第一章『静寂に潜む毒針』

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午後の陽光が窓から差し込む科学室で、実験用のカエルたちが無機質な容器の中で静かに時を待っていた。生物の授業では解剖実習が予定されており、教室には緊張と期待が入り混じった空気が流れている。


「それでは、各自カエルの解剖をし、その成分から毒薬を抽出してください」


教師の声と共に、生徒たちは恐る恐る容器に手を伸ばした。その時だった。


「きゃー!カエルが逃げたわ!」


女子生徒の甲高い悲鳴が科学室に響き渡った。一匹のカエルが容器から飛び出し、実験台の上を軽やかに跳ね回っている。教室は一瞬でざわめきに包まれ、生徒たちは椅子の上に飛び乗ったり、机の向こう側に避難したりと大騒ぎになった。


「あ、ちょっと待って」


そんな混乱の中、一人の青年が静かに立ち上がった。スコットだった。彼は慌てることなく、近くにあった空の籠を手に取ると中にカエルの餌である虫を一匹入れる。 すると、彼が集中して力を込めると、虫から魅力的な香りが強く発せられて科学室に漂い始めた。


周りはその香りに思わず鼻をひくつかせる。


どこか花のようで……でも自然な花の香りとは少し違う。人工的というか、濃縮されたような香りが科学室を満たした。



逃げ回っていたカエルが突然動きを止める。鼻をひくひくと動かしながら、香りの元を探すように首を振る。そして、まるで魅せられたように、スコットが用意した空の籠へと跳んで入っていった。


「うわ、やば!すご…!」


周囲から感嘆の声が上がった。スコットは籠に蓋をすると、少し困ったような表情で頭を掻いた。


「さすがスコット…生徒会書記なだけあるね」


人だかりの中から、一人の女子生徒が近づいてきた。ベルだった。彼女は控えめながらも嬉しそうな笑顔を浮かべている。


「いやいや、そんなことないよ…」


スコットは頬を赤らめながら手をひらひらと振った。


「僕なんてただ物の香りを強くするしかできないから、簡単にカエルを捕まえられただけだよ」


「でも、とっても役に立ったじゃない」


ベルは苦笑を浮かべた。入るのが難しいと言われている生徒会に選ばれたにもかかわらず、なぜ彼はいつも謙遜するのか、彼女にはわからなかった。

そんな彼女の視線に気づいて、スコットも苦笑を返す。


「本当に大したことないんだよ…上には上がいるしね」


そう言って彼は教室の向こう側を見やった。


スコットの視線の先では、また別の人だかりができていた。その中心にいたのは一人の美しい少女だった。

背中まで流れる絹のような白い髪を優雅にまとめ、澄み切った青空をそのまま切り取ったような瞳は、目の前の作業に一点集中している。


彼女の手元では、解剖されたカエルから抽出された成分が、まるで宝石のように美しいフラスコの中で踊っていた。

レイシーの指先が優雅にピペットを操る。一滴、二滴と慎重に液体を加えていく様は、まさに芸術品を創り上げる職人のようだった。そして最後の一滴が加えられた瞬間——

フラスコの中身が鮮やかな紅色に変化した。


「おおお…!」


周囲から驚嘆の声が漏れる。まるで薔薇の花びらを溶かし込んだような、美しい赤い液体がフラスコの中で静かに輝いていた。


「素晴らしい、レイシーさん!完璧な毒の調合ですね」


担当教師も思わず賞賛の声を上げた。レイシーと呼ばれた少女は恥じらうように白い頬をほんのりと桃色に染める。


「ありがとうございます。復学してからまだ日が浅いので、ついていけるか心配だったのですが…」


「そんなことありません。今まで休学していたのが信じられないほどの優秀さですよ。これからも頑張ってくださいね」


彼女の声は鈴を転がすように美しく響いた。慎ましやかな笑みが口元に浮かび、まるで花弁が静かにほどけるように、柔らかく口元を綻ばせる姿に、周囲の生徒たちは頬を染めて見惚れていた。その美しさは、まさに『白薔薇』の称号に相応しいものだった。


その時だった。


——ドン!


科学室の奥から爆発音が響いた。レイシーを称賛していたクラスメイトたちは一斉に音の方向へ視線を向ける。煙がもくもくと立ち上り、教室に異臭が漂い始めた。


「ゲホッ、ゲホッ…!」


煙の中から大きな咳き込む声が聞こえてくる。やがて煙が晴れると、そこには黒い褐色の肌をさらに真っ黒に煤けさせた青年の姿があった。


「あー…」


彼は爆発したフラスコの残骸を見つめながら、心底げんなりとした表情を浮かべている。フラスコの中身は真っ黒なスライム状のものに変化しており、見るからに危険な代物だった。


「毒としてはある意味成功な気がするが…」


彼は無表情にそう呟いた。どうやってこの実験結果を処理するか考えを巡らせていると、ゆっくりと足音が近づいてくる。振り返ると、青筋を立てながらも笑顔を浮かべた教師が立っていた。


「ノエルくん…」


その笑顔の裏に隠された怒りを察知したノエルの顔から、わずかながら表情が消えた。無表情ながらも、確実に萎縮している様子が見て取れる。


「ち、違うんです…教科書の通りにやってたら急に…」


「実験室の使用規則について、もう一度お話ししましょうか」


「はい、すみません」


教師の声は優しげだったが、その奥には雷が潜んでいるようだった。ノエルは観念したように肩を落とし、説教を受ける準備を始めた。


* * *


教師に正座させられて説教を受けるノエルに、周りから嘲笑が漏れる。


「…あの子また失敗してる」


「混血児だから、実験も苦手なのかな? かわいそう」


クスクスと笑い声が静かに科学室を満たす。


けど、その中でレイシーだけは彼を笑わずにじっと彼を見据えていた。

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白薔薇と混血の白騎士 がらご @cocorofactory

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