夢の間(あわひ)に~二人の歌人を通じて~
色街アゲハ
夢の間(あわひ)に~二人の歌人を通じて~
人の歴史は、事象の記録であると同時に、心の変遷を写し取った物の様に思えます。
その時代時代に於いて、その時を生きていた人々の心に宿る、ある種言い難い雰囲気が、当時綴られた文学作品に宿っていると、そう思えてならないのです。
漠然としたイメージですが、平安、という時代に人々の心に去来していた不安、危機感と云った物が、今日残されている古今和歌集の中にほの見える様な気がします。
”ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづごころ)なく 花の散るらむ”
”ぼんやりとした不安”、芥川龍之介の言葉ですが、一言で説明の付かない、もどかしくも心の奥底に淀み、残り続ける、何とも言えない不安の感情が、この時代に描かれた和歌に、朧気ながらも、しかし、端的に現われている様に思えます。
”秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる”
何れの歌にも、日々の営みからフッと、半ば放心した意識の内に知らず忍び込むこの世の移ろい、自分がこうして過ごす内にも、全ては過ぎ去り、気付けばそれ等は最早手の届かない所へと行ってしまっている、そんな喪失感、ただ自分一人を残して、何処か、自分の与り知らぬ遠い遠い世界へと消えて行く様な、幾ら打ち消そうにも拭い切れない焦燥感、そういった物がこの時期に残された歌の中に感じられる、そう思えてなりません。
無常観、そう言い換えても良いかも知れません。後に鎌倉の世に至って、色濃く人々の心に刻まれる事になったこの心情が、既にこの時代に於いて朧気ではあるが芽生えていた、と、そういう事になるのかも知れません。
全ては夢。我々は形の無い、何か大きな、輪郭の掴めない、それは霞か靄か、薄らと自分達を包み込む得体の知れない、さながらコンデンスミルクの如き甘く、恨みも切なさも、激情でさえも全て呑み込んで、ただ夢という、何もかもが混然と混じり合い形を失った、全てが其処にある様で、同時にそこには何も無い、そんな曖昧な良く分からない世界へと呑まれ、忘却の彼方へと消えて行く。
そんな世界に唯独り、ポツンと放り出されたこの私? こうして此処に居て、あれやこれやと物思う私は、どうして此処に居るのか。何故に此の世に生を享けたというのか。何れ再び無に等しい何もかもが定かでない微睡の中に再び沈んで行くと云うのに。遠く霞掛かった夕暮れの空を、一つ二つと渡る鳥の、その行方。温かな家路かそれか乃至、夕暮れの空に染まる雲の端々のそのまた向こう側、昨日と明日の混じり合う生まれ落ちてまた帰る終わりと始まりの地か。
誰もがはっきりそうと口にはしないけれども、恐らくこの時代の人々の心の底に、共通の物として認識されていた、ある種この思想は、如何な要因から生まれ出た物なのか、実際にその時代に生きていた訳でも無いので、推察の域を出る事は出来ませんが、一つはっきりしている事を挙げるとするならば、それは、”かな”の普及によるものが大きいと、そう考えています。
”花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに”
有名な小野小町による、百人一首にも選ばれた歌。後半における同音異義語の効果が此処まで高度に結実している例を、寡聞にして他に知りません。
我が身世に古る 眺めせしまに
我が身世に降る 長雨せしまに
自身を花に擬えて、時の流れと共に老いて行く自身の姿と、長雨に打たれ色褪せて行く花の情景とが分かちがたく結びつき、時空を超えた詠嘆が此処に生れている。
