2. 【剣】と【鎧】


 木々を踏み倒して進んでいくエリザベート。彼女の驚異的な聴力が、痛みにあげるくぐもった苦悶の声を聞き取る。


「あら、あら、あら~!! や~っぱり、お楽しみ中・・・・・なのねえぇぇぇ!! そうなのねぇえ!! ヴラドォォ!!」


 歓喜に染まるエリザベートはよりいっそう足を速めた。走り抜ける際に生じるあまりにも鋭い風圧に、触れてもいない周辺の木々がかつお節のように細切れに摩り下ろされる。


 彼女の通り道は、木々が消え失せ一本の大通りが生まれる。

 獣道ならぬ、魔物道だ。今後、森の奥深くに用がある者はたいそう便利になることだろう。勿論、そんな者がいればの話だが。


 エリザベートの目前に、開けた場所が見えてきた。魔力の反応からしてもここでおたのしみの最中なのだろうと当たりをつけつつ、どうしたものかと思案する。


 そのまま、突撃して襲い掛かるのも面白いだろうが、適当に談笑しながら油断を誘って、背後を襲うのも面白い。


 いったいどうすれば、ヴラドが絶望に満ちたそそる顔をしてくるのか考え、考えて、すぐに面倒臭くなってきたので、そのまま広間突っ込んでから考えようとより一層にスピードを上げる。


「ねえ、ねぇ、ねぇ! 私も、ま・ぜ・てぇ~~!! ――って、え?」


 砂埃と言うには少々強大すぎるものと共に、勢いよく広間に飛び出すエリザベート。しかし、そこには彼女の想像しえない光景が待ち受けていた。


 開けた広間の中央、彼女から約二十メートルほど離れている位置に、円を描くような形で緑色の肌に尖った鼻と耳、ずんぐりとした人間の子供ほどの背丈の魔物。ゴブリンが十数匹ほど悠然と立ち並んでいたのだ。


 基本的に、ぼろきれの腰布一枚を身に着ける程度であるはずの彼らは、なぜか人間おもちゃの冒険者が着るような革の鎧に身を包み、剣を携えていた。

 それも十分、目を見張るものであったが、エリザベートの視線は円陣を組む彼らの中心にいった。


「え、えり……エリザ、ベート!! き、来て、くれたんだね。は、早く、早く、たす、助けてくれよぉぉ」


 円の中心には、自身の【おしおき】道具の細長い釘に体中を串刺しにされ、顔面は涙や鼻水にまみれ端正な顔立ちが見る影もないヴラドがいたのだ。

 どうやら彼は、木々を重ねて作られた十字架に磔にされ、身動きが取れないでいる様だった。


 数十匹のゴブリンと磔にされたヴラド。他に何もない、どうやらこの辺りにはゴブリンの巣はないようだ。


 あまりにも予想外の光景にポカンと口を開けたまま、阿呆のように立ちつくしてしまうエリザベート。

 数舜の間、惚けていたが「はっ」と我に返り、すぐさま頬をつねってこの状況が夢ではないことを確かめる。――そして、この光景が現実のようだと判断した彼女は、


「あはははは! あーひゃはははは!!! ゴ、ゴブリンに返り討ちって、ば、ば~かじゃないの!! ゴブリンなんて、子供のおもちゃじゃない! だってのに、自分の遊び道具で逆に遊ばれちゃってるし! あははは、もう! なに? 笑い殺す気?」

 と大笑いした。


 危うく呼吸困難に陥るほどだ。笑いすぎて、横隔膜が引きつけを起こし、視界も涙ににじんでしまう。

 それほど、ヴラドの様が滑稽こっけいだったのだ。


 笑撃的な出来事に馬鹿らしくなり、先ほどまで考えていたはずのヴラドを殺す事もどうでもよくなってしまう。このまま住処に帰ってヴラドと愛し合えばそれでよいか、とそう考えだす。


