緋色の髪の少年
vs怪鳥・【穿つ天空の主】
1. それが間違いなのだから
緋色の髪と瞳を持つ少年、ラッヘ・フリーデンは忘れない。あの日の事を。あの
◇
それは日も落ち切った夜更けに起きた。
いつもの様にラッヘはアートムヴァッフェに彼の冒険譚をせがもうとしたその時だった。
アートムヴァッフェを恐れ、魔物の一匹たりとも近づくことのなかったその家に突如現れた雌雄の魔物。
それは、この山に住んで十年と少しとなっていたラッヘが今まで一度たりとも見たことのない魔物だった。
金髪をたなびかせる息を飲むほどの美少女とこれまた整った顔立ちの銀髪の青年。
一見、人間の様にも見える。しかし、鋭い爪や恐ろしく尖った犬歯、そして何より内に秘める恐ろしいほど凶悪な魔力がそれを否定した。彼らは、魔物の最上位種、亜人型の魔物だったのだ。
彼らは、山に潜む魔物達と一目で隔絶した存在だとわかる圧倒的な魔力を身にまとい何が楽しいのか口角を上げ、さも愉快だと言うように嗤いながらラッヘ達に襲い掛かってきたのだった。
ラッヘは、その余りにも突然の出来事にただ呆然とするしかなかった。
二人の魔物の動きは余りにも速く、ラッヘの目に止まることは無かったのだ。
彼が理解できたことは身の毛もよだつ凶悪な魔力を持った魔物が急に我が家に侵入したかと思えばフッと姿が消え去った、ということだけだった。
だから、ラッヘはアートムヴァッフェに今のは何だったのかと聞こうとした。愚かにも無防備に魔物がいた場所から背を向けて。
「ねえ、おじいちゃん。さっきのって――」
「馬鹿もん! 背を向けるなぁ!!」
「え?」
今まで、一度たりとも聞いたことのないアートムヴァッフェの怒声に驚く暇もなく、ラッヘはアートムヴァッフェに突き飛ばされ床を転げる。
同時に、固いモノがぶつかり合う様な激しい音をたて、その余りの衝撃で家が叫び声をあげる様に震えた。
「お、おじい……ちゃん?」
何が起きているのか、てんでわからないままのラッヘは突如響いた大きな音に驚きながら立ち上がり、アートムヴァッフェの方に向き直った。
「――え?」
「うむ、無事か坊?」
世間話でもするようにほがらかに笑うアートムヴァッフェ。しかし、目線はラッヘを見ずに前を向いたままだ。
彼は立てかけてあったロングソードを
「え……左手? ――っ!?」
利き手である右手で剣を持たないことへの疑問はすぐに解決した。
アートムヴァッフェの利き腕であるはずの右腕は、肘の辺りからバッサリと切られていたのだ。自分をかばったせいだとラッヘはすぐに理解した。
「あら? あらあら!? すごい! すごいわ! 私達の一撃を、受け止めるなんて! あなた、本当に人間なのかしら? うふふ、ねえ、ヴラド。今晩の散歩は最っっっ高よ! 素敵だわ!!」
「ああ、僕もうれしいよ、エリザベート。たまたま目に入った山小屋だったが、これほどの掘り出し物だとはね。なんとも遊びがいのある
自分たちの攻撃が受け止められたことが大層愉快だと笑う二人の魔物、エリザベートとヴラドに、アートムヴァッフェはやかましい奴らだと辟易とする。
彼は、強大な存在を前にしていながらも気おされることも、臆することもなく、自然体であった。
利き腕を失ったようには到底見えず、その有り様は彼がこのような修羅場を幾たびも乗り越えてきた歴戦の戦士であるということを否応なしに証明していた。
「お、じ……おじいちゃん! う……腕が!! ぼ、僕のせいで……」
「なに、気にするでないわ、坊の命の対価には安すぎるものじゃ。それに、腕の一本や二本、ちょうどいいハンデじゃわい。ふん!!」
「きゃ!?」
「な!?」
アートムヴァッフェは気合と共につばぜり合いの形になっていた二人の魔物を人外じみた腕力で屋外に吹き飛ばす。
「あの牙、ヴァンパイアか。日が落ちてなかったらコレで片が付いた……いや、あれは上位種【
ため息と共に呟くアートムヴァッフェ。彼は背後から聞こえるすすり泣く声に、前を向いたまま好々爺然とした口調で言う。
「坊よ。安心せい。わしはどんな魔物にだって負けない、そうじゃろう?」
「うっ、うん! おじいちゃんは“最強”だよ。負けるわけがないんだ!」
零れる涙を袖で拭いたラッヘは首がちぎれんばかりに上下に振る。
目を向けずとも想像に難くないラッヘの様子にアートムヴァッフェは苦笑しながら「なら問題はないじゃろ?」と剣を肩に担ぐ。
