映画視聴後の一幕 10共通カウントの余韻

 映画が終わったので、没入型映画専用のヘッドセットを取るようにメッセージが流れる。


 あまりの内容に呆然としていた彼は、そのメッセージで我に返り、ヘッドセットを取った。


 しかし取ったところで、すぐに立ち上がる気力もない。ぼんやりと手元にある、今となっては時代遅れの道具を見つめる。


 まばらに鑑賞していた周囲の人々も、同じような状態だった。


 と、隣から人の気配がする。


 映画が始まるまで、確かに無人だった隣の席にいつの間にか誰かがいた。


 いつからそこにと思った彼は、横を向く。そして、鎮座していた人物に絶句した。


「……LS-1-α」


 掠れたように呟いた彼に、LS-1-αは悪戯が成功したと言わんばかりに笑っている。


「よう、百年ぶりだな。アクシス-9」


 彼女の声掛けに、彼——アクシス-9は苦々しく告げた。


「……無銭鑑賞は犯罪だ」


 出会いの場としては意外すぎるにも関わらず、その驚きを置いて行われた律儀な指摘に、今度はLS-1-αが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「……ちゃんと金は払ってるよ。カリオス-X3経由で」


 LS-1-αから出された名前が意外すぎて、アクシス-9は狼狽えた。


「博士が」


「最後の字幕にも書いてあっただろ。この映画の権利は、カリオス-X3が持ってるからな」


 そこまで話して、ふと何かに気付いたLS-1-αは説明を付け足す。


「この時代遅れな設備を持った映画館も、カリオス-X3の援助があって成り立ってんだ。でなきゃ、没入型映画なんて今時は見れやしない」


「……知らなかった」


 アクシス-9にとっては、流行りからは外れたとはいえ、つい最近生まれたばかりの技術だと思っていた。が、もう絶滅寸前なものだと知り、困惑する。


 その超長命種らしい感想に、LS-1-αは揶揄を多分に含めて言い返した。


「知ろうともしなかっただけだろ」


 尊大な彼女の態度に、アクシス-9はムッとする。そのまま立ち去ろうとした彼を、今度はLS-1-αが制した。


「なぜ止める。お前は俺が嫌いだっただろう」


「ああ、そうだな」


 刺々しいアクシス-9の言い分をしっかりと肯定するLS-1-α。しかし彼女はゆっくりと事情を説明した。


「けど、この星じゃあ、上映後10共通カウントは席を立たず、余韻に浸るのが映画への敬意を示す」


 ふい、と周囲を見渡すように顎で指し示される。


 しぶしぶと彼女の言う通りに、アクシス-9が周囲へと注意を向ければ、確かにそれぞれが席に座り、先ほど見た映画へと思いを馳せていた。


「お前も思うものがあるなら、10共通カウント分の話は聞くぜ」


 LS-1-αは、確実にアクシス-9を挑発していた。


 していたが、それにムキになって席を立つのもアクシス-9としては、ザリク・トゥリナへの申し訳なさを感じる。


 彼は結局諦めたのか、力を抜いて深く座り込んだ。


「……ここに慣れているんだな」


「場数を踏めば誰だって覚えるさ。ほら、時間はどんどん過ぎる。お前にとっては無限かもしれないが、余韻にひたる限られた時間はそうそう手に入らない」


 疲れ切った声色で言い返したアクシス-9だが、逆にLS-1-αは妙に元気だ。


 あまりにもらしくない元生体兵器の態度に、アクシス-9は眉間に皺を寄せて問いかける。


「なぜ、そこまで俺に話かける」


「そりゃあ、初見の感想が聞きたいから。しかも、あの愚弟が考えた、お前への精一杯の贈り物だしな」


 彼女が愚弟と呼ぶのは一人だけだ。


 その相手に関してだけは、アクシス-9も無視ができない。

 彼はしばし口を開いては閉じるを繰り返し、ようやく目の前にいる人物にしか訊けないことに考えが及んだ。


「……ユウはいつから、活動限界に気がついていた」


 識別名ではない名をアクシス-9は使う。


「百年以上前。だからザリクの取材にも応じた」


 それをLS-1-αは気にせず、質問に答える。


「どうして、俺にそれを伝えなかった」


「お前以外は気づいていただけだよ。だから、気づいていないお前のために、百年の任務が渡された」


「最初から、俺だけが知らされていなかったのか」


「お前だけが理解していなかっただけだ。オレたちは兵器で、既に第ゼロ世代も活動停止していただろ。ゼロの次は一だ」


「だが」


 絶え間なく会話が続く。


 が、LS-1-αはうんざりした表情でアクシス-9の質問を止めた。


「あのな。そんなくだらない質問のために、貴重な10共通カウントを使うなよ」


——お前は映画を見て、どう思ったんだ?


