4. それが、彼の選択


「はぁ、……なぜ僕が詐欺師だと?」

「へっん、街中で有名だぜ。“英雄の孫”を騙る馬鹿野郎がいるってな!」

「……いや、孫ですけど」

「おいおい、本気で言っているのか? 『アートムヴァッフェは生涯独身で、息子なんていなかった』そんなのそこいらガキ共でも知っている事だぜ? ましてや、孫なんているわけねぇんだよ」


 鬼の首を獲ったかのように周知の“事実”叩きつける男を、ラッヘは冷めきった瞳で見つめる。

 そんなことは、この街に来てから数えるのが馬鹿らしくなるほどの人たちに、それこそ飽きるほど言われた言葉だ。ラッヘは深いため息をつき、いつものように述べる。


「じゃあ、別に詐欺師でいいですよ」

「は?」

「別に僕が知っていればいいことですし。たとえ、僕が孫でなくてもおじいちゃんの名誉を取り戻すことに支障はないんで。――だって、僕が孫であろうとなかろうと、アートムヴァッフェが“最強”なのは変わらないでしょ?」


「――ひっ!?」

 

 泥水の様に濁った瞳を歪め、壊れた笑みを浮かべる狂信者然としたラッヘに、男はたまらず悲鳴を上げる。

 ラッヘの様子を見て、さすがにこれはまずいと周囲の人間も男を止めようとする。

 しかし、男は酒精の力で気が強くなっているのか、己のプライドがそうさせるのか、「ガキにここまでコケにされて引けるか」と言って、周りの手を振り払う。

 そして、脚を震わせながらも気つけとばかりに、残りの酒を一息で飲み干して叫ぶ。


「だ、だ、だいたいなぁ! ア、アートムヴァッフェが、え、“英雄”だって話も怪しいもんだろうがぁ!!」

「――――あ゛?」

「あ、あの、馬鹿!! なんてこと」

 

しゃべっている内に、気が強くなったのか徐々に言葉を荒げる男はラッヘの変貌へんぼうも、酒場の空気が何故か急に冷え切ったことを気にも留めず、とうとうと語る。


「アートムヴァッフェがパーティーでの活動をしてたのは【血濡れ山脈】でのドラゴン退治まで!! それから後は一人で気ままに魔物を狩ってよぉ、魔物の死骸の一部を冒険者ギルドに持ってきて事後報告したって話じゃねえか!!」


「……何が言いたい」

「だ、だめ!! 落ち着いて! ラッヘ!! こんなの、根も葉もない噂でしょ!? ただの“英雄否定派”の作り話でしょ!?」


 アリサの泣き叫び抱きしめ、いさめようとするが、ラッヘの淀んだ瞳はアリサをチラリとも映さず、男を見つめたまま微動だにしない。

 男は言われるがままのラッヘを見て気をよくし、口元を吊り上げて上機嫌に叫ぶ。

 焦るように、先ほどより一層真剣な声で男を止める声はまるで耳に入っていなかった。

 ラッヘを少しでも知っている者ならば、彼の前で不用意にアートムヴァッフェをおとしめる言葉は“禁句”であることは誰もが知っている。

 だが、男は不幸な事に、王都からここ最近移り住んだ者で彼のことを知らなかった。


「だからよぉ、アートムヴァッフェは“英雄”でも何でもねぇ、ただの墓荒らしじゃねえかっつー話だよ。ギャハハハハハ!!」


「……そうか」

「ハハハ――へ?」


 視線を外してもいないはずなのに、目の前からいつのまにか幻の様に消えさったラッヘに男もさすがに言葉を飲みこむ。

 どこに行ったのかと辺りに視線を移そうとした瞬間。


「お前も、間違い・・・だ」

「ひぃい!?」


 真後ろから詠われる、聴く者の全てを狂わし犯す呪いの言の葉。

 男は心臓をわしづかみにされたような感覚とまるで、体中を蟲に覆われたかのような耐えようのない悪寒を感じる。

 あまりの恐怖に、酒精の力で大きくなったはずの気は萎れた風船の様に消え失せ、股からは滝のように生暖かい液体がこぼれ落ち、歯が狂った調べを刻む。

 

「死ね」


 男の意識はうっすらとぼやけ霞んでいき、体は勝手に断頭台に処される囚人のごとく力なくこうべを差し出す。


 ラッヘは何の躊躇ためらいもなく腰の剣を引き抜き、この世の‟間違い”を正そうとする。

 ラッヘが行わんとすることをようやく理解したのか、周囲の客も慌てて彼を止めようと動きだすが到底間に合わない。そのまま、ラッヘの剣は男の首元に振り下ろされた。


「バカ野郎が、酔いが醒めちまったよ」

「たわけ、それは魔物畜生に堕ちる道ぞ」


 男の首を今にも断たんとしたその瞬間、葉と共に放たれる魔術によって編まれた鎖がラッヘの体をがんじがらめに縛り、くうを切った剛腕による暴風のような衝撃波がラッヘの剣をはじいた。