「坊は、山の中に隠れているといい。次にわしが坊に話してやる冒険譚は『片手で二人組のヴァンパイアを倒した偉大なわし』の話じゃ、期待して待っておるといい」
悔しさに唇を噛みしめ、ラッヘは無言で頷く。自分が足手まといだと理解したのだ。
彼は、アートムヴァッフェの反対方向に位置する窓から家を抜け出し、山の中に駆けていった。
齢十二となり、近頃はアートムヴァッフェに手ずから稽古をつけられているラッヘは山に狩のため一人ですでに何度も入っている。すでに山は自身の庭みたいなものなのだ。山に住む魔物にも後れをとることはない。
「……坊よ、強く生きるのじゃぞ。わしがおらんでもな」
ラッヘが山の中に消えていくのを気配で感じとり、アートムヴァッフェはそう呟くと吐血する。
先ほど受けたエリザベート達の一撃は魔力の帯びたものだったのだ。それは、アートムヴァッフェの剣を
「なに、タダでは死なん。冥土の土産じゃ。貴様らを倒し、坊が人生を
血をぬぐい、長年の付き合いである
アートムヴァッフェは最後に、悪童めいた笑みを浮かべて言うのだ。
「ククク、ウソは言っていないぞ坊よ。いつ聴かせるとは言っていないじゃろ?」
――そう、男の悪癖は終ぞ直ることはなかったのだ。
◇
「大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫。だって、……だって、おじいちゃんは“最強”なんだ。あんな魔物なんかに負けるわけがない」
一時間ほど走り、山奥にあった洞穴に身を隠したラッヘは遠く離れたはずのここまで響く、地鳴りの様な戦闘音が聞こえる度に呪文の様に呟く。
涙や鼻水に顔面をぐちゃぐちゃにして嗚咽を吐きながら。それは自分に言い聞かせる様であった。
激しい戦闘音は日を
「お……、おわった?」
泣き腫らし、目を赤くしたラッヘは恐る恐る洞穴から顔を出す。そして、ゆっくりと、ゆっくりと、亀の様な歩みで元来た道を行く。
「あ……、日の、光。そう言えば、おじいちゃんがアイツらはヴァンパイアだって……。だったら、だったら!!」
顔を出しつつある日の光を見て、ラッヘは走り出す。
ヴァンパイアが日の光に弱いというのは周知の事実である。そして、日の出と共に戦闘音が止んだのだ。そこから考えられることは一つだった。
ラッヘは、駆けた。ほのかに笑みを浮かべ、ウサギもかくやという軽やかな身のこなしで、木々の間を駆けて行った。そして、ラッヘは目にしたのだ――
「……え?」
天変地異が起きたのかとさえ思われる程えぐれた大地、
そこにアートムヴァッフェの姿はなかった。
「あ、あれ? どこにいるの? お、おじいちゃん。勝ったんだよね? ほら、日の光! これで倒したんだよね? し、知っているんだよ、僕だって。ヴァンパイアは日の光に弱いって! ……だから、だからさあ!! もう、意地悪はやめてよ……。言ったじゃん。次の話は『片手で二人組のヴァンパイアを倒した偉大なわし』の話だって!!」
ラッヘの言葉に返答はなく、彼の叫びは虚しくこだまが響くだけであった。
◇
祖父が死ぬはずがない、その思いを糧に山をうろつく。どこかで、隠れていつもの様な意地の悪い笑みをうかべて、自分を笑っているのだと考えながら。
数十日、行く手を遮る魔物達を殺しつくしながら、山の中を隅々まで、アートムヴァッフェを狂ったように探すが見つからない。
もしかしたら、ケガをして山を下りて近くの村や町の医院で治療を受けているのかもしれない。そう自分に言い聞かせ、山を下りる。
入れ違いになったらいけないと、小屋があった周辺の地面に村に出る旨を記すことも忘れなかった。しかし、その間、乾燥し赤黒くへばりついている血痕を視界に入れることは一度もなかった。
ラッヘは、目に付く周辺の村を手当たり次第に探した。とうの昔に靴は擦り切れ、足の裏は血にまみれている。
――しかし、そんな
視界はかすれおぼつかなく、空腹に腹の虫が怒声をたてる。もう何日もまともな食事をしていないのだ。
――しかし、そんな
耳の中で羽虫が這いずり、駆け回るような不快な耳鳴りがするようになる。余りの騒音に唯でさえ寝付けない夜がより一層ひどくなる。
――しかし、そんな
ラッヘは祖父を探し続けた、自身の体の不調は気にしなかった。どうでもよかったのだ。
――なぜなら、“最強”のアートムヴァッフェ・フリーデンが死ぬわけがないのだから
◇
――ソレは、このあたりでも大きな町の広間にあった。
すでに彼は、