 LS-1-αの忠告にも似た問いかけに、アクシス-9は言い淀む。


 今度こそ彼は左右に目を揺らしながら、自らの感情を探し、それを形にする努力をした。


「ユウを見て……懐かしいと思った」


「……」


「あいつが素のままに、喋って、笑って、悲しんで……そういう映像は、もうどこにもなかったから」


 アクシス-9は震える声とともに、その苦痛に歪んだ顔を自らの両手で隠した。


 ひっ、ひっ、と彼がさらに続けようとした言葉は途切れる。


「……オレたちは機密の塊だしな」


 個人の記録なんてどこにもあるはずがないだろう、とLS-1-αは無情な相槌を打つ。


 慰めるつもりは、彼女には毛頭ないようだ。


 その変わらない態度そこが、逆にアクシス-9を安堵させる。


 未だ顔を上げられない彼は、勢いで全て思うがままに吐露し始めた。


「手を伸ばしそうになった。最期のときに、行くなと思った。そんな笑うようなことじゃなかったのに、あんな馬鹿な真似をするようなやつじゃなかったのに」


「……」


「この映画の監督が羨ましいと思った。戦時記録じゃない、あるがままのあいつを撮したのは、もうこの映画しかない」


 怒涛のように流れ落ちる激情は、アクシス-9をより小さく、幼くさせた。


 背中を丸めさせ、こぼれ落ちる光の涙さえ拭うことなく、アクシス-9は後悔と切望を入り混じらせる。


 顔を覆った指の隙間から、彼の宝石のような目が映画館の天井へと向けられる。


 そこには無資質な天井以外、何もない。かつては煌びやかな照明などが、あったのかもしれない痕跡だけが存在する。


 百年前に消滅した次元破壊兵器LS-1-βは、この映画以外では、星や世界を破壊した記録しか残されていない。


 そこにあったはずのユウの葛藤も、苦悩も、日常の安らぎや、笑えるような冗談も、痕跡さえ残されていない。


 アクシス-9にとっては、瞬きのような時間しか過ぎていないはずなのに、何も残っていなかったのである。


「初めて、お前の気持ちがわかった」


 百年前のアクシス-9だったら絶対に抱けなかったであろう、LS-1-αへの共感。


「……そうか」


 その言葉を聞いたLS-1-αは、アクシス-9と同じく天井を眺めた。


 そこには何もない。かつてあった時代を象徴する何かはなく、無機質なものに塗り替えられている。


「お前たちは、俺たちの100年を瞬きの間と揶揄するが、その瞬きの間に消えてしまったものに焦がれる気持ちまでは理解してない」


 再び、口を開いたアクシス-9の言葉に、LS-1-αは一瞬顔を顰める。しかし一瞬だけで、その後はやれやれと首を振り、指摘した。


「現に、お前は今の今まで知らなかっただろう」


「そうだ。知らなかった、こんな感情。こんな虚無感なんか、知ろうとも思わなかった」


 今までのアクシス-9ならば甘受しなかっただろう。


 そもそも、考えにも及ばないものだったはずだ。


 それを彼は素直に、素直すぎるくらいに受け入れる。


 あまりの順行ぶりに、LS-1-αは内心で愚直だと思ったほどだった。


 その愚かしさに、彼女はつい試すような言動をする。


「だが、お前は知った」


 知ってしまったんだ、という意味でLS-1-αから渡された言葉に、アクシス-9は項垂れる。


「ああ、これから、きっとずっと忘れらないんだ。俺の記憶にずっと刻まれる。これからの生全てに、あいつがいた記憶が根付く」


 超長命種ゼノンであるアクシス-9の言葉に、LS-1-αは思うところがあったのか。拳を自らの顎の下にし、肘を座席に置いて顔を支える姿勢を取った。


 だが、彼女の苛立ちを抑える無言に気付かないまま、アクシス-9の嘆きは続く。


「これから、俺は何年あいつを待たせるんだろう。本当に出会えるんだろうか」


「さぁな、オレには死後の世界があるかも分からん」


「お前も知らないのか」


 アクシス-9の放心した表情と共に口から出た言葉。


 それに対しLS-1-αはうんざりとした雰囲気で、短く鼻で笑った。


「オレは今となっては、別次元の情報体だからな。あいつらが行った死後の世界には、もう二度と向かえないんだよ」


 幼子相手に説明をするように丁寧に、しかし相手が十万年を超えた超長命種である点では雑に。と言わんばかりの、ややぞんざいな態度でLS-1-αは説明する。


 しかし、あまりにも夢がないとLS-1-αは思ったのか。


「でも、お前はもしかしたら行けるかもしれないから、その時に確かめればいいだろ」


 彼女にしては珍しく慰めも付け加える。だが、その慰めもアクシス-9にはあまり効果がなかったようだった。


「あと何十万年先になるんだ」


「分かるわけないだろ。カリオス-X3ですら、オレたちより数倍生きてるけど、現役じゃないか」