かの様に、それ以前の万葉仮名とは違い、純粋な表音文字として使用されるに至ったひらがなの特性が、早くも表れている。全く意味を異にする、しかし同じ音の語句を多数持つ大和言葉の特性が、かなという表記を介してより鮮明な形で浮かび上がって来る。事象を特定し、現実という世界に楔を打ち込む役目を果たしていた言葉の境界が曖昧となり、それに晒された人の心は、突如として現れた、さながら万物のメタモルフォーゼ、其れまで確かな物として認識されていた事象が目の前で崩れ、他の物に変じて行く、正に夢の中でしかお目に掛かれない現象に、目覚めながら、何より、人の理性の結実とも言える言葉、文字の世界で目の当たりにする事になる。
万葉集以後、初の勅撰和歌集として成立した古今和歌集。恐らく今日の和歌のイメージ、雅やかな貴族たちの文化の結実として、壮大な絵巻物として世に現われたこの歌集の裏には、この様な一見目に見えない裏のテーマがあったのではないか、そんな事を考えているのです。
光ある所に影あり。一見華やかな貴族社会のその裏に、じわりじわりと忍び寄り、それ等全てをその内に呑み込もうとする、当人達にも説明の付かない、正にその問題に直面しているが故に、得体の知れない圧迫感。これがこの時代に抱えていた精神的危機であったと、その様に考えます。
では、当時、人々はその危機に際して、為す術もなかったかと云うと、そういう訳でも無く、恐らく無意識の内にでしょうが、この夢という名の巨大なる怪物に対して果敢な抵抗を試みた痕跡が、其処彼処に見られる様に思います。その顕著な例として、今回代表的な歌人二人を挙げさて頂きたく思います。後に詳しく述べますが、面白い事に二人の取った方法は、見事なまでに正反対で、二人の個性を見るにつけ、よくもまあ、こんな事を思い付く物だなあ、と凡愚なる書き手である自分は感心しきりと云った所です。しかし、文字、言葉によってもたらされた危機に対して、その対抗となるべきものは、やはり、言葉、文字に依る物であったという事は、中々示唆に富んでいると云うか、実に興味深い物であると言わねばなりますまい。
一人目の歌人として挙げられるのは、恐らく少し和歌を齧った方であれば必ず行き当たるであろう人物、紀貫之です。いくつか自分がこれだと感じた歌を挙げた上で、その彼の取った方法論について触れる事としましょう。
”さくら花 ちりぬる風の 名残には 水なき空に 浪ぞたちける”
”かがり火の 影しうつれば ぬばたまの 夜川の底は 水燃えにけり”
何れの歌にも共通する姿勢と云うか、自身を取り巻く夢の世界に対して、敢えて抵抗をする事無く、寧ろズブズブとその中に沈み、埋没して行きながら、その底の底に於いて、新たなる美の世界を構築して行こうという、強靭な意志が感じられる様思います。
前の歌の、花は既に散り、ただ目の前には風の吹き、空にその名残も見えない。その中に、平板であろうその空の中に、嘗て在ったであろう花の名残を、水無き空にその綾なすさざ波を見い出せるはず、という、遠く夢の中に消え去った、在りし日の華やかな情景を見い出そうとする、ゼロの中に有を見い出しこの世に表そうとする、人の手に依る夢の世界へのささやかな抵抗。全ての事象が夢の中に消え果てたと云うのなら、何も無い筈の空の中からでも、再びそれらを見い出す事が出来る筈、という、謂わば、人の手に夢の世界を引き寄せようという、そんな意志が感じられる様に思います。
後の歌で見られる、水の中に明々と燃える火の描写は、実に鮮明に読む者の心に刻まれる様に思えます。火と水、二つの相反する物の、本来は並べて語る事の出来ない存在を、夢の世界、全てが曖昧で形なきものの世界に埋没する事で逆手にとって、言葉という、人の意志の介在する世界に於いて顕現してみせる。
何れも有り得ない筈の美の世界、ただ言葉の世界の上だけでのみ成立する、
そんな言葉の錬金術。しかし、この事は、彼の対峙する夢の世界と云う物が本来何処から現れて自分達を呑み込もうとするのかを、本能的に理解していたという事を示している様に思われてなりません。彼の取ったこの手法は、後の歌人たちに依って受け継がれ、やがてそれは観念的な美の世界を構築した、絶唱とも言える新古今和歌集に結実して行く事でしょう。不在の在、何も無い所からゆっくりと頭を擡げ、ユラリとその姿を現す事になる幽玄の世界が。
