と異国情緒の漂った服装は、たしかにノルンのそれと似ていた。


 この話の少女が本当にノルンかどうかの真偽は、当然、ラダンにはわからなかった。しかし、その娘の親である旅の商人は、遺体が遺跡でみつかった時には、既に簡単な葬式を済ませてから町を去った後であり、連絡すらつかなかったそうだ。

 この話を知った当時は、遺体が無縁墓地に埋葬されたという話を聞き、ラダンは、『それが本当にノルンだったら』と想像をして、無性に腹がたったものだった。その時の憤りは、今でも鮮烈に思い出すことができる程だ。

 ラダンが、昔話を巡らせながら、木の根元に横たわって星空を見上げると、一筋の汗が額から頬に伝う。


 ノルンは軽く微笑むと、何も言わずに手を頭の後ろに滑らせ、すすっとラダンの横に身体を滑り込ませた。

 その瞬間、ラダンの全身はひやっとした冷気に包まれる。ラダンは、指の腹で額の汗を拭うと、そのまま、やはり何も言わずにノルンを抱きしめる。

 ノルンは、ラダンの腕のぬくもりを感じると、力を抜いて身体をラダンに任せた。ラダンはノルンの美しい瞳に自分が映っているいるのに気づき目を逸らしたが、代わりにもう一度強く抱きしめた。

 ノルンは、抱きしめられた時だけ、ほんのりと温かかった。


 翌朝、2人は連れ立って、我らが廃屋に足を向けたのだった。その2人顔は、晴れ晴れとしていて、とびきりの笑顔が浮かんでいた。

 そして、ラダンとノルンがが去ったその木の幹の根元には、かすかに読める程度の大きさの文字で、2人の名前が刻まれていたのだった。

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