【短編SF】スマート五万円札
山本倫木
前編
私は五万円札。ご承知の通り、現在我が国で流通している最高額の紙幣です。正式名称は『日本銀行券(五万円)』、または単に『五万円券』。一般的には、五万円札と呼ばれています。
記番号、と言ってもピンと来ない方もいらっしゃるかもしれませんが、私たち紙幣の左上と右下に印字されているホログラム加工された番号はAE843412BM。この番号は、私がこの世に唯一無二の存在であることを証明しています。
キャッシュレスが当たり前の世の中になって久しいですが、ご存じですか? 意外にも、現金という存在はしぶとく生き残るのですよ。最早、技術的には私たち物理通貨を無くすことは難しくはないはずなのですが、人間というものは、物々交換で経済活動を営んでいたころから本質的には変わっていません。手で触れられるモノにこそ安心感を覚える、という特性をどこかで保ち続けています。ですから、私を手にした人間は、五万円分の安心感を本能的に覚えることになるでしょう。
とにかく、1958年の一万円券発行以来ですから、実に百年以上ぶりに作られた新たな高額紙幣、『五万円札』。それが私たちです。
その間、異常なインフレもあるにはありましたが、物価というものは健全な資本主義経済の結果としても上がっていくという性質がありますからね。今や東京都の最低時給は四千円を超え、最早一万円札では現実の経済規模に対して力不足。私たちは経済界を中心とした社会からの熱望に応え、登場しました。いわば、大衆の待ち望んだヒーロー・ヒロインなのです。
五万円札は、記念通貨を除く、広く一般に流通する通貨として最高額のものです。ゆえに、関係者は国家の威信をかけて綿密に設計を行い、新技術を惜しげもなく投入しました。
素材には、この国の紙幣として初めて特殊ポリマーを採用。しっとりとした滑らかな手触りの形状記憶素材で、長く財布に入れても新品同様のハリを保ち続ける優れものです。札の顔に選定された偉人、この国を代表する風景。国を象徴する私たちの意匠は、高度な技術で超精密かつ美しく印刷されます。
しかし、私たち五万円札を最も特徴づける新技術は、そんな表面的なものではありません。真に着目すべきは、埋め込まれている個体識別チップです。世界初のスマート紙幣である私たちは、このチップを専用の装置で読み取ることで、どこでいつ使われたかの記録をサーバー上に残すことが出来ます。
この機能は、高額紙幣の宿命、偽造への対策に非常に有効です。どんなに良く出来た偽札であっても、チップが無かったり、あるいは存在しない記番号であったりあればすぐに分かる訳ですからね。『天網恢恢疎にして漏らさず』と言いますが、これをテクノロジーが実現した訳です。
こうして、私は史上最も完成された、生まれながらの完璧で最高の紙幣としてこの世に生を受けたのでした。
〇
流通を開始して以来、私はこの国の経済活動を支え、人を支えました。そこには様々な形の人間ドラマがあり、その陰の立役者になれることは、私にひそかな喜びを与えました。
ある時、私は銀座の寿司屋で使われました。キャッシュレス決済に慣れていた店員は、久しぶりの現金である私を見てちょっと目を丸くしましたね。
「釣りは要らんよ。旨かったよ、ごちそうさん」
私を含む五万円札数枚を財布から出しながら、大きく腹の出た紳士は満足げに目を細めました。どうでしょうか。こういうセリフには、電子決済よりも私の方が似合うと思いませんか。
別の機会には、私は会社の新人教育に一役買うことになりました。その日が初勤務だった学生アルバイトは、書類整理を任されることになりました。関係する書類をひとまとめにしてね、と教わった彼は、ハイと素直に頷きます。若い彼は何かの書類を取り出し、それを付随する関連書類に重ねて机にとんとんと落としました。そうして整えた書類の束に、私たち現金の入った封筒を重ねると、机に置いてあったホッチキスを手に取って、迷うことなく針を落とします。
バチン
小気味よい金属音が響き渡り、隣に居た先輩社員が驚いて振り向きました。ちょっと、キミ、と咎める声が飛びましたが、当の学生バイトは何が悪いのか分からずぽかんとしていましたね。
「いや、言っていなくて悪かったよ。現金が入っているから、留めるにはこのクリップを使ってくれ」
当惑するアルバイトの顔を見て、社員は伝え方が悪かったと悟ったようです。クリップの箱を手渡され、アルバイトの青年の顔は青ざめます。ごめんなさい、と詫びる彼に、社員は「初めてだもん、分からないよね」と笑ってみせてから、ホッチキスの針を丁寧に外しました。幸い急所を外れていましたから、私のチップは無事でした。しかし、傷跡と思い出は死ぬまで消えることはないでしょう。
またある時は、私はどこかの薄暗い路地裏で闇取引に使われてしまいました。頭髪をくすんだ金色に染めた顔色の悪い女は、私と引き換えに謎の錠剤を受け取ります。取引相手の男の小汚い札入れに入れられるとき、私は思わず叫びました。
