場面14 瞬きにも満たない時間

 エンドロールも終わった暗闇の中、唐突に共通語が現れた。


 そこに記されていたのは、




——公用歴で五十年が経過した




 という時間経過のみ。


 何が始まるのだろうかと身構えた矢先に、カリオス-X3が現れる。


 暗闇の中で突如現れた光の賢者は、宝石のように美しい目を鋭角に尖らせていた。


「この映画は、上映後実にさまざまな議論の的となった」


 不機嫌さを隠しもしない声色で、カリオス-X3は話し始める。


「星間連盟内部のパワーバランス、超長命種による生態系への介入、LSシリーズという兵器の運用基準、そしてLS-1-αの存在」


 挑発にも取れるような尊大な態度で、彼は短く焦点となった事柄を述べ続ける。


 怒りとも取れそうなカリオス-X3の声色と威圧的な雰囲気は、その次に出た事柄に関してのみ、揺らぐ。


「特に改造素体への適応に関して、幾つもの星が己のルーツや、素体として利用されてきた歴史が明らかになり、連盟そのものへの不信感を募らせた」


 怒りは諦めとなり、諦めは苦悩へと変化していく。やがて、彼の表情は無に染まった。


「その多くは後に連盟との抗争を勃発させ、多次元境界戦争どころではない星域が出たほどだ」


 暗闇である背後に、煌めく火花が流れていく。


 それは遠目から見れば花火のようで、しかし目を凝らせば戦火なのだと理解できた。


 火花どころではなく、火柱や高熱のドームがいくつもの星々の表面をなぞり、複数の星の煌めきを消し去っていく。


 その凶々しい争いの様子は、しかしカリオス-X3の表情を変えることはなかった。


 やがて赤々とした戦禍の光景はなくなり、再び暗闇が訪れる。


「辛苦を舐めた、あるいはその余波に見舞われた星の中には、この映画自体が捏造との批判が出た。真実となる証拠は何一つない、陰謀論と評価したところもある」


 今度は複数のメディアや評論サイトなどの画像が、文字の羅列となり、鎖のような形となって降り注ぐ。


 その文字数は多く、カリオス-X3の足元が埋まるほどだった。


 しかし無秩序に並んだ文字を一瞥した彼は、やはり無表情を貫く。


「ただ、その批判は公用歴換算でたった数十年で消え失せた。瞬きすら必要のない、とても短い期間の批判だ」


 カリオス-X3の足元に積み重なった文字が、風化し、流れるように消えていく。


「だが、その数十年は我々ゼノンにとっての短い期間であり、他の星……トゥルカシア人であった、ザリク監督にはそうでなかっただろう」


 周囲が明るくなる。


 カリオス-X3が横を向き、つられるように彼の視線の先を確認すれば、そこには穏やかな雰囲気の、しかしまごうことなき病室があった。


 病室の中央には、多数の管で何かしらの機械に繋がれたザリク・トゥリナが寝そべっていた。


 その横に、これまで喋り続けていたカリオス-X3とは違うカリオス-X3が座っている。



「お久しぶりですね」



 ベッドの上のザリクは微笑みながら、横に座るカリオス-X3に挨拶をした。


 その口調は、取材をしていたときよりもゆっくりで、より弱々しい音の連なりとなっている。端的に言えば、彼は老いていた。


 ベッドの頭側だけが持ち上げられ、どうにかそれで座る姿勢を維持できているほどに、身体は弱っている。


「ああ、そうだな。いつ以来か」


「試写会にお呼びして、都合がつかず、後日謝罪の連絡をいただいた時以来です」


 ザリクの迷いのない回答に、少々カリオス-X3は面食らう。


 超長命種である彼にとってはつい先日の出来事だ。しかし、連盟一般寿命より少し短いトゥルカシア人のザリクにとっては、きっと遥か昔の、忘却の波に呑まれる程度の出来事だった。


 その認識の違いが、透けて見えるほどのやり取りだった。


「……よく覚えているな」


「忘れませんよ。あなたとのやり取りは、忘れられるようなものではないのです。ゼノンにとって、瞬きにも満たない期間だとしても」


 超長命種特有の傲慢さを持った、カリオス-X3の感性をザリクは優しく窘める。


 遥かに歳下であるはずのザリクの物言いが、カリオス-X3よりも年長者としての風格を持っていた。


 その居心地の悪さを誤魔化すかのように、視線を逸らせたカリオス-X3は話を映画の方へと持っていく。


「ゼノンでも最近、映画が公開された。随分と評価が高く、まだ上映が続いている」


 その話に、ザリクは目を見開いた。


「あれは五十年も前に公開されたものです」


「それでも、ゼノンにとってはつい最近だ」


「……あなたたちの時間感覚には、いつも驚かされる」


 呆れながらも、映画が評価されたことは嬉しいのだろう。


 ザリクはベッドの上に背をのせ、顔を手で覆った。


 漏れ出てくる彼の静かな笑い声だけが病室内に響く。しかし、話を振ったはずのカリオス-X3は相槌を打たずに無言だった。


 やがてザリクが息切れし、笑い声も出せなくなった頃に、ようやくカリオス-X3は口を開く。


「ザリク・トゥリナ。あなたは、この映画を撮ったことを後悔しているか?」


「後悔? 何を後悔するというのですか?」


「この映画がきっかけで、新たな争いが起きた。その争いの過程で、あなたは命を狙われ、こうして半死半生の身となっている」


 カリオス-X3の表情は曇る。彼はザリクを直視できないようだった。


 無理もないと思われる。


 ザリクに映画を撮るように仕組んだのはカリオス-X3だ。


 多くの批判の矢面にザリクを立たせてしまった罪悪感だけは、彼にもあったようだった。


「言われてみればそうですね。ですが、私は後悔などしていません」


 はっきりとした口調だった。そこには悔し紛れの雰囲気さえない。


「しかし、まぁ、あの映画が出たにも関わらず、私相手にエルゥカ少年のときと同じ手を使うとは、人々も進歩がない」


 それどころか茶化したザリクの物言いに、カリオス-X3はぽかんと口を開ける。


 これまで無表情で、無感動で、ちょっとやそっとでは驚きませんの代表格だったカリオス-X3が、こうも表情をコロコロ変える様に、再度ザリクは笑う。


 今度こそカリオス-X3は椅子の背もたれに体重をかけ、天井を見上げた。


 両者の間にあった、厳かで、堅苦しい雰囲気が霧散していく。


 やがて笑い声もおさまった頃。二人は互いに向き直り、それぞれが手を差し出し、握りしめた。


 今度はカリオス–X3もしっかりとザリクと向き合った。


「ザリク監督。私はこの映画はLS-1-βの事実を描いていたと思う。だが、同時に消えゆくあなたたちの抵抗の話でもあった、と解釈できた」


 面と向かって告げられたカリオス-X3の感想。


 初めて会ったとき、巧拙はわからない、興味深いと思ったとしか告げなかったカリオス-X3が、解釈とまで述べたほどに、映画を深く見ようとした努力が分かる。


「世に出た作品の解釈は観客の自由であり、そして監督である私の解説は無粋というものですよ」


「それでも、私はあなたに訊ねたいと思ったんだ。あなたは抵抗しないのか。誤謬と陰謀に塗れた評価に、悔しくはないのかと」


 それを聞いたザリクは、目の前にいる超長命種を身動きせずにじっと観察してから、返答した。


「そして、また、私たちの本当の意味が分からない言語を、無理やり訳し、型に嵌め、その解釈が正しいか正しくないかの論争に終始するのですか」


 ザリクの指摘にカリオス-X3は黙ってしまう。


 解釈論争に超長命種ゼノンは加わらなかった、というよりもあまりにも時間感覚が長すぎて加わるタイミングを逸したのだと分かる。


 ザリクはゆっくりと息を吐く。


 そして意を決したように、映画公開後に彼が目撃した人々の動きを説明した。


「私含めた多くのトゥルカシア人は、あの映画の原題の意味を訊ねられました」


 ザリク・トゥリナだけではない、多くのトゥルカシア人が直面した映画の影響。


「私たちはできる限り共通語で意味を分解できないか努力しました。ですが、結局のところその努力に意味はなかったのです」


 そもそも、本当に始めからそれができたなら、きっと改題などされなかった。


 原題は翻訳が難しいどころではなく、むしろ彼らトゥルカシアの文化に深く根差した概念だったのだ。不可能に近い。


 改題されたのだと注釈を入れられて、ようやく原題の言葉が残されたほどの難解さ。


 それでも文字だけでも残すことがザリクにとって、使命だと思ったのかもしれない。


「様々な議論が重ねられました。多様な解釈が生まれました。終始、それらは間違いか正しいかの論争となり、何の関係もない自論を述べる道具にされました」


 冷ややかさを隠しもしないザリクの言葉が、カリオス-X3の熱くなった憤りを撫でる。


「話し合う人々の中で、私たちトゥルカシア人の中に入ろうとしたのはごく一部です。大半の人々は自分の価値観で、自分が正しいと思い込み、全て結論付けました」


 暗にお前もそうなのだ、とザリクは光の賢者に突きつけた。


 超長命種の無邪気な傲慢さまでも、世俗と何ら変わりのないものだと、老いたトゥルカシア人は優しく切り捨てる。


「あなたにとっては五十年など一瞬でしょう。ですが、私には長かった。諦めを抱き、無念を乗り越える程に長かった」


 30万年生きたカリオス-X3は、何も言い返せない。


 彼の千分の一にも満たない時間しか生きていないザリク・トゥリナの、人生を費やすほどの価値観に反論できるような言葉も経験も、彼の内にはないようだった。


 ザリクはゆっくりと、己の身に貼り付いた翻訳機を止めた。そのまま、彼自身の、何の加工もされていない生の言葉を溢れ出させる。


 老いた彼の言葉は、若いとき以上にゆったりとしていた。そして、過去よりも遥かに重低音で、腹の底から響かせる音だった。


 あの衝撃を受けた映像のエルゥカ少年とは明らかに違う言葉を、ザリクは恥じることなく奏でる。


 それをカリオス-X3は黙って聴いていた。


 やがて連なった音は静かに溶け消え、しばしの静寂が訪れる。


 ザリクは再び翻訳機を起動して、カリオス-X3に尋ねた。


「今、私が言った意味が分かりましたか?」


 その問いかけに、カリオス-X3は躊躇いながらも返答する。


「……いいや」


 かの科学者の言葉に、ザリクは失望の色も見せなかった。ただ当たり前のものとして、カリオス-X3の回答を受け止める。


「それが答えです。あなたも結局のところ、向き合っていなかった」


 そう言って答えを渡すザリクは、自らの胸元にある機械を見つめる。


 次に彼は自らの手を眺めた。そこには、何もない。ただ、老いて震える手が何も掴めずにあるだけだ。


「あの映画がきっかけで翻訳機の精度向上は飛躍的に進歩した。そんな今、なおさら私たちトゥルカシアのことをあなたは知ろうと思わなかった」


 なおも続くザリクの言葉に、遂にカリオス-X3は椅子から立ち上がって反論しようとする。


「そんなことは」


 ない、と力強く言葉にすべき場面だった。しかしカリオス-X3は、最後になってその勢いを失速させ、俯いた。


 その様子に、ザリクは微笑みながらも頷いた。まるで、幼子が己の非を認めて反省しているのを眺めているような雰囲気だった。


「争いの火を加速させたのは、確かにあの映画だったでしょう」


 己の足元を見ることしかできないカリオス-X3に、ザリクは優しく語りかける。


「ですが、きっと火種はもっと前からあったのです」


 両者共に視線が交わらない。


 ザリクは病室の外を見つめ、カリオス-X3は真っ白な床を睨みつけている。


 視線は交差しないが、言葉は交わされた。


「あなたたちの理解は傲慢さを孕む。私たちトゥルカシアのフィルターを無視し、連盟のフィルターを押し付けて議論する。同じことは他の星々でもある。だから多くの人々が反発するのです」


