4. 枯れた感情
エリザベートとゴブリン達が戦いを繰り広げた場所から、さらに森奥深く入ったところに木を伐採して作られた広間、そこはゴブリン達の住処であった。
巣というよりは放浪の民が用いるような木や布でできた数十ほどの移動式のテントや幌馬車を用いた集落のようだった。
そのテントの中でも一際大きく立派なテントの中に、二人のゴブリンの男女がいた。
二人は机に向かい合ってイスに座りながら、何やら話し込んでいる。どうやら、今後の展開を話し合っているようだった。
メスゴブリンの方は、どこかイスの座り方がぎこちない。彼女は顔をしかめ、「やっぱり、いつまで経っても慣れないわね」とぼやいていた。
本来、ゴブリンの巣とは洞窟や開けた場所に雨風の凌げる程度に、わらや木の枝を使って屋根を作る程度なのだ。
実際、この集落は異常と言ってよかった。しかし、彼らは”人の
部屋の内装は、本人の性格か、はたまた
そのため、ベッドに無造作に置かれている数冊の本がことさら目立つ。人間から奪いとったのだろう、本の中には無数の切り傷があったり、赤黒い血痕が付着しているものがある。
昼を少し過ぎたころに今後の話が一段落し、内容が雑談に移り変わる。
「――勝ったのね、ヴィレ。あたしたち、あの【
今でも信じられないわ、しんみりと呟くメスゴブリン。オスの体と比べると、ほっそりとした体を持ち、ふっくらと乳房が膨らんでいるのがわかる。
人間の魔術使いが好んで用いる
「……まだまだこれからだ、サン。今回で俺達の力が奴らに通用することがわかった。だが正直なところ、あの
ほれ、とイスに立てかけていた、ロングソードに魔術をまとわせて、サンと呼ばれたメスゴブリンに掲げて見せる。顔に傷持つゴブリン、ヴィレ・エーデル。
サンと呼ばれたメスゴブリンは、“人間”と聞いた途端、苦虫を噛み潰したように顔をする。そこには確かな憎悪が込められていた。
人間に良い感情を持つゴブリンなどいないが、サンは特に顕著だ。“人間”という言葉を聞くだけで気の小さい者なら腰を抜かせてしまうほどの険しい顔を浮かべる。
戦う術であるとは言え、”人の術”を使うことに人一倍拒否感を示したのも彼女だった。
それで、サンが最も
ヴィレはまた始まったなと思いながらも、サンをなだめようと口を開こうとするが、
「分かっているわ『――使えるものは何でも使う、俺たちの目的のために』でしょ?」
サンはご丁寧にも常にピクリともしないヴィレの仏頂面と合わせて、彼の口癖をまねる。
すでにヴィレには嫌という程、それこそ耳にタコができるまでに、これまでの
似てたでしょ? とサンは顔まねを崩してから、先ほどまで胸にあった人間に対する憎悪放り捨てる様に、いたずらっぽい笑みを浮かべて肩をすくめる。
――彼女も理解しているのだ、”人の
魔術に武術、集団戦法等の戦い方から、生活の知恵に至るまで、ヴィレのもたらした”人の
だから、道中返り討ちにした冒険者の魔術師から奪い取った、魔術の威力が向上するという帽子だって、嫌々ながらも使っているのだ。
「……俺は、そんな無愛想な顔をしているのか?」
「あきれた、自覚がなかったの? 驚きよ、あたし。試しに笑ってみなさい。きっと表情筋がつるわよ」
「これでも意識して表情を作っていたつもりなのだが……。俺の感情はもうほとんど枯れてしまっているようでな。“楽しい”だとか“うれしい”とかそんな感情にひどく鈍くなってしまっているようなのだ。まあ、
「――っ!!」
ヴィレはにやり、と顔を崩す。しかし、その顔はどこかウソ臭く、瞳には全く感情がこもっていない。エリザベートはものの見事に騙されたが、普通ならすぐにどこか違和感を抱くハリボテだ。
ヴィレの瞳はどこかココではないどこか遠くを見つめているようで、今にも
サンは慌てて、イスから転げるように立ち上がると、ヴィレの存在を確かめる様に、つなぎ止める様に、勢いよく抱き着く。
ヴィレはコブリンにしては大柄であり、小柄な人間の大人ほどの背丈があるので抱き着いたサンは、ヴィレの胸に包まれるようになる。
突然のことに面食らったヴィレだが、サンのあまりにも真剣な顔にそのまま成すがままに受け入れる。
――そのまま十数分の時が流れた。
「……流石に、そろそろ離してくれないか?」
「――えっ!?え、えっと。これ、これはね? そう! あれよ、あれ! その、あれっていうのは……。なんというか」
途中からヴィレの筋肉質な体に包まれる心地よさに時間を忘れて惚けていたサンは、ヴィレの言葉にはっと我に返り、どう言い訳したものかと顔を真っ赤に染めながらあたふたと言葉を探す。
その様に、ヴィレの口がわずかにほころぶ。それは先ほど彼がしたまねごとのハリボテではない、ほんのわずかにだがたしかに感情のこもった顔だった。
それを見たサンは、目を丸くしながらも安心したように穏やかな笑みを浮かべる。
「なんだ、笑えるじゃない。何が『感情はもうほとんど枯れてしまっているようでな』キリッ、よ。
サンの言葉に、ヴィレは不思議そうに自分の口元を触る。全くの無意識だったのだ。そのヴィレの様におかしいような、うれしいような、そんな気分になったサンは、胸を張ってヴィレに人差し指を突きつける。
「だから、覚悟なさい。これからあなたを笑わせまくって、そのカッチコッチに固まった表情筋をふにゃふにゃにほぐしてあげるわ。……そういう日が来るって、そう思っていいわよね。あなたが、みんなが、笑っていられる。そんな日が訪れるって」
しかし、楽しげだった彼女の顔を最後はどこか不安げに曇り、ヴィレの顔を上目遣いに見上げる。
戦う力を手にした今でも、彼女の中にどこか信じきれない臆病な自分がいるのだ。
ヴィレが語る、誰もが一度は夢見て決して手の届かないことにいつしかあきらめてしまった、そんなウソみたいな
「……ああ、そうだな。その通りだ。そのために来たのだ、この地に。俺たちの
ヴィレは無表情ながらもしっかりとした声で断言した。
元々、ヴィレ達はこの地、――大陸の北端に位置するイヴェール王国に居たわけでない。道中に増えた仲間もいるが、彼らはココよりはるか南方の地から旅してココまできたのだ。
なぜ、彼らがこの地に来たのか? それは、この地が最も彼らの目的を達しやすいからだ。
――そう、彼らの
◇
陸の北端に位置するイヴェール王国、死後もなお人間の中で絶大の人気を誇る英雄、【
大陸で使用される鉱石類の実に3分の2を排出量を占める大国である。
周囲を険しい山々で覆われており、国自身の標高も高く、凶悪な魔物も
しかし、乾燥した大地で、年中寒く穀物も育ちづらい、おまけに辺りは魔物だらけ、端的に言って、鉱石以外あまりおいしくない土地である。
他国からしてみれば、わざわざ労力を割いて侵略するよりも大人しく貿易していた方が得なので、そもそも攻められることなどない、平和な国であった。
食料などを主に他国との貿易に頼っていたが数年前、鉱石に代わる新素材、海ならどこからでも取れる夢の様な資源である海結晶石の発見によってイヴェール王国の価値は激減した。
わざわざ山を越えて取引する価値がなくなってしまったのだ。
鉱石の発掘量にモノ言わせ、ほとんどの物資を輸入に頼っていた王国には、他にこれといった産業もなく。イヴェール王国は目に見えて衰退していった。
焦った国王は、周辺国と戦火を開く。
厳しい土地柄故に兵の錬度には自信があり、武器の素材にも事欠かない国だったことも拍車をかけたのだ。
現在は、イヴェール王国は、隣接する3つの国を相手取って戦争を行っている。 相手国は、わざわざ敵に地の利のある王国に攻め込む愚を犯さず、防戦の構えをとっている。
如何に錬度に自身があろうと、重装備に身を包んだまま山を越えては疲労が出てくる。それ故、現在両国は一進一退の攻防を繰り広げている最中だ。
◇
「サン、王国宛に送った
「うーん、多分読まれたとは思うけど? なんの反応もないわね。……なめやがってクソ人間共、今すぐ殺しに行ってやろうかしら」
「いや、それでいい。奴らは今、
ヴィレの言葉にサンは首をかしげる。それのどこがいいのだろうかと。それを見たヴィレは、「仮にも副リーダーだろ」と変わらぬ無表情のまま苦言を述べて、言葉を続ける。
「――俺達がこれから多少暴れても、弱小の魔物のやることだからと大した対策も行わないだろう。大人は子供が悪戯したからって本気で怒ることはない、それと同じことだ。せいぜい、冒険者一個パーティをぶつける程度が関の山だろう。」
「む~~。なんか、あたし達めちゃくちゃ舐められてるじゃん。ムカつくわ。……八つ裂きにしてやろうかクソ人間め」
「仕方があるまい、それが奴らの俺達に対する認識なのだからな……」
どうしても人間の自分たちに対する認識に納得できないサン。
自分達は今や 【
「でも~」と自分の気持ちを発しようしたそのとき。
――ぞわりと、サンの背筋に薄ら寒いもがよぎり、どこからか発されるナニカに彼女の体が恐怖に支配される。
ソレは、恐ろしいことに、ヴィレと違い離れた所に居たとはいえ、それでも感じた、あのエリザベートから感じた悪寒以上のものだった。
――ソレは、彼女の目の前から発されていた。
「奴らが気づいた頃にはもう手遅れだ。俺達の手によって、
思わず、小さく金切り声を上げるサン。しかし、ヴィレは気にもとめず、ただ、ただ、小さく
とても、とても、禍々しい顔で。この世全ての悪感情を鍋で煮詰め、それを全てヴィレの中に注ぎ込んだのではないかと、そんな
サンは、自分が持つ人間への憎しみなど、ヴィレの持つこの感情に比べればなんてちっぽけなのだろうと思ってしまった。
そう、自分で言ったではないか、
そう、ただ彼は押し込めていただけ、自分の中に。この見るものさえ狂わす、凶悪な負の感情を。
サンは恐れた、
――自分たちに希望を見せてくれた、
――今まで自分たちを導いてきた、
――自分が心憎からず思っている、
本気でただ、怖いと思った。今もなお、正気を保っている、保っていられる、彼に。
そして、自分が感じているソレが、ヴィレの押し込めている感情の一部が、ほんの少し
「――ヴィレ、あなたはいったいどれ程……」
震えるサンの掠れるような言葉は、ヴィレに届くことはなかったのだった。
◇
すでに日は沈み、月が顔を出している。集落から離れた切り立った崖に一人でたたずむヴィレはイヴェール王国のある方角の方に視線を向けていた。
そこにサンと話していたときに漏れ出ていたどす黒い感情はなく、普段の能面めいた無表情であった。
「……人間共よ、見せてやろう俺たちの力を。対価は貴様らの国だ、俺たちの
彼は淡々と呟く。やはり、そこに感情はこもっていない。しかし、最後の呟きにだけどこか自嘲するような押し込められた感情が感じられた。
他国にとっては、今や目の上のタンコブで。兵の多くが戦争で出払っている。おまけに、山々に囲まれた天然の要塞だ。
――まるで、俺たちの為にあるようじゃないか。
そう、うそぶきながらも、彼の瞳には何も映っていなかった。
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