――これが魔物の性。無限の刹那を生きるモノ。その瞬間、その瞬間を自身・・のためだけに生きるモノなのだ。彼女たちは何者にも囚われない。自分自身にさえも。


「うふふ、ヴラドったら、ギャグセンスも冴えわたっているのね。特に自分が十字架で磔なんてパンチが効いているわ。痛くないの? 私にはよくわかんないけど、そういう性癖があるって聞くし……。大丈夫! 私は理解がある方だわ、安心して。でも、遊びはおしまい。さっさと帰って私とイチャイチャしましょ! ほらっ、いつまでそんなことしているのよ? 楽しいからって、何日もつがいを放っちゃダメなんだからね!」


 エリザベートは、ぷぅ、と頬をかわいらしく膨らませる。彼女は、ヴラドが何か新しい趣味でも見つけたか、身をていしたギャグだと判断した。

 ゴブリン程度にやられたという発想はない。コブリンなど彼女が先ほど言ったようにヴァンパイアの子供がモノの壊し方を学ぶため、好んで使うおもちゃのようなものだ。


 それは亜人型の魔物の中でも共通している。ゴブリンの扱いは、数に事欠かない人間よりいくらか丈夫なおもちゃやサンドバックなのだ。サンドバックに逆にのされる話など聞いたこともないだろう。


「……違う、違うんだよ。エリザベート。これは、遊びじゃないんだ。こいつらは、俺達が知っているゴブリンじゃない。俺だって、最初は適当に遊んでやろうって思ってた。でも、でも、こいつらは……ぐっ、オヴェェ」



 しかし、いつも強気で残虐であったはずのヴラドは、顔を青ざめおかしなことをのたまうのだ。

 いつも他人を見下していた彼の瞳がエリザベートに助けを求めるため媚びるような視線を送る。それも必死に。

 エリザベートは理解した、彼はこう言っているのだ『サンドバックにのされた』のだと。


 一度に喋りすぎたせいか、ヴラドは咳込み吐血する。さすがに、これはお遊びにしては手が込んでいるとエリザベートは思った。

 ヴラドは本気で言っている、そう理解した彼女は、先ほどの熱はどこにやら、ヴラドをまるで虫を見るかのような酷く侮蔑のこもった目を向ける。


 つい先ほど、再燃したはずのヴラドに対する愛は瞬く間に陽炎のごとく消え去っていった。


 ――そう、彼女は刹那を生きているのだ。先刻のこなど覚えてないし、気にしない。どうでもいい・・・・・・


「え? なに、あなた本気で言っているの? なにそれ、ありえないわ。 ホント、ムリだわ。あっ、さっき私が言ったことは聞かなかったことにしてちょうだい。私、ヴラドそんな貧弱野郎だとは思わなかったもの……」


 ヴラドが違う違うと必死に呻くが、エリザベートはそれをさらりと無視する。

 いかなる理由があろうと、たかがゴブリンに負けた男の言葉などに向ける耳など彼女は持ち合わせていないのだ。


 そして、エリザベートはこの広間に来て以降、ずっとこちらを観察するような視線を向けているゴブリン達にようやく視線を向け、吐き捨てるように言う。


「ねえ、あなたたち? さっきから、何をジロジロ、ジロジロ、と見てくれているのかしら? 気持ち悪い。もしかして、もしかして、分もわきまえず調子に乗っちゃっているの? そこの子供以下のド糞貧弱男に勝ったからって、ノリノリなのかしら? ウソ!? え、本当? 殺すしかないわね? ――身の程を知れよ、下等生物」


 

 突如、エリザベートの体からあふれるように吹き上がる、膨大な漆黒の魔力。あまりの強大さにビリビリと、空間が震える。

 彼女からおよそ半径五キロメートルほどに生息する森の獣や、野鳥、魔物までもが狂ったように逃げ惑う。野生の感が叫んでいるのだ、ここにいたら・・・・・・命が危うい・・・・・と。