「――お前たちも、間違い・・・なのか?」


 ラッヘの光を差さない混沌とした瞳が新たな間違いたちに向けられる。


「何が間違いか知らんが、ボウズがやるってんなら俺の鍛え抜かれた筋肉マッスルを行使せざるえないだろうよ」

「然り。小僧、今の貴様は人を襲う魔物と何ら変わらぬ。やらぬ理由があるまいて」


 ラッヘの視線の先にいる二人の男、一人はゴドンと呼ばれていた二メートルを超す大男。

 先ほどまで、酔いつぶれた様が嘘だったかの様にいわおのようなゴツゴツとした顔を引き締めて、片手で軽々とハルバートを持ちラッヘを見つめている。


 一人は、バラフィットと呼ばれていた初老の男。即席の杖代わりなのか、空のジョッキを構えてラッヘを見つめている。

 二人の様は幾千もの死線を乗り越えた者のみが持つ独特の凄みがあった。

 それも当然と言えよう、彼らは“英雄の生まれた街”でも、最上位に君臨するパーティーの二人なのだ。 


「そうか、今日はいい日だ。――正すべき間違いを三つも見つけることができた」


 心底嬉しそうに、ラッヘは嗤う。

 その笑みは、両の手では数え切れぬほどの死の境を乗り越えた二人さえをも気圧けおされるほどの禍々しさを持っていた。


「――っう!? おいおい、バラフィット。見ろよ、俺の筋肉マッスルたちが震えてやがるぜ。グハハ、これで手負いってんだから笑えるぜ」

「……手負いの獣ほど恐ろしいと聞くが。なるほど、然りよな。【不倒の狂気テネシティ・ハート】とはよく言ったものよ。不倒で不当の狂気……なんと痛ましいことか」

「不当? 不当って何だよ? 間違っているのはお前達だろぉ!?」


 獣の如き叫びと共に、ラッヘは魔術の鎖を力任せに引きちぎる。その勢いに形ばかり塞がっていた傷も開き、鮮血が古ぼけた木造の床を彩る。


 ラッセの発する一言、一言はまさに呪詛の塊。その狂気の念に、気の弱い者は泡を吹き倒れ伏す。


「……なあ、どっちから死ぬ?」


 ピタリと叫びが止まったかと思うと、先ほどの激高が嘘のように、まるで今晩のおかずを聞くような気軽さでラッヘは二人に問いかける。

 その感情の極端な移り変わりはまさに狂人のそれであった。

 

