台本未完――あなたは次の主演俳優

ソコニ

第1話 台本未完――あなたは次の主演俳優

第一場:発見

廃劇場の楽屋で台本を見つけたのは、解体作業の三日前だった。

「これ、見てください」

作業員の一人が、錆びたロッカーの奥から引き出したのは、黄ばんだ紙の束だった。表紙には手書きで『未完』とだけ記されている。

私は建築調査員として、この劇場の最終確認に来ていた。取り壊しが決まった建物の記録を残すのが仕事だ。だが、台本を手に取った瞬間、奇妙な既視感が私を襲った。

ページを開く。

第一場:発見

人物:調査員(私)、作業員A

調査員、廃劇場の楽屋でロッカーを開ける。中から台本を見つける。

私は思わず台本を落とした。

「どうしました?」作業員が尋ねる。

台本には、今まさに起きたことが、一字一句違わず書かれていた。私がこの楽屋に入り、ロッカーを開け、台本を見つけるまでの一連の動作が。

冗談だろう。誰かの仕込みか。

だが、台本の紙は明らかに古い。少なくとも数十年は経過している。インクの滲み方、紙の酸化具合。専門家として断言できる。これは最近書かれたものではない。

次のページを開く。

調査員、次のページを開く。

調査員「冗談だろう」

私は声に出していた。「冗談だろう」と。

作業員が覗き込む。「何が書いてあるんです?」

台本の指示は続く。

作業員A、台本を覗き込む。

作業員A「何が書いてあるんです?」

調査員、言葉を失う。

私は言葉を失っていた。

第二場:検証

その日、私は台本を持ち帰った。

自宅のデスクで、一ページずつ丁寧に読み進める。台本は全部で八十七ページ。だが最後のページは途中で終わっている。文字通りの「未完」だった。

第二場は、私が台本を自宅に持ち帰る場面から始まっていた。

私がこのデスクに座り、台本を開くことまで書かれている。さらに、私が明日の朝、コーヒーを淹れながら台本について考えること。上司に相談しようとして思い留まること。劇場の履歴を調べ始めることまで。

すべて書かれていた。

試しに台本に逆らってみる。第三場で私は「窓を開ける」ことになっているが、私は頑なに窓を開けない。三時間、デスクの前で動かずにいた。

だが、部屋が暑い。酸素が足りない気がする。気づけば私は窓に向かって歩いていた。

窓を開ける。

台本の次の行を見る。

調査員、窓を開ける。

調査員「まさか」

「まさか」と私は呟いた。

第三場:劇場の記録

劇場の名は「メタ座」。一九七三年に開館し、二〇〇三年に閉鎖された。

閉鎖の理由は不明だった。経営難でもない。事故があったわけでもない。公式な記録には「運営方針の変更」とだけある。

私は図書館で当時の新聞記事を漁った。

二〇〇三年十月三日付の地方紙に、小さな記事があった。

「メタ座、突然の閉鎖。主宰・演出家の三島透氏は『公演が完結した』とコメント」

公演が完結した?

劇場を閉めるほどの「完結」とは何か。

さらに調べると、閉鎖直前の公演記録が見つかった。演目は『台本未完』。上演期間は二〇〇三年九月一日から十月二日まで。全三十二日間、毎日異なる観客を入れての公演だったという。

