3. 安息の地 パ・ルティア



 イヴァール王国でも王都の次に栄え、賑わっている“英雄の生まれた街”。


そこでは、他国との戦争や村々を襲うゴブリン軍団という凶事が立て続けに起きようと変わらぬ人の営みが行われていた。


 なぜならここは、“英雄の生まれた街”、冒険者の聖地なのだ。いかなるときも王都以上に多くの冒険者がこの街を根城としている。現在は、大半の兵が出兵している王都よりもこの街が持つ戦力の方が多いくらいだ。


故に、この街の住民たちは安心して日々を過ごしている。何が起きたとしても、冒険者たちが何とかしてくれるだろう、と。


――逆を言えば、この街こそが最後の砦・・・・。ここを抜けられてしまえば、残すは最低限の兵しか持たぬ裸の王がいるのみなのだ。


そんな街の飲食店が立ち並ぶ大通り。その片隅によく言えば歴史を感じさせる趣のある、悪く言えば時代遅れの古ぼけた酒場があった。酒場の名前は“安息の地 パ・ルティア”


“パ・ルティア”はまだ昼間だと言うのに、たいそう陽気な騒ぎ声が屋外まで響き渡っていた。

 酒場にある十ばかりのテーブルはお天道様をしり目に大酒をかっくらう、赤ら顔の飲兵衛のんべえたちに埋め尽くされていた。


「アリサっちゅわーん。もう一杯、いや二杯追加~!!」

「はーい。でも、ゴドンさん。お酒はほどほどにしないと、めっ! ですよ」

「グハハ、わかってるよ~ん。でも、だいじょぶ、だいじょぶ。なんたってぼくちん、鍛えていますから~。あ、見ちゃう? 自然美の到達点、ぼくちんの筋肉マッスルを」


 呂律の回らないゴドンと呼ばれた巨漢の大男は、パ・ルティアの看板娘アリサに、冒険者家業によって鍛え抜かれた鋼の肉体が映えるようにポージングを決める。


「ふふ。そうですね、気が向いたときに見てみます」


しかし、アリサは酔っ払いの扱いは慣れたもののようで軽くいなし、二つに結んだ黒髪をはためかせ、他の客の注文を取りに行く。


 “パ・ルティア”は親子三人で営業しているこじんまりした酒場だが、人の賑わいが途絶えることはない。


 主人の腕がいいのもあるが、アリサの包み込むような柔らかな接客が、人気の最たるものだ。アリサが所用で給仕の仕事を休んだ日のパ・ルティアの様はまるで閑古鳥が鳴くほどだと言えばその程度がわかることだろう。


「あっ、いいのー。アリサちゃんのお叱り……。ええい、わしも! もう、三杯じゃい!!」


ゴドンの隣に座っている初老男が、子供の様に「わしもわしもと」もろ手を上げ、アリサを呼び止める。その様子にアリサは困ったものだと軽くため息をいて言った。


「もう、バラフィットさん。お年を考えて下さい。そんなんじゃ、お孫さんの顔を見れませんよ?」

「ムムム、痛いとこ突かれたわ……。いや、せがれもいい歳なのに、中々いい人が見つからないようでの。わしもどうしたものかと――そうじゃ! アリサちゃん。どうじゃろうか、うちの倅なんて。 わし、アリサちゃんに『お義父さん』なんて呼ばれたいの~」

「……えっと」


「馬鹿もん! 娘はやらん。何処にも、やらんぞ! バラフィット、オマエ出禁!! いや、むしろ、この世――」

「アンタ!!」


 厨房から響くアリサの養父の声が聞こえたと思うと、それを遮る様に響く養母の声とゴンっと鳴る鈍い金属音が鳴る。

 それを聞いて自分が養父母に愛されていることを改めて実感するアリサは、少し困ったような顔をしながら目の前の初老の男に言う。


「……あはは。もう、パパったら。……すいません、バラフィットさん。その、私にはまだ早いというか、その、面倒を見なきゃいけない子がいるので。……そういうのはまだ考えていません。……えっと、その、注文がたまっているようなので私はこれで」

「あっ、アリサちゃん。……行っちまったわい。しかし、『面倒を見なきゃいけない子』、か。……分かってはいたが、あの子増のことことよな、……難義な」


バラフィットと呼ばれた初老の男は、急に酔いがさめたかのように渋面を作りどこか痛ましそうに呟く。それと同時に、


――カランカラン


 来客を告げる鈴の音が鳴った。


その音に、アリサは両の手いっぱいにエールを運びつつも器用に首だけをひねり、いつものように満面の笑みで出迎える。しかし、その表情は瞬く間に驚きへと変わる。


「はい、いらしゃ――って、ラッヘぇ!? ど、どうしたの、その傷?」


そこに居たのはアリサと同じ孤児院出身の少年、ラッヘ・フリーデンだった。


「やあ、アリサ。とりあえず軽く食べられるものを。もう、丸一日食べてないんだ」

「そ、その前に、治療院でしょぉ!?」

「え、大丈夫だよ。ほら、ちゃんと止血したし、寝ていれば勝手に治るよ。それよりお腹が減っちゃってさ。あ、お金なら大丈夫だよ? 気づいたらいつの間にか死んでいたんだけどさ。あの鳥、実は随分な懸賞金がかかったままで――」


