顔に傷持つゴブリン

vsヴァンパイア・【日を征する夜の覇者】

1. 刹那を生きるモノ




――あの、少年と男の何気ない日常のワンシーンから十数年後。この物語は始まる。




――――――――――


 正直なところ、エリザベートは出て行ったきり戻ってこない、自身のつがいである男、ヴラドのことを別に心配などしていなかった。


 ゴブリンの巣に「遊びに言ってくる」と言って数日。

 一向に帰って来る気配のないヴラドだったが、どうせいつものようにたっぷりと、生意気なゴブリン共に【おしおき】をしているのだろうと考えていたのだ。


 一本、一本、丁寧に指を折り、生きたまま皮を剥ぎ、体中に細長い釘で串刺しにしたりするなどして、弱者が悲痛に泣き叫び、許しを請う姿を【おしおき】と称して行うのが、ヴラドの趣味であるのだ。

 何でも、心が激痛でなだらかに壊れていく様がどうしようもなくそそる・・・らしい。


 はあ、とエリザベートは深いため息をして、日を避けるため差している日傘を手慰てなぐさみにクルリと回した。

 白磁のように透き通る肌と黒色のフリルの付いた日傘はじつにマッチしている。 彼女は、同じく黒いフリルの付いた服と、これまた美しいきらびやかな金髪をはためかせながら、ヴラドのもとに向かって日を避けながら、風のように疾走していた。


 彼女は【おしおき】に夢中のヴラドに、自分を構ってもらいたくて、彼の元に向かっているのだ。


 彼女は泣く子も黙るヴァンパイア。見た目、15、6といった少女である。

 白磁のように透き通る自慢の肌にゴスロリファッション、鮮血のような瞳、見るもの全てを魅了するまさに魔性の女。

 好きなものは自身のこの美しい肌と、つがいであるヴラド、そして強者との死闘である。


 ヴラドが発って数日、エリザベートは今回の【おしおき】は長引くのだろうと感じ、強制的に連れ帰ることに決めたのだ。


 ヴラドは、興が乗ると飲食も忘れて【おしおき】に没頭してしまうのだ。酷いときには、一ヵ月以上もエモノを生かさず殺さず【おしおき】しなぶり続けることがあった。


「そんなお茶目なところも大好きなんだけど。うふふっ」

 と呟き、彼女は頬を熟れたリンゴのように染める。


「たしか、最長は一月半だったかしらねぇ……」


 5、6年前にヴラドと戦った、年老いた老戦士のことを思い出す。

 夜の散歩の途中で、たまたま目に付いた山小屋を襲ったときの相手であったが、人間とは思えない強さだった。


 年を感じさせない隆々とした筋肉の鎧をまとい、長い年月で昇華された巧みな技を用いた戦士。

 彼は一晩中、二人を相手に一歩も引かず死闘を繰り広げたのだ。

 エリザベートは、危うく日の出の光をあびてしまうところであったことを思い出しブルっと体を震わせる。

 最後は、体力の差で辛くも勝利を収めたのだったが、あの息をつく暇のない戦いはもう二度と御免だとエリザベートは思った。


 あくまで、彼女が強者との死闘を好むのは、その強者を圧倒的な力で粉砕し、強者故の自信やプライド粉々にへし折ることに快感を覚えるからなのだ。

 端的に言えば弱い者いじめが大好きなのだが、弱すぎるのも嫌という少し特殊な嗜好しこうなのだ。


 しかし、彼女らの趣味・・も戦いにおいては基本、力で押しつぶすことしか考えない亜人型の魔物達にとってみると、わざわざ戦いにひと手間加える|高尚な趣味だと思われるのだからおかしなものだ。


 その後、行われた老剣士の【おしおき】も彼は、眉一つ動かさず、とうとう一月半、一言も発さずヴラドの【おしおき】に耐え続けた。

 最終的にヴラドが思い通りにならない怒りで我を忘れ、勢い余って、殺してしまったのだった。

 最期の瞬間に見せた「ざまあみろ」と言わんばかりの顔に負けた気しかしないとくやしそうに言っていた彼の顔をエリザベートは思い出す。


「……実際、最初の奇襲で子供かばって片腕切り落とされてなかったら、危なかったの私たちだったかもしれなかったしねぇ……。あ、そういえば、あの子供はどこに行ったのかしら」


 ふと、戦いに夢中になっているうちに姿を消した少年をエリザベートは思い出す。年の割になかなかできる人間の部類にいた少年を思い、今なら丁度食べごろだとつい舌なめずりをする。

 

 そうこうする内に、エリザベートはゴブリンの巣のある森に着いていた。


「まあ、あの時みたいに長引くことはないでしょうけど、それでも私と彼との時間が無くなるのは許せないわ」


  エリザベートはさっさと彼を連れ戻そうと、好き放題に生い茂っている森の中に歩を進めた。

森の中は木々が日の光を遮り、じんわりと湿っていてどこか陰鬱いんうつな雰囲気をかもしだしていた。彼女は日の光がないことを確認して、日傘を閉じる。


「はぁ、日の光がないのはいいのだけど。こうも、じめじめとしていると気がまいっちゃうわ。木々のせいで方向感覚も分からなくなるし――やっ、虫踏んじゃった」


 お気に入りの靴に虫の体液がびっとりと付いているのを見て、エリザベートの目の光沢が消え、わなわなと体が震える。


「あああああ!! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 気持ち悪いぃ!! ああ、このクソ虫死ね! 死ねぇ!! ああ、この木のせいよ! ざわざわと生い茂っちゃてぇ!! ほんっっとうに、邪魔!! 私の前に立ってんじゃないよぉ!!」


 虫の残骸を散々踏みしめた後、エリザベートは怒りの矛先を木々に向ける。

 自身が日傘を差していないことも忘れ、力の限りただ空を切るように腕を振るう。

 たったそれだけのこと彼女の周りの木々はまるで、ドミノ倒しのように次々と倒れこむ。


  彼女の前方およそ、三百メートルばかりの木々は、もののみごとに根元から伐採される。

 すると、日の光を妨げていた木々が倒れたわけなので、当然のようにエリザベートに日の光が降り注ぐ。


「え? あああああ!! に、にっこう!? やだ、焼けちゃう!!」


 差し込む日光に慌てて、日陰に逃げ込む。おそるおそる、日光を浴びた体をみる。すると、そこには先ほどまで白磁のような肌だったものがほのかに赤くなっていた。


「……あ、あ、あ。私の肌が、うそ……まって、そんな。肌が、私の肌がああああああ!!」


 エリザベートは、先ほどまでとは比較にならない程の絶叫を上げながら、髪をかきむしった。

 美しいきめ細やかな金髪が、ちぎれ、乱れ、瞬く間に見るも無残な様子となり、その余波で、地面がひび割れ、周りの木々が霧散する。


 彼女の有様はまるで、この世の終わりだと言わんばかりだった。


  実のところ、日の光は彼女にとってさほど脅威ではない。浴びていると少しチクリとする程度だ。それさえも、何度も日を浴びているうちに慣れてしまうものである。


 それが、ヴァンパイアの中でもさらに一握りの支配階級。

日の光さえも超越した存在、【日を征し夜の覇者デイ・ウォーカー】の特性なのだ。


 しかし、彼女は病的と言えるほど、自身の白雪のような肌を愛していた。ほんの少しの日光も浴びぬ様にと、本来不要な日傘を使うほどに。

その、彼女の自慢の肌が、焼けてしまったのだ。


「あはははは。焼けちゃった。私のお肌が! 焼けちゃったわ!! あははは、愉快! 愉快だわ! もう、だめ。殺すしかないわ。何もかも! そうだ、ウラドも殺さなきゃ。そうよ、元はと いえばアイツが早く帰ってこないのが悪いんだわ。何が【おしおき】よ。そんなに好きなら私が【おしおき】してあげるわ!! 泣き叫んでも許したげないんだから! あは、あははははははははは!!」


 突然、せきを切ったかのように笑いだす。エリザベートの瞳に理性はとうに欠片もなくなっている。


 彼女の行動は魔物としては、さほど珍しいものでもない。魔物はほんの少しの些事さじで、父を、母を、子を、愛するつがいをいとも簡単に殺してしまうのだ、己が気に入らないからという、それだけの理由で。

 この強烈な個人主義が、魔物のばっこする世界で人間が生き延びている理由の一つでもあるのだ。


 エリザベートは、遊びは終わりとばかりに素早く魔法を使い、魔物ならば誰もが体から発する魔力を感知する。


 ちなみに、魔物が自身が持つ膨大な魔力にかこつけて起こす超自然現象を魔法。

 一方、人間が魔法に対抗するため編み出した技術。魔物と比べて、雀の涙程度しかない魔力を糧に自然界に存在する魔力を必死にかき集め、起こす超自然現象を魔術と呼ぶ。

 当然のことながら、魔法の方が魔術より数段優れている。


 エリザベートはすぐさま慣れ親しんだ、巨大な魔力を感知するとそこに向かって、真っすぐに走り出す。

 道中の木々は全て踏み倒し、ときおり出てくる魔物を粉みじんにしてただただ、走り抜ける。これから行われるであろう死闘に思いをはせ、彼女の顔を醜く口を歪める。


「ああ、十数年連れ添ったつがいと殺しあうなんて、……なんて、素敵なことなのかしら!! どうして、今までやろうとしなかったのか不思議だわ。彼と殺しあう、ああ……もう考えただけで、私! 待っててね、ヴラド。すぐ、殺してあげるから」


頬を赤らめ、ひたすら直進する。頬が赤いのは走っているからだけではないだろう。

 そう、彼女は興奮しているのだ、己のつがいと殺しあうことに。


 エリザベートの頭の中にはすでに先ほどの怒りなど霧散している。なぜならば、もうそんなこと、どうでもいいのだから

 

 いま彼女の頭の中にあるのは、如何いかにしてヴラドの自信とプライドを壊してやるかという事だけだ。

 そのことをただ想像するだけで、彼女は危うく達しそうになる。


 つい先ほどまで、愛を語っていた相手でも何のためらいもない。

 長年、自身が大切にしていた肌のこともどうでもいい。


――先ほどまで、彼女は確かに、ヴラドを深く愛していた。海よりも深く。


――先ほどまで、彼女は確かに、激怒していた。山より高く。


――今、彼女は猛り、狂っている、愛する者を殺す喜びに。天を穿つほどに。




 なぜこのようなことができるのか? そう問われるとこう答えるしか他ない。これこそが、魔物の性なのだ、と


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