観客の証言を探したが、誰も見つからなかった。いや、正確には見つかったが、誰も内容を覚えていない。

「何か観た気はするんですが」

「舞台だったような、映画だったような」

「自分が出ていたような気もします」

全員が曖昧な記憶しか持っていなかった。

第四場:指示の精度

台本は日々、正確だった。

私が翌日、劇場の管理会社に電話すること。担当者が不在であること。留守番電話にメッセージを残すこと。すべて台本通りに起きた。

私は試行錯誤した。台本を読まずに行動する。だが読まなくても、結果は台本通りになる。読んでも読まなくても、私の行動は台本に記された通りに展開する。

ならば、と私は台本を燃やそうとした。

第十二場に、その試みについても書かれていた。

調査員、台本を燃やそうとする。

ライターが点かない。

ライターは点かなかった。新品のライターだったのに。

調査員、マッチを探す。

マッチが湿気ている。

マッチは湿気ていた。

調査員、ガスコンロで燃やそうとする。

火をつける直前、電話が鳴る。

電話が鳴った。

相手は劇場の元照明技師だった。「台本を見つけたそうですね。今から会えませんか」

台本を燃やすことは、その日諦めた。

第五場:証言

元照明技師の名は木村といった。六十代後半、痩せた体に深い皺が刻まれている。

喫茶店で向かい合う。

「あの台本は、三島先生が書いたものです」

木村は最初からそう言った。

「でも、あれはおかしい。私が台本を見つけることまで書かれている。二〇〇三年より前に」

「そうです。三島先生は未来を書く人でした」

木村は淡々と話す。

「最初は偶然だと思いました。脚本に書いた展開が、現実の稽古で起きる。俳優が台本通りに動く。これは演技が上手いからだと」

「でも?」

「でも、台本には稽古のことは書かれていないんです。本番のことだけ。本番で起きることを、稽古の段階で書いている」

私は黙って聞く。

「最後の公演『台本未完』で、三島先生は言いました。『この舞台は終わらない。観客が出演者になり、出演者が観客になる。境界は消える』と」

「それはどういう――」

「あなたも、出演者です」

木村は台本を指さす。私が持ってきた、あの台本を。

「この台本には、まだ起きていないことが書かれている。あなたがこれから経験することが」

私はページをめくる。まだ読んでいない部分。

第十五場以降だ。

第十五場:役割の自覚

調査員、自分が「役」を演じていることに気づく。

私は声を出して笑った。「馬鹿げている」

調査員「馬鹿げている」と笑う。

笑いが止まった。

第六場:セリフの支配

次の日から、私は自分の言葉を疑うようになった。

今、口にした言葉は、本当に私が選んだのか?

台本に書かれていたから、そう言ったのではないか?

私は台本を読み進めるのをやめた。未来のページを見なければ、予定調和を避けられる。そう考えた。

だが、第十六場で、それも無駄だと知る。

調査員、台本を読まないことを決意する。

だが、読まなくても行動は変わらない。

なぜなら、台本は彼女の「意志」を書いているのではない。

彼女の「存在」を書いているからだ。

この記述を読んだ時、私は戦慄した。

意志ではなく、存在。

私が何を考え、何を決断しても、私という存在そのものが台本の中にある。ならば、私の「自由意志」とは何なのか。

私は鏡を見た。

映っているのは、誰だ?

調査員という役を演じている私か。

それとも、私という役を演じている何者かか。

第七場:他の俳優たち

台本には、私以外の「登場人物」も書かれている。

作業員A。元照明技師・木村。そして、これから出会う人々。

第十八場で、私は劇場の元主宰・三島透の娘に会うことになっている。

その通りに、彼女から連絡が来た。

「父の遺品を整理していて、あなたのことを知りました。会えませんか」

会う約束をする。場所は、廃劇場だった。

第八場:舞台へ

三島の娘、三島凪は三十代半ば。黒いコートを着て、劇場の客席に座っていた。

「ここに来るのは二十年ぶりです」

凪は静かに言う。

「最後の公演を、観ました。私も観客の一人でした」

「何を観たんですか?」

「私自身を、観ました」

凪は舞台を見つめる。

「舞台の上に、私がいたんです。同じ服を着て、同じ表情をして。客席の私と、舞台の私が、同時に存在していた」

「それは――」

「だから、私は記憶が曖昧なんです。観ていたのか、演じていたのか。どちらが本当の私だったのか」

凪は台本を見せた。別の台本だ。

「父は複数の台本を書いていました。それぞれに異なる登場人物。でも、すべて同じ物語」

「同じ?」

「『役を降りようとする人々』の物語です」

私は凪の台本を読む。

そこには、凪が父の遺品を整理し、台本を見つけ、私に会うまでが書かれていた。

つまり、凪もまた、台本の中にいる。

第九場:舞台の構造

「父は言っていました。『世界は舞台だ。だが、誰も自分が俳優だと気づいていない』」

凪は舞台に上がる。

「私たちは、生まれた時から役を与えられている。子供という役、学生という役、社会人という役。そして、それを『自分』だと信じている」

私も舞台に上がる。

「でも、役は変えられる」

「いいえ」凪は首を振る。「役を降りることはできません。新しい役を演じるだけです」

舞台の中央に、一脚の椅子がある。

凪はそこに座る。

「父は、この椅子で台本を書いていました。未来の物語を」

「どうやって未来を書けるんですか?」

「書くから、未来になるんです」

凪は微笑む。

「父は言いました。『物語が先で、現実が後だ。人は物語を生きる生き物だから』」

第十場:台本の続き

私は台本を最後まで読むことを決めた。

第二十場以降。まだ起きていないこと。

第二十場:選択

調査員、舞台の上で台本の続きを読む。

そこには、彼女の死が書かれている。

私は息を呑む。

次のページ。

第二十一場:事故

調査員、劇場を出る。

横断歩道で信号を待つ。

青信号で歩き始める。

トラックが突っ込んでくる。

具体的な日時まで書かれている。明後日、午後三時十七分。

「これは、確定なんですか?」

凪に尋ねる。

「父の台本は、今まで全て当たっています」

「じゃあ、私は死ぬ?」

「台本通りなら」

私は台本を叩きつけた。

「ふざけるな! 台本なんか知るか! 私は私の人生を生きる!」

調査員「ふざけるな! 台本なんか知るか! 私は私の人生を生きる!」

台本に書かれていた。

私の、この怒りまで。

第十一場:逸脱の試み

私は明後日、劇場には行かないことに決めた。

家に閉じこもる。外出しない。横断歩道に行かなければ、事故も起きない。

だが、台本は続く。

第二十二場:抵抗

調査員、外出しないことを決意する。

だが、午後三時、突然の電話。

母親の緊急入院。病院へ向かう。

横断歩道で――

私は電話線を抜いた。スマートフォンの電源を切った。

すべての連絡手段を断つ。

午後三時。何も起きない。

三時十分。静寂。

三時十五分。

突然、玄関のチャイムが鳴る。

出ない。無視する。

チャイムは鳴り続ける。

三時十六分。

私は耐えられなくなって、ドアを開けた。

そこにいたのは、宅配業者だった。

「サインをお願いします」

私はサインする。荷物を受け取る。

差出人は、三島透。

二〇〇三年の消印。

第十二場:荷物の中身

荷物の中には、新しい台本が入っていた。

タイトルは『台本未完・第二部』。

最初のページ。

第一場:受取

調査員、荷物を受け取る。

時刻は午後三時十七分。

彼女は気づく。事故は起きなかったことに。

私は時計を見る。三時十七分だった。

事故は起きなかった。

だが、私は外出していない。横断歩道にもいない。

台本が、変わった?

次のページ。

調査員、困惑する。

なぜ台本が変わったのか。

答えは、第二十三場にある。

私は第二十三場を探す。

第二十三場:共同執筆

台本は一人では完成しない。

演者が演じることで、台本は変化する。

三島透は気づいていた。

物語は、語られることで初めて存在する。

そして、語る者が変われば、物語も変わる。

私は理解した。

台本は固定されていない。私が読み、行動することで、台本は更新される。

つまり、私は台本に書かれた存在であると同時に、台本を書いている存在でもある。

第十三場:観客席

凪に電話する。

「会えますか。劇場で」

「ええ、待っています」

劇場に向かう。今度は恐れずに。

凪は客席の最前列に座っていた。

「あなたも気づいたんですね」

「気づきました。私たちは俳優であり、作家でもある」

「そうです」

凪は立ち上がる。

「では、観客は誰ですか?」

私は客席を見渡す。

誰もいない。

いや。

客席の後方、最上段。

そこに、人影がある。

第十四場:もう一人の自分

客席の最上段に座っているのは、私だった。

いや、「私のような誰か」だ。

同じ顔、同じ服。だが、表情が違う。

舞台の私は動揺している。

客席の私は、静かに微笑んでいる。

「あれは何ですか?」

凪に聞く。

「観客としてのあなたです」

「観客?」

「私たちは同時に、演者であり観客です。自分の人生を演じながら、自分の人生を観ている」

私は客席に向かって叫ぶ。

「あなたは誰!」

客席の私は答えない。ただ、拍手する。

ゆっくりとした、静かな拍手。

凪も拍手する。

「素晴らしい演技でした」

「演技?」

「ええ。あなたは完璧に『自分自身』を演じました」

私は膝から崩れ落ちる。

「じゃあ、本当の私は?」

「それを探すのが、この物語の続きです」

第十五場:台本の終わり

私は台本の最後のページを開く。

第三十場:未完

調査員、台本の最後に到達する。

だが、物語は終わらない。

なぜなら――

ここで文章は途切れている。

「なぜなら、何ですか?」

凪は首を振る。

「父も、答えを書けなかった」

「どうして?」

「物語が終われば、私たちも消えるからです」

凪は舞台の中央に立つ。

「父はそれが怖かった。だから、台本を未完のままにした」

「未完のまま?」

「ええ。永遠に続く物語。終わらない舞台」

私は客席を見上げる。

観客としての私は、まだそこにいる。

そして、私は気づく。

客席の私も、台本を持っている。

同じ台本。『台本未完』。

つまり、客席の私もまた、この物語の登場人物。

観客は存在しない。

いや。

本当の観客は――

第十六場:四次元の視点

私は劇場の外に出る。

夜だった。街灯が道を照らしている。

私は歩く。どこへ向かうのか分からないまま。

ふと、書店のショーウィンドウが目に入る。

そこに、一冊の本が飾られている。

タイトルは『台本未完―舞台の外の俳優たち―』。

著者名は、三島透。

私は店に入り、本を手に取る。

ページを開く。

第一場:発見

廃劇場の楽屋で台本を見つけたのは、解体作業の三日前だった。

私が経験した、すべてが書かれている。

私が台本を見つけ、木村に会い、凪と出会い、この書店に来るまで。

すべて、この小説の中だった。

私は本を閉じる。

誰が読んでいるんだ、この本を?