 アリサは普段の接客では到底見られないであろう、非常に取り乱した声を上げるが、当のラッヘは軽い調子で答える。


ラッヘの格好は酷いものだった。


体中にところ狭しと赤黒く変色した血痕がこびり付き、両腕は火傷を負い・・・・・、火ぶくれ、膿み、ついでとばかりに体中は煙突掃除でもしたかのようにススで覆われていた。

 身に着けている皮製の鎧も焼き焦げ、穴だらけ。止血をしたと言ったが重要な臓器を必要最小限行っているだけで、生傷があちこちにあり、今もなお血を滴らせている。 


 生きているのが不思議なくらいだ。墓地をさまよう不死人アンデットだって幾らかマシな恰好をしていることだろう。


「バ、バカ!! ちょっと、こっちにきて。簡単な治癒の魔術くらいならできるから」

「え? いいよ。これくらい・・・・・で大げさな……」

「アリサが! 治療してあげるって! 言ってるの!」


 目じりに雫を溜めながらアリサは叫んだ。

気を高ぶらせたせいで、つい接客用の口調も崩してしまう。客商売なので穏やかな態度を心がけているが彼女は元来、気の強い少女なのだ。


 あまりの剣幕に、“パ・ルティア”に通って日の浅い客たちは驚きに目を見張り、常連の客たちは「また始まったか」とでも言うように軽くため息をつく。

 アリサの養父に至っては厨房から飛び出てきて、まるで親の仇でも見るような目でラッヘをにらむが、再び金属音が鳴り響いたと思うとスゴスゴと職務に戻っていった。


「……わかった、わかったから。耳を引っ張らないでくれよ」

「バカ、ダメに決まってるでしょ。あれっっほど、優しく! アリサが危ないことはやめてって言ってあげたのに。また、こんな傷だらけになるなんて……バカラッヘにはこれくらいの罰、当然だわ!!」


 ラッヘは深いため息をつくと、諦めたのかされるがままに耳を引っ張られて酒場の奥にあるアリサたち家族の私室へ連行されていく。

 

 ラッヘとアリサは五年ほどの付き合いだ。それは、ラッヘがこの街の孤児院に住み始めてからずっと、と言う事になる。

 孤児院での生活の時からラッヘは人を寄せ付けない壁を作っていたし、周囲も異様な雰囲気を漂わすラッヘを気味悪がって近づかずにいた。

 そんな中、ただ一人ラッヘの世話を焼いたのがアリサだった。


 ラッヘも最初は煙たがっていたが、幾ら追い払っても、追い払っても、ケロリとした顔で近づいて来るアリサに根負けし、最終的にはアリサの“お世話”を受けることになったのだ。

 この関係は、孤児院を卒業し、アリサが養子となり、ラッヘが冒険者となった今もなお続いている。


「……どうして、そこまでするんだよ」


 思わずこぼれ落ちてしまった言葉に、何を今更とアリサは胸を張って答える。


「もちろん、アリサがお姉ちゃんだからよ!」

「……僕と血の繋がりはないよね」

「それでも! 孤児院のみんなは、姉弟よ!」

「……僕の方が一つ年上じゃなかった?」

「……そ、それでもよ! アンタってば、アリサが世話しないとすぐダメダメになるじゃない。だから、生活能力のないラッヘよりアリサの方がお姉さんよ!」

「……アリサの方がバカだね」


 余りの暴論にラッヘは肩を落とす。だが、その口元は無意識なのだろう、わずかにほころんでいた。それは、普段の彼の相貌そうぼうからは到底考えられない穏やかな笑みであった。


「おい、待てよ」


 しかし、その笑みもテーブル席から投げかけられた一人の若い男の声ですぐさまかき消える。


 声の主は、見たところ、成人になったばかりの男で、パ・ルティアに通って日が浅い者のようだった。

 酒に飲まれたのか、赤ら顔だ。男はふらつきながらも立ち上がり、大声で唾を飛ばすようにラッヘに言う。

 

「テメエ、コラ。オイラたちみんなの天使のアリサちゃんに向かって、馴れ馴れしいじゃねえか?あぁん?」

「あ、あの、大丈夫ですよ。別に――」

「いいんッス。いいんっスよ、アリサちゃん。わかってますから。コイツが同じ孤児院どうきょうだったから遠慮してるんスよね? かわいそうに、口調まで変わって……。でも、大丈夫! オイラがビシッと言ってやるッス。この詐欺師に!」


 つまんでいたラッヘの耳を離し、なんとか営業スマイルでなだめようとするアリサの言葉を聞かず、「オイラはわかっていますから」と胸を叩く男。周りも客もどこかあきれ顔だった。

 アリサは「わかってないわよ」と小さく呟き、うっすらと顔にあおすじを浮かべる。

 ソレを見て、後からの八つ当たりが怖いな、と思ったラッヘは早く終わらせようと男に話しかけるのだった。


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