ラッヘいつ倒れてもおかしくない体にむち打ち、導かれるようにその喧噪の聞こえる場所に向かっていった。そこは、町の医院とは全くの逆方向だった。
ラッヘ自信、なぜそこに行こうとするのか不思議であった。
疲労でよどんだ思考の中で「早くおじいちゃんを見つけなきゃいけないのに、なぜ自分は見当違いの所にむかっているのだろう。はやく引き返して、町の医院に向かうべきなのに」と考えるが体はまったくいう事を聞かず黙々と歩を進める。
歩を進める度に、今の今まで冷え切っていたはずの体が
同じく先ほどまで動いているのかさえ怪しかった、心の蔵が飛び出すかと思う程に壊れた玩具のように音をたて脈打ちだす。
霧が覆っているかのように
疲れ果て、鈍くなっていた感情がせき止めたビンが外れたかのように噴き出す。
羽虫が耳の中をのたくり回っているかのような不快な耳鳴りもピタリと止む。
あまりにも、唐突な体調の変化にラッヘは驚きを隠せない。
「一体なんだというのだろう。僕の体に何か異常が? だったら、尚さら医院に向かわなきゃ――」そう考える。そうしなければならないと。しかし、
――目を背けるのは許されない。
まるで、そう言われているかのようにラッヘの意志に反して、彼の足はよどみなく歩を進める
そうこうしているうちにラッセは喧噪の中心の広場に近づく。どうやら、広場の中央にあるモノを見て人々は騒ぎ立てているようだった。歩を進める度に、勝手に耳に入る、
「最強の戦士」 「【
「まさか」 「死」 「ヴァンパイア」 「むごい」 「負けた」
「……やめて、くれよおぉ。聞きたくないよぉお、……見たくないよぉぉぉ」
思わずこぼれる、
「あ、あり……ありえないんだ。……だって、だって! “最強”なんだ、“英雄”なんだ! 言っで、言っでだもん。まげないっで!!」
自分に言い聞かせるように声を張り上げる。それでも、歩は止まらない。突き進む。
思い違いだと
いや、本当は知っていたのだ
勘違いだと
その噂は嫌と言う程、道中に聞いた
気のせいだと
ただ、気づかないふりをしていただけ
ありえないのだと
ずっと、この町に来ることを避けていた
これは夢なのだと
それを現実だと認めたくなかった
否定して、否定して、否定して、否定して――
そして、たどり着いた広場の先に待ち受けていたものは、
「お……お、おじぃ、ひぃっぐ……ぢゃん」
体中、至る所に細長い鉄の釘で串刺しにされ、広場の時計塔に磔にされた、血まみれの変わり果てたアトームヴァッフェの姿だった。
そして、ラッヘの視界は黒く染まり、糸の切れた操り人形の様に力なく崩れ落ちた。
ラッヘが目を覚ますとそこは知らない天井だった。
「あ、起きた! 先生~!! 起きたよ~!」
ラッヘと同い年程の黒髪の少女が、目を覚ましたラッヘを指さしながら叫ぶ。
そこはどうやら、町の孤児院であった。祖父以外に身寄りのないラッヘはそのまま、成人になるまでの3年間を過ごすこととなる。内に黒い復讐心に燃えながら。
◇
おじいちゃんは、“人類最強”だって? 違う、“最強”だ、頭に無駄な言葉を飾るなよ。それは間違っちゃいけない、間違っちゃいけないんだ。
おじいちゃんは、僕がこれからどれだけ血反吐を吐いて修練しても到底たどり着けない高みにいたんだ。
馬鹿どもは、わかっちゃいない。
「やっぱり、魔物は恐ろしい?」「人間が魔物とさしで戦うことなんてできやしない?」「アトームヴァッフェ・フリーデンも、やはりあの悪名高い【
違う! 違う! 違う!! お前らは、何を勘違いしているんだ!? おじいちゃんは、アトームヴァッフェ・フリーデンは、“最強”なんだ。負けるわけがない。そうだろ?
そうだ、間違いなんだよ!! だから、僕が証明して見せる。僕があのクソヴァンパイアどもを殺してやればわかるはずだ、僕なんかに殺されるそんなザコが、あの【
だから、待っていてね。おじいちゃん僕が証明してみせるんだ。おじいちゃんが‟最強”だってことを。
壊れた少年は猛る。祖父の名誉を取り返すためだと、間違いを正すためだと。
憎きヴァンパイアを殺すために。
人々に身の程知らずだと馬鹿にされようと、夢をみるなよと鼻で笑われようと、気にも止めずに。
淡々と、淡々と、ただそれを為すためだけの機械であるように。
彼の緋色の瞳はとうに光を失くし暗くよどんでいたのだった。
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