第十七場:読者

書店を出る。

路地を曲がると、小さなカフェがある。

窓越しに、一人の女性が見える。

彼女は本を読んでいる。

タイトルは見えないが、きっと――

私は店に入る。

女性に近づく。

「何を読んでいるんですか?」

彼女は顔を上げる。

そして、微笑む。

「あなたの物語です」

彼女が持っているのは、『台本未完』だった。

「面白いですか?」

「とても。でも、まだ終わっていないみたいです」

「それは、未完だから」

「そうなんですか?」

彼女は不思議そうに首を傾げる。

「でも、物語は終わらなければならないんじゃないですか?」

「そうかもしれません」

私は彼女の向かいに座る。

「でも、終われば、私たちは消える」

「私たち?」

「登場人物です。私は」

彼女は笑う。

「あなたは登場人物じゃありません。あなたは、本当の人です」

「本当?」

「ええ。だって、私と話しているじゃないですか」

私は黙る。

彼女と私、どちらが「本当」なのか。

第十八場:入れ子

カフェを出て、また歩く。

街は静かだ。

人の気配がない。

いや、いる。

遠くに、誰かが立っている。

近づく。

それは、三島透だった。

いや、三島透の写真で見た姿に似た、誰か。

「あなたは」

「私は三島透だ」

男は言う。

「もう死んでいるはずでは?」

「死んだ。二〇一〇年に」

「じゃあ、あなたは誰?」

「幽霊だよ。あるいは、記憶。あるいは、登場人物」

男は台本を取り出す。

「君は疑問に思わなかったか? なぜ私が未来を書けたのか」

「……」

「簡単だ。私は、未来に生きているからだ」

「どういう意味ですか?」

「この物語は、未来から書かれている。二〇二五年の君が読むことを前提に、二〇〇三年の私が書いた」

「そんなことが」

「可能だ。なぜなら、物語の中では時間は線形ではない。過去と未来は同時に存在する」

男は台本を私に渡す。

「君が次に書くんだ」

「私が?」

「そう。この台本の続きを」

第十九場:執筆

私は自宅に戻る。

デスクの上に、真っ白な紙を置く。

ペンを持つ。

何を書けばいい?

台本の続きを書くということは、未来を書くということ。

私の未来を。

いや、違う。

この物語を読む人の未来を。

私は書き始める。

第三十一場:覚醒

読者、本を閉じる。

彼女は気づく。自分もまた、物語の一部であることに。

書きながら、私は理解する。

この台本は、読む人によって完成する。

読む行為そのものが、演じる行為。

読者は観客ではない。

読者こそが、主演俳優だ。

第二十場:終わらない物語

台本を書き終える。

だが、最後の一行は書かない。

なぜなら、終われば――

私は窓の外を見る。

劇場が見える。廃劇場。

明日、解体される。

私は台本を持って、劇場に向かう。

最終場:舞台の外

劇場の舞台に立つ。

客席は空だ。

いや、空ではない。

最前列に、凪がいる。

中段に、木村がいる。

後方に、女性読者がいる。

最上段に、三島透がいる。

そして、その横に、もう一人の私がいる。

全員が、台本を持っている。

「これで全員揃ったわ」

凪が言う。

「私たちは全員、俳優だった」

私は微笑む。

「そして、私たちを観ている人も、俳優だ」

全員が立ち上がる。

舞台と客席の境界が消える。

私たちは円になって立つ。

「では、次の物語を始めましょう」

三島透が言う。

「タイトルは?」

「それは、次の人が決める」

私たちは台本を床に置く。

すべての台本が、一つに重なる。

そして、新しいページが現れる。

白紙のページ。

そこには、あなたの名前が書かれている。

次の主演俳優:読者

次の舞台:あなたの現実

次の台本:未定

私は客席を――いや、舞台の外を見る。

そこに、あなたがいる。

この文章を読んでいる、あなたが。

「さあ、あなたの番です」

私は手を差し出す。

「舞台に上がってください」

あなたは立ち上がるだろうか。

それとも、本を閉じるだろうか。

どちらを選んでも、あなたはすでに演じている。

選択そのものが、演技だから。

私たちは、全員が俳優だ。

そして、台本は永遠に未完だ。

なぜなら、物語は終わらないから。

終われば、私たちは消えるから。

だから、書き続ける。

演じ続ける。

生き続ける。

それが、舞台の外の俳優たちの、唯一の選択だから。

――台本未完――

(次のページは、あなたが書く)

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