「……違う、あれは相互理解をしようと」


「あなたたちの基準での理解でしょう?」


 会話をしながらも決して交わらない意見に、カリオス-X3は己の無力感を噛み締める。


 それでも諦めきれない彼は、再び言葉を紡ごうとした。が、ザリクは微笑むだけで、その言葉を受け取ることすら拒否するように自らの結論を告げる。 


「私たちは共通語に合わせようと向き合って、そうして合わせられないのだと理解した」


 無情な言葉を吐きながらも、悪戯っぽく笑うザリク。その面影が、エルゥカ少年と重なる。


 爛々と輝く目と、機械越しとは言え妙に明るい声色が、あの砂漠の夜にはしゃいでいたトゥルカシアの子と似ていた。


 きっとカリオス-X3もそう感じたのだろう。


 先程までの沈痛な面持ちから、煌めく両の目が落ちるのではないかと思われるほどに、開かれている。


 その様子を見たザリクは晴れやかな雰囲気で、戸惑う超長命種へと提案をした。


「今度はあなたたちが向き合ってください」


 トゥルカシア人の提案は、そんな簡単なことなのか、と錯覚させるほどに軽い口調でされた。


「その長い時の中で、消えゆく我々の言語に、文化に、歴史に向き合ってください。機械を使ってもいい。あなたたちが、私たちの言葉を喋ってください」


 願いを実行するハードルはきっと低い。


 小気味よく紡がれる言語に、機械から発せられる共通語に、流暢に奏でられる音に、きっとそれは誰もができるものなのだと勘違いさせる。


 しかし……しかし、だ。


 ザリク・トゥリナがそう告げた背景にあったのは、これまでの言動からすれば希望でも切望でもない、無力感と落胆だったはずだ。


「その中で、伝わらないもどかしさ、伝わらない概念、伝わらない激情があると知ってください」


 ザリクは精一杯の微笑みを浮かべ、しかし目には憂いを帯びさせる。


 彼の手は上半身を覆う翻訳機を握り締め、足は震えることすらできていない。


 穏やかな雰囲気の病室には、一時滞在の無機質さはどこにもない。


 あの夜の砂漠に立っていたザリク・トゥリナはどこにもいなかった。


「これは『私』から『あなた』へのお願いです」


 私たちと、あなたたちが単数形へと変化する。


 その言葉に、カリオス-X3は椅子の上で身じろいだ。


「あなたは失ったと言った。いいえ、何も失っていない」


 ザリクの口調が挑戦的なものへと変化していく。


「あなたはまだ知らないだけです」


 初めて出会った二人のときとは逆の立場になって、カリオス-X3は遥かに歳下のトゥルカシア人に試される。


「その長い時の中で、儚いと称した私たちの中に、あなたも入ってみればいい」


 かつてカリオス-X3はLSシリーズと出会ったザリクが、どう変わるか興味があると告げた。


 確かにザリク・トゥリナは変わった。


 あの監督賞を受賞した頃の若さ故の悪意なき無邪気さも、LS-1-αへの希望を抱いた映画のラストも、何もかもを変えて、彼は五十年分の歳月を体現していた。


「あなたはまだ若い、たった三十万歳なのでしょう?」


 挑むような眼差しのザリク。


 カリオス-X3は怯み、そして片手を中空に伸ばす。


 そこには視聴者が立っており、けれど誰かに伸ばしたものではない。手は何かを掴むような形をしていた。


 やがて周囲が暗くなり始め、カリオス-X3がカメラを操作していたのだと理解する。


 夕闇よりも早くに、帳が落ちていくかのように、暗闇がやってくる。しかし、完全に真っ暗になる前に、ザリクの言葉が記録された。


「恐れないで、その恐れはまだ知らぬものへの感情でしかない。あなたは」


 ぶつり、と唐突に画面が切られたかのように、音声が途切れ闇が覆った。

 明らかに続きがあるにも関わらず、静寂だけが我が物顔で居座る。


 やがて、足もとに文字が現れた。

 手書きの、殴り書きで書かれた共通語の線は震えており、ところどころ滲んでいる。

 そこに書かれていたのは、未来への展望だった。


——何度も別れに遭遇し、本当の意味で儚いを知るのです


 人によっては、これは呪いの言葉なのかもしれない。


 多くの種族の中でも遥かに長い寿命を持つ、光の賢者とも呼ばれる人に、別れを別れと実感するほどに人々の中に入れという願い。


 その願いをカリオス-X3が聞き入れる義務はない。


 ないのだが、と思ったところで、本人が登場した。


 煌々と光り輝くゼノンである彼は、まるで誘導灯のように歩きながら喋り始める。


「ザリク・トゥリナは解釈は観客の自由だと述べた」


 暗闇はどこまでも続く。それでもカリオス-X3は歩みを止めない。


「監督である自分の解説は無粋だとも述べた」


 語りながら突き進む彼の足元が、砂地となる。さらさらと流れる砂の上に、一人分の足跡が記された。


「この五十年後のインタビューを付け加えることを本人は嫌がったが、それは私が説得した」


 やがて真っ暗闇から、夜闇へと色が変わり、その色に星々の煌めきが添えられる。


「多くの議論を呼んだ。新しい争いが始まった。けれど、この映画は……」


 続く言葉を躊躇いながら、カリオス-X3は空を見上げた。


 あのLS-1-αとエルゥカ少年が話していた夜空に近く、そしてトオルとザリクが向き合った空にも見える。


 だが、ここにいるのはカリオス-X3だけだ。


 彼の見上げた先で、周囲の夜闇を無くすかの様に強い光を放つ星が流れた。


 それは瞬きもしないうちに消え去り、再び夜の静寂が訪れる。


「……この映画は、瞬きにも満たない時間で埋もれるには、惜しいものだと思っている」


 星が落ちた方向を見つめるカリオス-X3の表情は、生憎と見えなかった。


 やがて、再び暗闇が彼を消していく。


 そして、共通語で字幕が現れた。



——このインタビューの3年後にザリク・トゥリナは死去した


——映画の権利は、カリオス-X3に渡り


——トゥルカシアの貴重な言語資料として、定期的に映画は上映されている




 そうして、本当に映画は終わったのだった。

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