最終話 農夫コウ

 魔王になった俺は、魔族の面々には口頭で説明した。俺が元勇者であるにも関わらず、すぐに理解してくれた。ソラが幸せになってくれたのならそれで良いと、みんな口をそろえて言った。本当に素晴らしい部下を育てていたようだ。

 それから俺は魔王城の敷地にある森林を切り拓き、農園を作った。”大地礼賛デメテル”があればいくらでもおいしい作物を育てることができた。部下たちはみんな手伝ってくれた。誰に命令したわけでもないのに、勤勉に頑張ってくれた。

 魔族は野菜や果物のおいしさに感動し、全体的にベジタリアンになっていった。動物を殺すのがかわいそうとかいうのではない。マジで野菜が好きなタイプのベジタリアンだ。俺は嬉しかった。ようやく人――魔族とはいえ誰かの役に立てたと実感できた。

 それにしても、菜園知識ゼロなのに魔族すらも魅了する農作物を作れてしまうスキルの有能なことよ。そりゃあ普通はスローライフを選びますわな。


 しかしある日、その平和がにわかに波立つ。

 無数の蝙蝠こうもりが玉座の前まで飛んできて集まり、一つの影になった。ヴァンパイアのヴァンだ。蒼白の顔に半眼と言ういかにも不健康そうな彼も、俺の野菜にドハマりしたおかげで実は健康体だったりする。


「大変です。魔王様。勇者が橋を渡って領域に入ってきました」

「ってもなあ。みんな戦いたくないだろう? ここまで通してやってくれ。話せばわかるさ」

「恐れ多くも申し上げますが、あなたがそれを言いますか?」


 ぐっ! 20年前の傷口を抉りやがって!


「ごほんっ。まあ、そりゃあ勇者もいろいろ居るだろう。でもさ。俺みたいに人の話聞かないで自分に都合のいい解釈ばかりするやつなんて本当に稀有なんだって。二回連続俺みたいなのが来るなんてないない」

「言われてみればそうですね」


 すごく納得された! くそっ! 意見が通ったのに寧ろダメージがでかい!


 ヴァンに勇者の案内を頼むと、無数の蝙蝠となって飛んで行った。

 数分後、彼は勇者を引き連れて帰ってきた。どうやら勇者は一人のようだ。艶やかな紫檀の髪をなびかせ、胸を張って堂々と歩いてくる。銀のチェストプレートとマント。腰に携えたロングソードはまさに勇者の風体だ。彼女と視線が交わる。その瞬間、あの日の夜空を思い出した。魔王を引き継いだ、夜の美しさに感動したあの夜を。深紫の中にたくさんの光を宿した瞳が、まるで満天の星空のように静として煌びやかだったから。


「……ソラ?」


 俺は思わず玉座から立ち上がっていた。


「なっ……! なんで魔王が私の名前を知ってるのよ!」

「やっぱりそうか! 髪と瞳以外は全然違ったからわからなかったけど、魂の輝きが同じだもんな」

「ソラ様……? それは本当なのですか!」


 ヴァンが目を見開いていた。初めて彼の瞳の上側を見た気がする。


「なんで魔族に『様』付されなきゃいけないのよ!」


 彼女は困惑しながらも反論した。

 この一連のやり取りを見ていた連中が『ソラ様!』と嬉しそうに声を上げ、挙って押し寄せてくる。騒ぎになり、他の魔族たちも次々にやってくる。


「嵌めたわね! 安心させて城の中にまで誘導して、袋叩きにする算段だったってことね。くっ……! 殺せっ……!」

「いや、待って待って。早とちり……ってもまあそうなるよな。みんなごめんだけど一旦捌けてもらっていいか?」

「えー」「ケチー」「ソラ様と話したーい」「魔王が捌ければー?」「そうだよ」

「うるせぇえ! ややこしくなるだろうが! とにかくソラが怖がってるから、今は俺と一対一じゃないとダメなんだ!」


 ヴァンとゴーレムが若い魔族たちを率いて部屋から出ていく。残っていた魔族たちもそれに倣って出て行った。


「すまんかったな。わざわざ訪ねてきてくれたのに怖い思いをさせちまった」

「あ、ああ……うん」

「用件を聞こうか」


 俺がそう切り出すと、彼女はハッとして腰に携えた剣の束に手を伸ばした。


「そうだわ! あなたを倒しに来たのよ」

「まあそんなことだろうと思った。でもちょっと待ってくれ。あんたとは色々と話をしたい」

「話すことなんて」

「女神カナとは上手くやってるか?」

「なぜカナ様の名を……!?」

「まあいろいろあってな。ソラ。お前なら俺を倒せると思う。でも、倒したところで待っているのは女神からの𠮟責だぞ」


 彼女は眉をひそめる。


「えっ、魔王倒してしまったんですか!!!??? って言われるに決まってる。今からでも遅くはない。スローライフを始めようじゃあないか」

「はぁ……? スローライフ?」


 俺は玉座の隣のテーブルから、ヴァンに渡すつもりだったバスケットを手に取り、その中からトマトを取り出す。


「朝採れトマトだ。食うだろう?」

「そんな赤いの……毒に決まってる!」


 この反応も当然か。勘違いって怖いよな。でも、勘違いしている方からすりゃあ全部正しいんだよな。魔王がいい奴なわけがなくて、おいしい野菜をくれるわけがなくてさ。

 俺はトマトにかぶりついた。瑞々しい果肉がじゅるじゅると溢れ、啜る。それを見ていたソラの喉がゴクリと鳴るのを聞いた。


「うまいぞ」


 新しいトマトを渡した。彼女はトマトと俺を交互に見て、それからかぶりついた。


「ん!?」


 目を剥いてバクバクと食べる。果肉が滴り、彼女の足元を濡らした。


「こんなうまいもの! 初めて食べた!」

「そうだろうそうだろう」


 俺は得意になって頷く。


「これからみんなと朝飯だ。一緒に食べよう」

「でも」

「いいじゃねえか。あんたは強いんだ。俺なんかすぐ倒せる。いつでも倒せるように隣の席で食えばいい」

「そういうことなら……うん。そうね。腹が減っては戦もできないって言うし」

「決まりだな」


 俺はソラの手を引いて食堂へ向かう。

 彼女とはたくさんのことを話さなければいけない。まずは魔王と世界の仕組みについて。そして駄女神を救った英雄魔王ソラについて。それから、スローライフの楽しさと、人の役に立つってことの素晴らしさについて。

 あ、でもそれよりもまず先にこれだけは言っておくことにする。


「ソラ。やっぱりあんたかわいいな」

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えっ、魔王倒してしまったんですか!!!??? 詩一 @serch

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