「やめなさいっ。私をそんな汚い取引に使わないでっ」
しかし、私の魂の叫びは人間に届きません。互いに目当てのモノを手に入れて、女たちはそそくさと解散してしまいました。現金取引の負の側面。足が付きにくく、後ろ暗い用途にも最適。私自身にチップがあったところで、リーダーのない場面での取引は記録に残せません。私は人間の経済活動の暗部をも、この魂に焼き付けました。
〇
転機が訪れたのは、ある晴れた四月の事でした。私はその時、銀行に居ました。
「知っている方も多いと思いますが、五万円札には、他の紙幣とは異なる特徴があります。内蔵チップによって、使用履歴をサーバーに記録出来るんですね」
入行したばかりの新人に向かって、先輩行員が五万円札の説明をしています。先輩は私を手に取ると、傍らのATMにセットしました。私は機械に取り込まれると同時にスキャンされます。
「こうして、専用の読み取り機をもった装置を通すことで、その札がいつどこで使われたのかを登録できます。そのデータは、こっちの端末でリアルタイムで確認できます」
行員は端末を操作しました。新人たちは、メモを取りながら熱心な顔で話を聞いています。
「この五万円札、記番号AE843412BMの使用履歴を確認すると、最終使用は1分以内で、場所はこの銀行になっていますね。さっきATMを通したデータが、きちんと反映されています。その前は中央卸売市場、その前は新宿のデパート。様々な場所を巡って、ここに来ていることが分かります」
懐かしい、どこの地名も覚えがあります。私を使って取引をするとき、人間は様々な表情を見せます。互いが満足そうな顔をしている時は、私も嬉しくなります。取引をした一方だけが笑い、もう一方が苦い顔をしている時は、悲しくなります。私が関わる経済活動の模様は様々でしたが、どれも大切な思い出です。
「先輩。でも、それはこのお札が使われた取引の全てではないのですよね」
「いい質問ですね。確かにその通りで、この記録は専用のリーダーを通さないとつけることが出来ません。リーダー付きのレジスターの普及率は未だ10%にも届いていませんから、実際の商取引の大半は登録されていないでしょう」
理知的な顔をした新人の質問に、先輩はもっともらしい顔で答えます。確かにそのとおりで、専用装置の導入にはそれなりのコストがかかりますから、普及には時間もかかることでしょう。
「でも、追える情報を追うだけでも、面白いですよ。『金は天下の回り物』ということを実感できます。ほら、このお札は東京付近をぐるぐるしていると思ったら、半年前に一度静岡で使われていますね。ですが、その後再び東京に戻って来ています。経済が動いていることを、地図の上でも実感できるのではないでしょうか」
その言葉を聞いた瞬間、私の思考回路がざわざわと乱れました。
静岡ですって? 私はそんな所に行ったことなどないのです。何かの聞き間違い? いえ、私の聴覚は常に正しいはず。なら、行員の言い間違い? それにしては、あまりに自然な言い方でした。
「そのチップは、偽造されることってないんですか?」
別の新人が手を挙げます。先輩は、少しだけ宙を見て考えました。
「そうですね。昔、同じ質問を国立印刷局の人に聞いてみたんだけど、難しいだろうという回答でした。理論上は可能だけれど、コスト的に見合わないそうです」
分かりました、と新人は頷きます。
そうか、偽造です。私は気が付きました。私が行ったことの無い場所で、私の取引の記録がある。つまりそれは、私の偽物がそこで使われたことを意味します。大変です。私は魂が震えました。この国のどこかに、私の偽物が存在しているのです。コストが見合わないという話もありましたが、現実に、歴然とした証拠が残っているのです。贋金造りは、許しがたい大罪。人間はまだ気が付いていませんが、これは何としてでも見つけ出さなければいけません。
それからというもの、私は仲間の五万円札に会うたびに記番号を確認する習慣がつきました。
「ちょっといいかしら。私はAE843412BM。貴方の記番号を教えてくださらない?」
「なんだよ、急に。俺はBC128634AC。記番号がどうかしたのか?」
「実は……」
私は質問と同時に、私の偽物が存在する可能性を説いて回りました。私たち通貨にとって、偽物の存在はアイデンティティに関わる一大事です。誰もが私の話を真面目に聞き、一緒になって怒ってくれました。これは、大変誇らしいことです。互いが唯一無二の存在であることこそが、私たち通貨の価値であり、誇りなのです。その共通認識を確認できたことが、私の背中を強く押してくれました。
そしてある日、ついに私は求め続けた存在に出逢いました。
(後半へ続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます