第8話 裏切るもの

  僕は学校の屋上で一人、空を見ていた。雲一つない青空とはからっぽなのだろうか。何も持っていないくせにこんなにきれいな色をしているなら、いろんなものを必死に詰め込むのは馬鹿らしく思えた。それでも自分の今までが正しかったと思うために僕は空を眺める。

  本当はそこに何かがあるかもしれないと考え、目を凝らしていた。こんなにもきれいな空を。


「何か見つけましたか?」

「ああ、君を見つけた」


 僕が振り返るとそこには一人の女子生徒がいた。彼女は靴の色から一年生だとわかる。ショートカットで細身の体型。それは美少女というよりも美少年といった方がしっくりくるかもしれない。


「ふふ、先輩は変な人ですね。まるで私のことを探していたみたい」


 軽い冗談を受け流すように小さく笑い。彼女は僕に近づいてくる。ニコニコとしながら。もっと友達と近くで話したいとでも言うのかのように。そして一歩、また一歩と彼女が近づくたびに僕の鼓動が高まる。


「探していたさ。そして今日この場で君が来るのをずっと待っていた」


「まるで小説の一節みたいです。運命の恋、とかそういうもののことですか?口説かれちゃったのかなあ、私。えへへ、照れるなあ。みんな、あんまり女の子扱いしてくれないんですよね。クラスの男子なんかお前は最高の友達だ、なんて言ってきたりするんですよ、ひどくないですか!!」


  彼女は立ち止まり、人懐っこく僕に話かけてくる。。何も知らない人が見たらきっと恋バナが好きなふつうの女子高生にみえるのだろうけど、僕にはそれが演技にしか見えなかった。彼女の中身がそんなにかわいい物ではないことを知っているからだ。そろそろ茶番も終わりにすべきだろう。ああ、君が言う通り、たしかに小説の一節みたいだ。でも今回はラブストーリーではなく、探偵小説。運命的な出会いはここまでだ。ここからはじまるのは種明かしの時間。探偵が犯人を追い詰める。それだけなのだから。


「初めて会った時から君のことは気になっていた」

「あれ、先輩とは初めてあったと思うんですけれど」


「おいおい、“目”があったろ」

「ああ、なるほど。ふふ、目があっただけで気になるなんて、まるでストーカーみたいですね。よくいるんですよ」


 もっとも男ではなく、女の子に追われることの方が多いけど……、彼女はやれやれといった風でそう付け加えた。


「まあ、そういう意味では男の人に追われるのはあまり悪い気分ではないですね」


 どちらかというとストーカーは君だ。追いかけまわしたのは僕ではなく、君の方なのだから。一日中追いかけまわされたこちらの身にもなってほしい。


「そろそろ芝居はやめたらどうだい?」


 そう、僕の目の前に現れた後輩ちゃんの正体はワンダーセブン。おそらくは“目”を自在に操る能力をもつ者。


「ふふ。あははは。そんなに怖い顔しないでください。“僕”はまだ先輩に何もしていないじゃないですか。まあ、覗いていたのはあやまりますけど」


 彼女はナイフを取り出し、手の中でくるくると回す。さっきまでと明らかに雰囲気が変わった。やはり猫をかぶっていたか。彼女がここに来ることがわかっていなかったら確実に騙されていた。


「“僕”がワンダーセブンだってどうしてわかったんですか?偶然を装って先輩に近づくつもりだったんですけど」


 ナイフで突き刺すジェスチャーをしながら彼女は言う。気付かなかったら刺されていたのか、僕は。そのナイフのきらめく刀身から推測するに指が触れただけでも切れそうな気がする。

 そんなナイフが僕の体を切り裂くまえに慎重に言葉を選ぶ。


「自分の手の内を明かしてしまっていいのか?」

「だってもうこの手は使えないですしね」


 彼女はすっとナイフをしまう。かなり刃物のあつかいに手馴れている。とはいえ、すぐにしまったということは今すぐ僕を殺すつもりはないのだろう。見せ金ならぬ、見せナイフというわけだ。


「良かった。ナイフを向けられていては僕も落ち着いて話ができないからね」


 軽口でもなんでもなく、本心だ。“目”を操ることができるだけで、僕を殺す手段は持っていないと踏んでいたが、そう甘くはないか。とりあえず話は聞いてもらえるようなので、僕の策はまだ生きている。全然平気だよ、という顔をしながら、僕は続ける。


「さっきの質問の答えだけど、君がワンダーセブンだとわかったわけじゃない。僕に会いに来るのがワンダーセブンだとわかっていたんだ」


 そう、誰がワンダーセブンなのかは今彼女がここに現れるまで見当もつかなかった。


「あてずっぽうのはったりだったってことですか?」

「いいや、違う。“目”のワンダーセブンが来ることは確定事項だった。そのためにわざわざ見せたんだからな」


 見せたというのは当然、桃花ちゃんにボールペンを振り下ろしたところのことだ。彼女は一瞬顔をしかめてから言う。


「ああ、熱いキッスでしたね」


 キスを強調して言う彼女。いたずらに成功したかのようにニコニコとしている。まあ、僕が言いたかったことはすべて理解できたんだろう。そしてそのうえで茶化してきた。少し機嫌が悪くなるかと思ったけど、この調子なら安心だ。


 話は簡単。“目”におわれていた僕は解決策を思いついた。“目”はあくまで僕たちについての情報を集めているだけなのだから必要な情報を与えてやれば、満足して現れなくなる。そして僕はあえて“目”の前で桃花ちゃんを殺そうとするシーンを見せた。急にキスをすれば桃花ちゃんなら引きはがそうとするだろうから、殺すのに失敗することは分かり切っている。これは一見無意味な行為に見える。自暴自棄にでもなったのかと僕なら思ってしまう。しかしそれは、僕から見た場合の話だ。


「それにしても驚きましたよ。まさかあんなことするなんて思いませんでした。あなたたちはお仲間だとおもっていたのですけれど」


 しかし、敵から見た場合は違う。僕が最初から桃花ちゃんを殺すために彼女と一緒にいた屑だと。仲間の振りをしながら相手の首を狙う畜生であると。“目”を通してみているやつは思う。そしてそんな状態の二人を見せられた敵はどうするだろうか。


「“僕”と組んで死神を殺しませんか?」


 付け入るスキを見つけたと思って自信満々で現れるはずだ。こいつみたいにな。協力するのであれば姿を見せないわけにはいかない。こうして僕はこそこそ情報を集めていた彼女を白昼のもとにさらすことに見事成功した。


 だけど僕の作戦はこんなものじゃない。無力化してやる。徹底的にな!何も持たない人間の戦い方って言うのを教えてやる。


「いやだ、といったら」

「あなたにここで消えてもらうことになります」


「そうか、残念だ」


 僕は右手を上げた。その動作に何の意味もない。しかし、”目”をもっている彼女はそうは思わない。僕の不自然な動きに警戒し、姿勢を低くしてあたりを見回す。そしてすぐに気付く。何も起きていないことに。そもそも屋上に不審なものが何もないということは僕に会う前に自分の“目”を使って確認しているはずだ。それでも僕が手を上げた意味を何とかして探そうとする。そして思い出す。僕が空を見ていたことを。


「なるほど見えない武器があなたのワンダーということですか」


 何もないはずの空に目を凝らしながら、彼女はそう言った。どんなに目を凝らしても無駄だ。見えないものは見えない。お前は目に頼り過ぎだ。嘘という可能性に目を向けなかった時点でお前は負けている。


「まあ、今回は戦うために君を呼んだわけじゃないんだ」


 僕は右手を下ろした。彼女がそれを見てほっとするのを見て僕はほっとした。しっかりだまされてくれているようだ。


「死神を殺すことは出来ない、まだね」

「まだ、ということはいずれ殺すということですか?」

「?」

「いえ、あなたたち二人が共謀して僕を殺そうとしている可能性が排除できませんから」

「その可能性がないことは君が一番わかっているんじゃないか?今も見ているんだろ、死神がどこで何をしているか」

「ふふ、まあ、そうですね。彼女は今、図書館で本を読んでいます」


 僕が命を懸けているときに読書とは、うちの死神ちゃんはのんきすぎないか。まあ、彼女のことを責めるつもりはない。今回のことはすべて僕の独断だ。僕はワンダーではないし、ワンダーを倒したところで何の報酬もない。とりあえずの安全が確保できるのなら、手段は何でもいいのだ。わざわざ桃花ちゃんを用意してこの場で”目”のワンダーを倒す必要が僕にはなかった。それに二人が一緒に行動しているときにこの娘が僕の前に現れることはなかっただろう。


「彼女もついていないですね。たまたま組んだ相手がこんなに簡単に裏切る人だったなんて」

「むしろ簡単に裏切るようなやつだから形だけでも仲間になれたんだろ。そうじゃなきゃとっくに倒されている」

「唇まで奪われてかわいそうです」


 そう言ってしくしくと泣きまねをしている。ふざけているように見えるが、油断はできない。こうしている間も360度、四方八方から彼女の“目”が僕を監視している。僕の些細な動きも見逃さないように。抜け目のないやつだ。きっと僕の反応から挑発がどれくらい効くのか調べようとしているに違いない。


「柔らかかったぞ」


 僕はなんでもないことのようにそう言った。女装女は泣きまねを一瞬でやめて、


「そういう事いっちゃうのはドン引きかもです」


 なんだか急に距離ができたような気がするがそれもきっと彼女の戦略だろう。僕の動揺を誘っていったい何を企んでいる。


「死神ちゃんにはまだやってもらうことがある。死神ちゃんはあるワンダーを倒すのが目的でな。そいつを倒すまでは僕も彼女に協力するつもりなんだ」


 嘘は言っていない。そしてそこまで行けば僕の死の運命も変わるだろうし、あとはワンダーセブン同士で勝手にやってもらえばいい。かかわるつもりはなくてもこういえば、そこから先は協力できるというようにとらえてくれるだろう。


「でも、それだと彼女が強くなってしまいますよ」


 彼女は不思議そうにそう言った。


「なに!どういうことだ?」


 つい、声が大きくなる。


「あれ、エンジェルにきいてないんですか?ワンダーセブンを一人倒すごとに自分のワンダーが力をます、という説明が最初にあったはずですけれど」


 訊いてないぞ、死神ぃいいい!


 あいつ言い忘れたのか?いや、僕と協力するためにあえて知らないふりをしたってことなのだろうか。あいつ馬鹿を装っていただけだったのか。しかし、彼女のことだ。はわわ、ごめんなさい、言い忘れてました、くらい言ってきそうだ。勘弁してくれ。これじゃあ、いくら僕が天才的な作戦を立てたところでぼろが出る。


「あの。大丈夫ですか?」


 ⁉まずい。今はこちらの動揺を向こうに悟られるわけにはいかない。桃花ちゃんについてはあとで考えればいいだろう。


「わるい。僕は最近までずっと姿をかくしていたからね。エンジェルってやつにはあったことがないんだ。細かいルールについては死神にきいたこと以外は知らない」


 僕は一呼吸おいて、心を落ち着けてから言葉を口にする。


「君にもそいつを倒すのを手伝ってほしい。そちらにとっても悪い話じゃないはずだ」


 あえて理由は説明しない。必死に説得すると怪しいからな。自分で考えてたどり着いた答えの方が正しいと思いやすい。


「なるほど、なるほど。直接的に戦える力を持っていない“僕”にとって戦いで消耗した二人を後ろから刺すことができるポジションは魅力的ですね」


 僕の右耳をナイフがかすめた。


「“僕”が戦えないとしたらの話ですけど」


 彼女がナイフを投げた手にはすでにあたらしいナイフが握られている。


「なあんだ。ちゃんと当たるんだ。警戒して損した。反応も遅いし、やっぱり先輩から先にころすね。いろいろ教えてくれてありがと」


 彼女がナイフを構えて動き出す寸前、


「本当に僕とやりあうのか」


 僕は彼女に向かって歩く。ゆっくりとしかし胸を張って。


「避ける必要がなかっただけかもしれないぞ」


 彼女の顔についているオリジナルの目をしっかりと見据えながら、彼女のすぐ近くに立っていう。


「もう一回、試してみろよ。今度は頭をちゃんと狙えよ。」


 僕は強気だ。死神は言っていた、僕はまだ死なないと。殺せるものなら殺してみろ。


「え⁉あれ?」


 じっとしている彼女の手を掴み、ナイフを取り上げる。


「くっ、今のは不意を突かれただけです」


 急いで距離を取って彼女は言う。


 僕はおもむろに右手を動かす。あげる必要はない。彼女の“目”ならわずかな動きで十分なはずだ。


「協力は出来ませんが、今はまだあなたとやりあう気はありません。休戦協定を結ぶというのでどうでしょうか」


 慌てた様子で女装女はそう言った。それから女装女の手に、頬に額に“目”が現れた。僕の一挙手も見逃さないということだろうか。本気をだすとこんな風にするんだな。


「しばらくあなたたちを見るのはやめましょう。その代り、僕のことも詮索しない。そう言う休戦協定をむすぶということでどうでしょうか?」


 僕は不満げな顔で何も答えない。


「さすがにそちらに協力するのは無理です!あなたの能力で後ろを狙われたらこちらに勝ち目がない。それは不公平だ」


 この娘に後ろがあるのかが疑問だが。360度見えてるだろ、お前。まあ、あんまり追い詰めると怖い。僕が有利な状況でとっとと交渉を決めよう。


「休戦協定なんてしても信用できないな」

「信用する必要はないでしょう。破ったら分かるわけですし、お互いにね」


 彼女の中で僕がいったいどんなイメージなのか気になる。まあ、このおびえ方ならすぐに破ってくることはないだろう。1週間持てばそれでいい。


「いいだろう」


 僕がそう言うと、屋上の床を何かが這うようにして彼女の所に向かっていく。


「“目”か。そうやってしまうんだな」


 この屋上にだけでも数え切れないほどの“目”を配置していたらしい。彼女の元に向かいながら時折、瞼を開いて周囲の様子を確認するために眼球を回している。やがて、すべての“目”が彼女の体に這いあがった。


「目は口ほどにものを言うって聞くけど君の目はどれも個性的だね」


 動くのが遅いやつがいたり、変な色の瞳だったり、昨日みたふつうの“目”よりもずいぶん個性的に見えた。


「ふふ、“僕”の力もまだすべては見せていないってことですよ」


 彼女は少しだけ自信ありげにそう言った。そして屋上から出ようとしたところで僕は声をかける。


「これは純粋な忠告なんだけど、行方不明になった彼女、その子もワンダーセブンだったらしいよ」

「ああ、そうだったんですか?それなら納得です」

「納得?」

「私の目で見つけられなかったんですよ。本当に急に消えたんです。5月5日に」


 その言葉に僕はさらに悩まされることになるのであった。


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あなたは死にますby死神ちゃん 蒼井治夫 @kisser

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