「ラベルなき記録」
をはち
「ラベルなき記録」
東京都の片隅、雑居ビルの薄暗い路地にひっそりと佇む「大黒天」。
この店は、普通のリサイクルショップとは一線を画していた。
看板に記された「遺品何でも買取・販売」という言葉は、ただの宣伝文句ではない。
夜逃げ、事故死、孤独死――どんな事情で放棄された品物も、一切の清掃や整理を施さず、そのまま店頭に並べるのだ。
冷蔵庫の中の腐った食材、埃まみれの日記、果ては血痕が残る衣類まで。
客はそれを「生活の残響」と呼び、独特の嗜好を持つ者たちがこの店に集う。
大黒天の人気商品は、アルバム、PC、ビデオテープといった、持ち主の人生が色濃く刻まれた品々だ。
特に、持ち主の秘密や欲望が垣間見えるものは高値で取引される。
そこには、人の生と死の境界を覗き見る背徳的な魅力があった。
小磯雅之、38歳。塾講師として働く彼の裏の顔は、他人の秘密を暴くことに異常な執着を持つ男だった。
きっかけは些細な悪戯だった。
受験を控えた生徒に「縁起物」と偽り、ボールペン型の盗聴器を持たせ、親や友人の会話を盗み聞きしたのだ。
自分への悪口を耳にすれば、その生徒を意図的に受験で失敗させるよう仕向けた。
雅之にとって、他人の人生を操ることは、比類なき快感だった。
だが、盗聴器だけでは物足りなくなった。
雅之の欲望はさらに深い闇へと向かい、大黒天の「呪物」に手を伸ばすようになった。
死者や失踪者の遺品――その中には、人生の最期を切り取ったような濃密な物語が詰まっている。
ビデオテープや日記を手に入れるたび、彼はそれを自宅に持ち帰り、缶ビールを片手に再生し、知られざる秘密を貪った。
ある日、大黒天の棚で、雅之は一巻のビデオテープに目を奪われた。
ラベルには何も書かれていないが、店員の話では、持ち主は「失踪した男」だという。
雅之の心は躍った。
失踪の背景には、どんな秘密が隠れているのか。
ビデオを手に、彼は店を後にした。
自宅の薄暗いリビングで、雅之はビールをあおりながらビデオを再生した。
画面には、男が山道を歩く姿が映し出されていた。
ハイキングの記録のようだが、男の口からは「小判」「黄金」といった言葉が漏れる。
映像は揺れながら山の中腹、蛇のようにうねるS字カーブの崖へと進む。
男が土砂を掘り返すと、横穴が現れ、その奥には金塊らしきものが鈍く光っていた。
「おいおい、財宝じゃねえか!」
雅之はひとり叫んだ。
心臓が早鐘のように打ち、興奮が抑えきれなかった。
「こいつ、財宝を見つけて名前を変えて逃げやがったな。失踪の理由はこれか!」
ビデオの終盤には、地図が映し出されていた。
山の位置、経路、S字カーブの崖――雅之はそれを一瞬で記憶に刻んだ。
夜が明けるのを待つことすら我慢できず、彼は車に飛び乗り、90キロ離れた山へと向かった。
夜明け前の山は、霧に包まれ、静寂が異様な重みを帯びていた。
雅之は車を麓に停め、ビデオで見たS字カーブを目指した。
懐中電灯の光を頼りに斜面を下り、掘り返された跡を見つけた。
そこには、確かに横穴があった。
ビデオと寸分違わぬ光景に、雅之の胸は高鳴った。
シャベルで土を掻き分け、横穴に滑り込む。
5メートルほど進むと、突然、足元が下に続く縦穴へと落ちていた。
暗闇の中で、かすかな人の気配を感じた。
ざわめきのような声が聞こえる。
「来るな…ここには来るな…」
「ふざけんな!金塊を独り占めする気か?」
雅之は嘲笑し、声の主を無視して縦穴に降りた。
だが、足が地面に着いた瞬間、彼は異変に気付いた。
穴は予想以上に深く、湿った空気が肺にまとわりつく。
懐中電灯を振ると、複数の人影が浮かび上がった。
だが、そのほとんどは動かない。死体だった。
「な…なんだこれ…」
雅之の声は震えた。
死体はみな、異様な姿勢で固まっていた。
手に金塊らしきものを握り、目を見開いたまま、恐怖に凍りついた表情を浮かべていた。
唯一生きていた男が、暗闇から這うように近づいてくる。
「来るなと言ったのに…なぜ来た…」
雅之は慌てて壁をよじ登ろうとしたが、土は湿って滑り、手がかりは崩れ落ちる。
10分もしないうちに、彼は悟った。脱出は不可能だと。
男の声が背後で囁く。
「ここは…出られない…金塊は呪われている…」
それから2カ月後、大黒天の店主は、雅之の失踪の報せを受けた。
部屋の遺品を引き取るため、作業員が雅之のアパートを訪れると、ビデオテープが目に入った。
店主は首をかしげた。
「このテープ…何度も回収して売ってる気がするな。まさか…」
テープは再び店頭に並べられた。
ラベルには何も書かれていないが、新しい客がそれを手に取るたび、
どこか遠くの山で、闇の穴が新たな獲物を待っている。
金塊の輝きとともに、呪われた物語が繰り返されるのだ。
「ラベルなき記録」 をはち @kaginoo8
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