「……初めて長いと思った」


 虚な目をして、自らが持つ長い時間の意味を理解するアクシス-9。


「どうせあっという間だ。たった百年ぽっちの瞬きを繰り返せば、すぐだろう」


 対しLS-1-αは、無限にも近い時間への、元地球人類種としての意見を告げる。


 かつてはLS-1-αもアクシス-9を置いていく立場だったのに、今は彼女が置いていかれる身だ。


 しかし、数十万年もの付き合いになるのが確定した現在では、アクシス-9にとって彼女は得難い存在でもある。


「……トオル」


 識別ではない、個体名をアクシス-9は呼ぶ。


「オレ、お前に名前を呼ばれるの嫌い」


「ユウの話を、時々でいいから、してほしい」


「無視かよ」


 トオルが口元を不快に歪めて言い返すが、アクシス-9はそれを承知の上で縋り付くような視線を向ける。


 キラキラと煌めく目から流れる涙を拭いもせず、彼はトオルの手を握った。


 その仕草にザリクを思い出したトオルは「ああ、もう」と言って、手を振り払えずにいた。


「映画の余韻に浸るくらいの時間程度にしてくれ。どうせ、この映画は定期的に上映される」


 ぶっきらぼうに告げた彼女の妥協案。


 ぱっと目を輝かせたアクシス-9。


 周囲からみれば、きっと飼い犬に絆された飼い主に近いものを感じられたはずだ。


「……あともう1つ。今度は、お前の感想を聞かせてほしい」


「オレの? オレは話すことなんかないね」


「だが、エルゥカの映像はここでしか」


「そうだよ、だから話すことはない。オレは、あの子の姿を見るだけでいい、あの子の楽しそうな話し声を聞いているだけでいい」


 そこまで話して、トオルは自らの手の中にある機械を見つめる。


「それだけで、オレは忘れない」


 彼女が浮かべる表情は満足げなものだった。


「忘れないって、そんなの」


 当たり前だろう、と言わんばかりのアクシス-9の表情に、トオルは彼の顔へとゆっくりと視線を向け、優しく告げる。


「お前も五千年くらい経ったら、意味がわかるよ。……まぁ、その様子だともしかしたら、もっと遅いのかもしれないけど」


 どういう意味なのか問い詰めようとするアクシス-9。だが、トオルは微笑むだけで答えるつもりはないようだ。


 やがて彼女は座席から立ち上がる。


 同じように周囲の人々が、一人、また一人と席を離れ始めた。どうやら10共通カウントが過ぎたらしい。


「行くぞ」


 トオルに促されたアクシス-9もまた、立ち上がる。


 古びた上映室を一瞥した彼は、没入型映画の肝とも呼べるヘッドセットを大切に抱えて、部屋を後にした。


 二人ともが出口付近に立っていた映画館のスタッフに機械を渡す。


 受け取ったスタッフも慣れたもので、ヘッドセットを適度な間隔でチェック係と思わしき別スタッフに渡していた。


 その光景を横目にしながらも、アクシス-9はトオルの後をついていく。


 通り過ぎる際に、スタッフ同士の会話が共通語でないのに気がついた彼は、ふと気付いたことがあったのでトオルに尋ねてみた。


「そういえば、この映画の原題も、あの子の言葉も、お前は意味がわかったのか?」


 高次元情報体になる前から、彼女の能力の高さだけは知っていたアクシス-9だからこそ、何度もこの映画を観ているらしいトオルが解析できたのか気になる。


 だが、トオルは投げやりに「さぁな」と返した。


「意外だな。お前のことだから、もう殆ど解析しているのかと」


「こればっかりはしょうがない。いつかどこかで、オレが彼らの言語そのものを理解できる日が来るのを祈るしかない」


 そう言って、彼女は肩を竦める。


 トオルの態度は、きっと普通の人ならば当たり前のものなのだろう。しかし、アクシス-9は不審に思った。


 思ったが、少しだけ成長した彼は指摘しないという選択をする。


「なるほど。いつか……な」


 含みを持たせた彼の返事に、これまたトオルは少し含みを持たせた同じ言葉を繰り返す。


「そう、いつか」


 悪戯っ子のように笑う彼女の表情が、エルゥカ少年と重なることにアクシス-9は気付いた。が、わざわざ伝えることでもないと思った彼は、元次元破壊兵器相手に、大して面白みのない返答をした。




「……今回ばかりはお前の言い分を信じてやるよ」

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ドキュメンタリー映画「我が故郷を救った英雄へ愛を込めて」注意:原題は共通語翻訳が難しいため改めて別題が付けられています 今村 悟史 @satoshi_04

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