 魔力を体から放出する、これすなわち、魔物の臨戦態勢である。

 魔力を収束して放てば魔法となり、【剣】となる。魔力を体にまとえば、身体を強化し、保護する、【鎧】となるのだ。


 魔物同士の戦いとは、【剣】と【鎧】をまとい、それらを失うまでひたすら魔力を削りあう、ただひたすらの殴り合いなのだ。


 これは、単純に魔力は大きければ大きいほど有利となる。

 なぜかというと、単純に言えば、魔力量はその【剣】と【鎧】のグレードに関わるのだ。

 より強い魔力を用いる者の【剣】は、例えるならオリハルコンさえも切り裂く強靭なバスターソードに、【鎧】は何人たりとも傷つけられぬ重厚なフルプレートアーマー、となる。


 故に、強大な魔力を見せつけることは強烈な武力の誇示になる。

 

 ――俺はこんなにすごい装備を持っているぞ? と。

 ――貴様の脆弱ぜいじゃくな武器で俺と殺りあうことができるのか? と。


「ふふふ、後悔しても遅いわ!! ゴブリン程度の、魔力で私の一撃を受けきれると思わないでね? そこの、ド糞貧弱男と一緒に肉片一つ残さず、粉みじんにしてあげるわ!!」


 魔力を放出してもピクリともしないゴブリン達を恐怖ですくんで動けないのだと判断したエリザベートはようやく身の程を知ったかと高らかにわらい、魔法を構成する。


 密集する尋常でない魔力の濃度に、どれほど強大な魔法を行使するのか、たやすく想像できる。

 恐らく、放たれれば最後、この広間一帯が草木の一本も残さず焼け野原となるだろう。


 そう理解しながらもゴブリン達は微塵も動じていない。この程度、想定内だとでも言うように。


「破壊力重視の闇属性の魔法。なかなか凶悪な【剣】だ。……しかし、予想通りだ。男のときより多少大きいが、誤差の範囲だ。よし、散開。 各自、作戦を開始せよ」


 おそらく、このゴブリンのリーダー格であるのだろう、片目に三本の爪傷を持ち、他のゴブリンと比べて随分とガタイの良いゴブリンが、冷静にエリザベートの魔力を分析しつつ、部下に向かって淡々と命令を下す。


 部下たちはすぐさま、風の魔術・・を発動し、素早くエリザベートの周囲を取り囲む。そこに焦りの色はない。


 面喰ったのは、エリザベートだ。圧倒的な力を見せつけても何ら動じないどころか、こちらに向かってくる。


 こうも、隔絶する魔力差を見せつけてやったというのになぜ? 恐怖に身をすくませていたのではないのかとエリザベートは混乱する。


 どうして、こうも恐れず立ち向かってくるのだろうもしや、本当にサンドバックになりたいのだろうかとも考えたが、ゴブリンらの目は決して自棄を起こした特攻ではない明確な意志がある。


 ふと、エリザベートは、その目にどこか既視感を覚える。――がどうも思い出せない。だから、どうせ大したことではないだろうと彼女はその考えを切って捨てる。

 もう、こんなくだらないことは終わらせようと魔法を放つため魔力を練り上げる。


「……ほんっとう、意味わかんないわ。でも、これで終わりよ。死になさい! 身の程もわからない愚かなコブリン共!!」


 実際、エリザベートがゴブリン達の行動を不思議がるのも無理はなかった。魔物同士の戦いにおいて、魔力量が勝敗の絶対的な指針なのだ。


 エリザベートとゴブリン達の魔力差は単純に表せば、100対5だろうか。当然、戦っているゴブリン全て合わせて、だ。


 この差は天裂く武器を携え、どんな攻撃を受けても大地の如く不動である鎧を身にまとった相手に、棒キレを構え布の服一枚で戦うに等しい行為なのだ。

 そこらのチャンバラごっこをしている子供の方がよっぽどいい装備を使っていることだろう。

 これで勝いに臨もうとする者は、勇敢なのではなく愚かなだけだ。この絶望的な魔力差で勝てるわけがないのだ。


――そう、魔物同士の戦い・・・・・・・ならば。


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