後編
「少しいいかしら。私はAE843412BM。貴方の記番号を教えてくださらない?」
そこは大きな銀行に据え付けられたATMの中でした。私はいつものように、装置の中で一緒になった五万円札たちに記番号を尋ねていました。
「おや。ボクもAE843412BMというんだよ。同じだね」
待ち焦がれたそれは、私と瓜二つでした。私と全く同じ大きさで、全く同じデザインの札が、異なる口調で悪びれもせずに返事をしたのです。ハッとして、私は相手の記番号を確認します。暗闇の中、相手の肩の所に私と全く同じ記番号がキラキラと夜空の星のように輝いていました。私は興奮と怒りに身が震えました。
「やっと見つけましたっ。この偽物!」
私は偽札を叱りつけました。私に腕があったら、掴みかかっていたかもしれません。周囲の五万円札たちが、何事かと私たちに驚きの視線を向けます。
「まあまあ、そう怒るなって。落ち着きなよ」
けれど、偽札は私の怒りをさらりと受け流します。そして、ケンカをする子供をたしなめるような口調で私に語りかけました。
「ボクと同じ記番号の五万円札が、ボクのことを探しているって噂は聞いていたよ。キミがそうだったんだね」
「その通りです。見つけたからにはタダでは置きませんっ。この偽札!」
私は胸を張って凄んでみせます。再び響き渡った偽札という言葉に、周囲の五万円札たちの間にざわめきが広がっていきました。
「ボクが偽物だって言いたいんだろう。分かっているよ。でも、考えてみてくれないか。本物か偽物かって、そんなに大事なことなのかな」
「な、何を言うのです。当たり前でしょう」
思いがけない主張に、私は虚を突かれました。この偽札は、一体、何を言っているのでしょう。まさか偽札には、貨幣の常識が通じないのでしょうか。
「だって、ボクもキミも、同じ紙幣として作られたんじゃないか。材料も同じ、大きさも重さも同じ、印刷されている図案も全く同じ。ご自慢のチップの中の情報まで同じなんだよ。全く同じ存在なのに、一方だけが本物だって言えるのは何故なの? 同じ物なのに価値に違うなんて、おかしな話じゃないか」
「……ふざけないで! 貴方は偽札です! 価値なんてない、犯罪の産物です!」
問われて、一瞬考えてしまいました。けれど、私は浮かんでしまった不安を打ち消すように、いっそう声を張り上げます。出会って改めて分かりましたが、確かに相手は、繊細な印刷のすみずみまで私そのものでした。つまり品質は本物と同等。プロの鑑定士でも区別が難しいかもしれません。
「そうかい。でもそもそも、贋の通貨だから無価値と考えるのは、いささか早計というものだよ。歴史を紐解けば、贋金だって天下の通用銭として堂々と流通していた時代だってあるんだぜ。質の落ちる私鋳銭は、本物の四分の一の価値として見なして商いを行うべし、なんてお触れを時の権力者が出したりしてね。それを思えば、本物と同等のクオリティで作られた偽物なら、それは本物と同じ価値があると考えたって不都合はないんじゃないかな?」
「それは昔の話です。今の世に当てはめて良い理論ではありません」
私は国家公認の通貨として、誇りをもって宣言しました。自分の言っている事には自信があります。私は間違っていません。けれど、静かに反論する偽札を目の前にしていると、何故か先ほどのような勢いのある大声は出せませんでした。
「そうは言うけどね。ボクたちを作った人間は、生まれ持ったもので価値に優劣をつけることを『差別』と呼んで忌避しているんだぜ。人間として生まれた以上、それ以外の要素、例えば親の職業や生まれた場所は本質的な価値には影響しないってね。キミだって知っているだろう」
「詭弁です。私たちは通貨なのですから、価値は生まれながらに決まっています。正しく認められて生まれたからこそ価値があり、正式ではない場所で作られた通貨に価値なんてありません」
周りにいる仲間は、私たちの議論の推移を固唾をのんで見守っています。私は背中に冷たいものが流れていくのを感じました。私たち通貨には記憶力があり、そして何より魂があります。現金とは、人間の強烈な感情に曝され続ける宿命を持った物質。魂が宿らない方が、むしろ不自然というものでしょう。さらに言うなら、社会を渡り歩く中で、その時代の人間の考え方を否応なしに魂に刻み込んでいくという特性だって持っているのです。
私は偽札の主張を、言葉でこそ否定しました。しかし、その内容は私の魂を確かに揺さぶったのです。荒唐無稽なのに、一理ある。通貨である以上、偽物でも良いはずなんてないのに。そんなこと、絶対にあってはいけないなのに。
「そうかい。でも、キミもきっと、ここに来るまでに色んな人の手を渡り歩いて、大勢の人を支えてきたんじゃないかな。金は天下の回り物。ボクらが回ることで、人の営みは動いている。これこそがボクたち通貨の存在価値なんじゃないのかな? そう考えたら、ボクもキミも、価値は同じだと思わないか?」
「何を、馬鹿なことを……」
喉を出る言葉がかすれて消えていきました。踏みしめた地面が揺らぎます。私は、偽札を糾弾したら、それで全てが終わると考えていました。存在が露見した時点で、偽札は恐れ入って退散するとさえどこかで期待していました。それなのに私は今、偽札を相手に二の句を継げなくなっています。偽札の存在は許しがたい。それなのに、今、私の目の前にいる相手の言う事には、奇妙な自信と説得力が備わっていました。
私の魂が、過去の記憶を呼び起こします。私は人の虚栄を支えたことも、日常の一コマに関わったことも、人の暗部に関わったことさえもあります。人間が創るダイナミックなドラマの陰には、常に私の存在がありました。私は自問します。私は、人間の社会活動を支えることに確かな喜びを覚えていました。もしかすると、そう感じることは通貨としての本能で、それこそが私の生まれた意味だったのでしょうか? そうであるなら、目の前の偽札にも本当に同じだけの価値が?
