2. 【不倒の狂気】
イヴェール王国が他国と戦時中であろうが、突如現れたゴブリンの軍勢に手を焼いていようが、そのような人間の事情は魔物達にとって全く関係ないことだ。
彼らはお構いなしに本能のおもむくまま、侵し、奪い、喰らい、そして殺す。
故に、主要な街では最低限の戦力が存在する。騎士団や、そこを拠点とする冒険者、有志の自警団などが、自身の縄張りから離れて
彼らは、今現在行われている不毛な人間同士の争いに毒づきながらも日夜、魔物との血で血を洗う争いを続けているのだった。
そんな中、何を考えているのか、たった一人で魔物がはびこる街外れの荒野に向かっている少年がいた。
乾燥した風が少年の艶を失ったボサボサの緋色の髪をなであげるが、そんなことはお構いなしに虚ろな緋色の瞳をぼんやりと空に向けている。
少年、ラッヘ・フリーデンの視線の先には、荒れ果て草木の一本も生えていない干からびた大地に存在する唯一の巨木。それは威風堂々と大地に根を下ろしていた。
大の大人が十人輪になってもとうてい
ラッヘは巨木をゆっくりと見上げていき、視線を丁度幹が枝分かれするところで止めると、彼は濁りきった瞳をゆがめ、口角をひくつかせて
そして、腰にある巾着袋から、バラの意匠をあしらった金細工のブローチを取り出し、視線の先に掲げる。
「……ほら、王様。貢ぎものだよ?」
掲げたブローチの先には空を統べる孤高の王者、【
金属を思わせる光沢と頑強さを持つ暗褐色の翼。
獲物の肉をえぐりとるために特化した鋭く尖ったくちばし。
全てを見通すような満月の如き瞳。
全長三メートルを超す巨体。
まさしく怪鳥との言葉がふさわしい存在がそこには存在した。
ラッヘの言葉が聞こえたのか、【
「ははは、慌てんな、よっと!」
ラッヘはブローチを天高く投げる。【
その様をしめたとばかりに、ラッヘはすぐさま大地を駆ける。
「――――――!!」
「ははは、――何いってんのかわからねえよ」
接近してくる、ラッヘに気づき、まるで礼儀を知らぬ不届き者に怒りの声をあげるように【
その衝撃に大地は揺れ、雲は割れ、ラッヘの耳からはおびただしい量の血が流れる。しかし、ラッヘはそれを全く意に返さずに、【
「いいから、死ねよ」
「――!?」
数舜の間で、
「――!!!」
「っち!!」
切り裂こうとしたところで【
避けようとラッヘが体勢を崩した隙に翼をはためかせ、空高く舞い上がりその姿は雲の中に消え去っていった。
逃げたのではない。【
「ははは。やっぱり、そう簡単にいかないよね。まあ、僕だって
未だ血の流れ出る耳へ無造作に布を詰め込み、ラッヘは空を見上げる。
――刹那、空がキラリと輝いた。
「とっ!?」
ラッヘが反射でその場から飛びのくと、先ほどまでラ彼が居た場所はまるでキラービーの巣の様に穴だらけになっており、その穿たれた穴の奥には各々、金属のような光沢を放つ
これこそ、【
その金剛石以上の硬度を誇る翼は魔力を帯びることで鏡のように周囲の風景を反射し、
そこから放たれる不可視の羽の一撃はまさに正確無比。これまでに幾人もの冒険者の命を奪う凶弾となった。
◇
【
“人類最強”の死に動転し、混乱していた人々に【
さらに、凶事と言うのは立て続けにおきるもので、その頃のイヴァール王国は貿易の要となる鉄鉱石の価値の暴落真っ只中であった。滅亡の境をさまよう国に、もはや魔物へ労力を割く余裕はなかった。
そこで取られた苦肉の策が討伐ではなく抑止。
【
その策は上手くいった。【
もちろん、これに否を唱えるものも多くいたが、大空を自由自在に飛び回り、目にも映らぬ不可視の存在をどうにかできる者は居らず、貴金属を与えてさえいれば被害は無いに等しかったのでどうすることもできなかったのだ。
◇
息のつく間もなく、縦横無尽に次々と放たれる。ラッヘは時折聞こえる風切音と放たれる羽根が日光を反射する光だけを頼りに、不可視の凶弾を避け続ける。
さすがに足場が悪いと判断し巨木から飛び降りるが、逃がしはしないと言うように、数十の凶弾が四方から放たれる。
翼を持たず、重力に囚われている人間に避ける術は無い。
「はははは! そう、ソレだよ! ソレだ!
そんな状況でもラッヘは嗤う。たいそう愉快そうに嗤うのだ。
そして、長年イヴァール王国の空を支配していた天空の主に、お前はただの
そう、彼の瞳には唯の一度も【
【
「――――――!!!!」
言葉がわからずとも、
「ははは、王様ぁ? 空の王者ぁ? 笑わせるないでくれよ鳥風情が!!」
ラッヘは歪んでいた口元がピタリと真一文字に閉じた。彼の瞳に、
魔術で形成した【鎧】を片手に
その円の動きは、形は違うがどこか【
――すなわち、“受け流し”の技術。
「――!?」
「ぐがっ」
【
しかし、ラッヘも流石に片手だけでは無傷とはいかず、致命傷だけはどうにか避けたようだが、脇腹、右太もも、左肩に大きな風穴を空けていた。
そのままラッヘは羽に穿たれた勢いで、叩きつけられるように落下するが、どうにか魔術を駆使し何とか受け身をとり、慣れた手つきですぐさま魔術による最低限の止血を行う。
止血はしたが、穿たれた手足では身動きもろくにできず、【
明らかに絶望的な状況の中、ラッヘはハっと何かに気づいたように目を見開いたと思うと、壊れたように笑いだした。
「はは、ははは、ははははっはは!!」
それは、恐怖に
――彼は当の昔に
「ああ、そうだ忘れてた。何で気づかなかったんだろう?
ゆらり、と幽鬼の様に力なく立ち上がる。
穿たれ、風穴からおびただしい血を流す四肢を無理やり動かす。痛みに顔をゆがめることはない。
――いや、これじゃアリサにまた……
ふと、ラッヘの狂気に支配されている脳裏に、そんなことが浮かぶ。しかし、その思考は風切り音と共に襲い掛かってくる凶弾の対処にすぐさま塗りつぶされていった。
迫りくる不可視の羽から、致命傷を避けるためだけの必要最低限の回避を行うが、風切り音が聞こえる度に胸が、腕が、脚が、頬が、浅いとは言えない傷を負う。
だが、それでもラッヘが倒れることは決してない。恐らく彼の四肢がもげようとも、心の蔵を潰されようとも、彼が地に伏すことはないだろう。
彼を動かすのは肉体などではなく、汚泥の様にこびり付き落ちることのない形容できぬほどの狂気なのだから。
それこそが、ラッヘ・フリーデンが【
「――さあ、正そう間違いを」
――そして、次はゴブリン共を。
自身の血に濡れ嗤うラッヘは、もはや人と呼ぶには余りにも外れていて、禍々しく、その姿はまさしく悪鬼と称するに相応しかった。
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