今一人の歌人である、凡河内躬恒については、当時から現在に至るまである種の人々から酷評を受ける事となりました。彼の代表作たる、
”心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花”
にしてからが、随分と批判のやり玉に挙げられている例を沢山見て来ました。やれ、だからどうした、だの、深みが無い、だの、荒唐無稽に過ぎるだのと。しかし、荒唐無稽と言うならば、貫之の描く詩世界も負けず劣らず荒唐無稽だというにも拘らず、何故かこの歌ばかりが批判の対象になっていました。現在に於いてもその流れは収まっておらず、卑近な例を挙げれば、俳句を趣味としていた自分の母親なども、その様な趣旨の事を話していた様に記憶しています。だからこそ印象に残ったのでしょうが。
対して自分は昔からこの歌が好きで、所謂深みのある表現もさることながら、一方でナンセンス的な物、諧謔味のある表現も又、大いに好む性質であった事も、その事を強めていた様に思います。
今も述べた様に、この歌はその根底に諧謔味を含んでいるが為に、その本質となる姿勢、在り方と云った物に目が届きにくい事になっている様に思います。
”心あてに” この言葉から、後に描かれる初霜により辺り一面純白に染め上げられた世界を前にして、「はてさて、どうした物かな」と、目をクリクリさせながら「当てずっぽうに折っても行けるかな?」と、非常に楽観的な、精神的なバランス感覚と云うか、タフネスさと云うか、その様な強靭さを感じられる様に思うのは、果たして自分だけでしょうか? ここで強調しておきたいのは、他の多くの同時代の歌人たちの覚えていたであろう、件の精神的な危機、迫り来る夢の世界に対して、「なるほど、この世とは、世界とはそうした物か」とでも云う様に、誰よりも逸早く受け入れている節があるという事です。でなければこの様な歌は書けない、詠めない。その様な世界の内に在りながら尚も、ならどうするかと、その先を見据えている。
”月夜には それとも見えず 梅の花 香をたづねてぞ 知るべかりける”
例え此の世が夢に包まれて、確かな物など何もない、全てが曖昧模糊に変じたとしても、漂う香りを辿って行けば、きっと花咲く場所へと辿り着けるよ、と、この歌はそう言っているかの様です。新たに踏んだ世界に於いて、ただ己の好奇心一つを頼りに彷徨い、一歩誤れば忽ち夢の織り成す奈落の底へと落ち込んで行く状況にあって、実にアクロバティックなバランス感覚で世界を渡り乗り越えて行く。そんなポジティブな在り方、姿勢に、何より自分は惹かれたのだろう、と、今にして思います。
以上、二人の歌人の詠んだ歌を通して、平安の世を密かに覆った精神的な危機と、如何にそれに対して対処しようとしたかについて、短いながらも述べて来た訳ですが、ほんの軽い気持ちで書き始めたものの、これが中々どうして、実に興味深く示唆に富んだ物であったと。これ一つを取ってしても、如何に今の今まで、人の心に関する考証、研究が足りない物であったか、如何に今に至るまで人の心のないがしろにされて来たかの、何よりの証拠である様に思えてなりません。今日、この時代を生きる自分にしてからが、思わず膝を打って感嘆の声を上げる程には、まだまだこの世には未だ見出されていない数々の心の歴史が埋まっている事でしょう。そんな風に考えてみたりしちゃったりして。ハァ~、トンカラキンのオットットィ、てなもんですよ。
終
夢の間(あわひ)に~二人の歌人を通じて~ 色街アゲハ @iromatiageha
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