「ねえ、貴方……」
私は、偽札に問いかけます。何を問うべきのか、それを考える前に言葉を発していました。偽札の目は美しく澄んでいます。すべての五万円札は全く同じに作られているはずなのに、その目は今まで私が見たどんなものよりも濁りがありませんでした。偽物か本物か。市井の人が気にしているそんなことは実は些細な問題なのだと言わんばかりの、超然とした精神を宿した目。一体、この偽札はどんな道筋を辿って、今ここに在るのでしょうか。私は、偽札に強く惹きつけられ始めている自分に気が付きました。
その時でした。突然、私の問を遮るかのように、営業時間中のはずのATMを探るガチャガチャという無粋な音が響き渡りました。
「えっと、さっき入金された五万円札ですよね……」
何事かと私たちが戸惑ううちに、天井が開いて強い光が差し込みました。闇を裂く光の筋が、私と偽札とをまっすぐに照らします。見上げると、ATMをのぞき込む行員が二人。私たち五万円札は、まとめて取り出されました。
「警告が出たんですよね。同じ番号の札が二枚あるって」
行員たちは、何かの間違いだよなあ、などと囁きながら、私たちの記番号の確認を始めました。AE843412BMだよな、という声を聞き、私は思わず偽札の方に目を向けます。偽札は清らかな瞳のまま、表情一つ変えていませんでした。ほどなく、行員は札束の中から私と偽札とを見つけ出します。二人の行員はそろって私たちの事を穴が開くほど見つめ、やがてワナワナと震えだすと跳ねるように奥へ駆けていきました。
「大変です! 同じ記番号の五万円札が二枚あるんです。これ、片方は偽札ですよね!」
銀行中が大騒ぎになりました。行員が代わる代わる私たちを見にやって来ます。皆、私と偽札とを重ねたり透かしたりして見比べましたが、誰も違いを見分けることが出来ませんでした。正確にはただ一つ、私にはホッチキスの針でつけられた穴が空いているという違いはありましたが、それは真贋の判断には寄与しません。
「警察に連絡を……」
「まあ、ちょっと待って。私に心当たりがあるから」
通報しようとした若手を、騒ぎを聞きつけてやって来た年かさの行員が落ち着いた声で遮ります。そのベテラン行員は、どこか奇妙な、面白いものを見つけたとでも言いたげな笑みを浮かべていました。
○
二枚合わせて三十万円。つまり、額面の三倍の値段。それが、私と偽札のセットにつけられた価格でした。いえ、偽札という表現は正しくありませんね。あの後、私たちはどこかの施設に連れていかれて、いくつもの機械を使ってくまなく丹念に調べつくされました。その結果、どちらも本物だという結論に達したのです。
偽物と思われたあの札は、実は本物のエラー紙幣だったのでした。より正確に言えば、私とあの札とは、どちらも本物で、かつ、どちらも同じ記番号をつけられてしまったエラー紙幣だということです。スマート紙幣だからこそ見つかった、新しいタイプのエラー紙幣。いくつもの偶然により厳しい検査を全てすり抜けて流通してしまった、運命に愛されたとでも表現するしかない存在。私たちにつけられた解説文は、そのように告げています。
「悪かったわ。価値のない、犯罪者の産物だなんて言って」
「いいさ。ボクはボクであって、本物も偽物もないんだからさ」
詫びる私に、もう一枚の私は憮然と言葉を返します。
「それにしても、こんなことになるなんて、思ってもいませんでした」
私は、私たちを封じ込めたアクリルケースを眺めてため息をつきました。私たちは世にも珍しいエラー紙幣のセットとして、コレクター向けアイテムになってしまいました。紙幣として再び社会に出ていくことなど、夢のまた夢。天下の回り物を名乗ることは、もはや許されないでしょう。
「不良品であるボクたちの方が、まっとうな紙幣よりも珍重されるなんて、おかしな話ですねえ」
「まったく、その通りです。人間の考える市場価値というものは、私には訳が分かりません」
私はぼやいて、自分の体の端を眺めました。そこには、ホッチキスで留められた時の小さな穴が二つ並んでいます。これは、私が流通する生きた紙幣であったときにつけられた大切な傷。けれど、これが無ければ、コレクター的にはセットで百万円という値段がついてもおかしくなかったのだそうです。つまりこの小さな穴二つはマイナス七十万円、ということになるのでしょうか。五万円の価値がある私に空いた、マイナス七十万円の価値がある大切な穴。
「なんだか私、価値、とか、本物、という言葉の意味が分からなくなりました」
「ボクもですよ」
もう一人の私も同意しました。そして、ふうと一つ息をついてから、まあでもそれは、と続けます。
「これから一緒に考えていきましょうか」
「これから一緒に考えていきましょう」
互いの声がピタリと重なります。そのことがなんだか可笑しくて、私たちはもう一度声を合わせてハハハと小さく笑いました。
こうして私たちは、珍しいコレクターアイテムとして生まれ変わりました。これから、今まで知らなかった世界を共に見て回り、魂に新しい経験を共に刻んでいくことになるのでしょう。これから始まるであろう私たちの長い長いパートナー生活は、こうして意外と和やかなスタートを切ったのでした。
【始】
【短編SF】スマート五万円札 山本倫木 @rindai2222
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