――動けば死ぬ。


 死の淵を常に歩いていた二人は、ラッヘの狂態を見てどこか予言めいた確信をする。それは、強大な魔物と対峙するときと同じ感覚であった。

 時が止まったかのように微動だにできぬ二人。ラッヘはラッヘでどちらから片づけようかと悩み、濁った瞳で二人を見つめていた。


 緊迫した空気の中、誰もが動けなかった。周りの客も、この空気に飲まれて指一本さえうごかせず逃げることさえ適わなかった。――ただ一人を除いて。


「バカ!!」


「ぱしんっ」と乾いた音が静まった店内を響き渡る。


「え?」

「おお」

「なんと……」


 それは何の力を帯びていない、ただ平手打ちだった。


「――っう、え、アリ、サ?」


 完全に意識の埒外にあったアリサの一撃に、ラッヘは張られた頬に手を当て、目を白黒させる。

 アリサは鼻水をすすり、あふれでる大粒の涙を服の袖でぬぐっていた。

 その様はお世辞にも美しいと言えるものではなかったが、どうしようもなくラッヘはそのアリサの姿から目をそらすことができないでいた。


 ただアリサを見つめるだけで、狂おしい情念に動かされされていたはずのラッヘの心は澄み切った湖のようになだらかになっていくようだった。

 彼女の姿は、まるで、ラッヘの失ってしまったナニカを取り戻させるような、そんな不思議な心地をもたらしていたのだ。


「……どうして、泣いてるの」

「バガラ゛ッヘのぜいでじょうが!! こんなことずるがらでしょうが!!」

「でも、間違いは――」

「う゛るさい!! 黙れ゛!!」

「ご、ごめん」

「バカ、バカ、バカ、バカぁ」

「ごめん。ごめん、なさい」


 先ほどまで、視界に映るものすべてを呪い殺さんとする狂気を発していたラッヘが、まるで母に怒られた幼子のように情けない顔をする。

 その様子に、周り客やアリサの養父母たちは夢を見ているのだろうかと頬をつねる。

 ラッヘの様子にもう心配ないだろうと、ゴドンとバラフィットはやれやれと頬をつたう冷や汗をぬぐい、武器を収める。


 気を失った男も小便を垂れただけで目だった外傷もないこともあり、ラッヘを咎めることは取りやめることにしたのだ。

 本来なら街の憲兵に突き出されるべきラッヘの行いであったが、二人で相手取るには荷の重い相手であったため、無駄に刺激すればよけいに被害を拡大してしまうと考えたのだ。

 それに、ラッヘは性格を考慮しなければ優秀な冒険者なのだ。この不安定な情勢では戦力は多い方がいいと判断したのだろう。


 そして、何より――


「まあ、元々喧嘩をふっかけたのはそこの男だしな。まったく、絵に書いたヒョロ筋肉マッスルじゃないか」

「…………何より、あの二人の空気を壊すというのは野暮というものじゃろうて」


 バラフィットの視線の先にはまるで、親子のように、姉弟のように、そして恋人のように、寄り添うラッヘとアリサの姿があった。

 それを見ながら、彼は顔のしわを一層深くするのだった。


「うぃっく。ぐす、ぐす、……ふぅー。もう、しないって。しないって、約束できるよね? 無暗に人を傷つけないって、約束できるよね?」

「……うん、わかったよ。僕も、アリサのそんな顔は見たくないし」

「うん、……よかったわ、本当に。……あ、ラッヘ。アンタって、綺麗な目をしてたのね、知らなかったわ」

「そうかい。僕も驚いているよ。こんなに世界が澄み渡って見えるなんていつ以来だろう」

 

 ラッヘはアリサのささやくような問いに穏やかな口調で答える。

 よどみ、曇っていたはずの彼の瞳は、ほのかに光を持ち、在りし日の夕日のような美しい緋色の輝きを取り戻しつつあった。



「ねえ、ラッヘ。もう、あなたのおじいちゃんはいないの」

「……うん」


 ラッヘは苦虫をつぶしたような顔でうなずく。


「アンタの仇の吸血鬼だって、死んじゃったわ」

「……うん」


 アリサは優しく問う。


「……ここの酒場って、実は人気なのよ? 知ってた? いっぱい人が来るんだから。昼から飲んだくれでいっぱいなのよ。――でもね、給仕がアリサ一人しかいなくて困ってって」

「……そう、なんだ」

「だから、だからね? ラッヘもここで働きなさいよ」

「……それ、は」

「……もう危ないことはやめよう? これからは、アリサが付いていてあげるから、ね?」


 まるで、かつての焼き直しのように、アリサは言葉を紡ぐ。

 剣を捨てろと。

 復讐をやめろと。

 諭すように一言、一言、ゆっくりと。


「…………」


 アリサのその言葉は、ラッヘは惑わせた。

 今までの自分なら、アリサの提案を歯牙にもかけず“否”と言っただろう。自分には果たすべき目的があるのだと。

 だが、ラッヘの中に、それでいいのだろうかという思いがよぎった、よぎってしまったのだ。


 全ての間違いを正したその後に、自分の手のひらには何があるのだろうと。

 何もなくても構わないと、どれだけ人に煙たがれ、恐れられようと、間違いを正せれば良いのだとラッヘはそう思っていた。

 

 その彼の決意を揺るぐ。


 ラッヘの目の前には、優しく彼に寄り添うアリサ。

 彼女は急かしもせずに泣き腫らし赤くなった瞳を真っすぐラッヘに向けて、答えを待っていた。


 ラッヘは逡巡しながらも。ゆっくりとたどたどしく、掠れた声で己の答えを述べるのだった。


「ぼ、ぼく、……僕、は、……僕は」





――そう、これはラッヘが“人”と成る最期の機会だったのだ。


 そして、だからこそ・・・・・神はそれを嘲笑うように、面白おかしく“運命の悪戯イタズラ”という名の糞尿にまみれたデコレーションを行うのだ。

 そのほうが愉快・・だと言うように。


 故に、これは偶然ではなく必然。起こりうるべくして、起こったものなのだ。


「僕は、アリ――」


「たっ、大変だ!! ゴブリンが! ゴブリンの軍団がこの街に攻めて来やがった!! だれか、通信魔術が使える者は!? 早く、早く、皆に伝えないと!!」


「なん、……じゃと?」

「おいおい、勘弁してくれよ。こっちはボウズの相手でヘトヘトだっつーの」


 ラッヘの言葉を遮るように店外から響きわたる、慌てふためく男の大声。どうやら、街中を走ってこの凶報・・を伝えている様だった。


「……ラ、ラッヘ?」


 ざわめきたつ“パ・ルティア”の中で、ラッヘは嗤った。


「――ははは」


 その知らせに、酒場が、大通りが、街が、恐怖と混乱の渦に包まれ、阿鼻叫喚をきわめる。そこで、場違いな嗤い声が響き渡る。


 突然、舞い降りた吉報・・にラッヘは嗤うのだ。なんと愉快なのだと。

 消えかけていたはずの種火が、無尽蔵に湧き上がる憎悪と言う名の燃料を得て、爆発するように燃え上がる。


「ごめんよ。やっぱり、無理だ。……無理だったんだ」

「え?」


 寄り添っていたアリサの体を優しく押しのけ、ラッヘは酒場の出入り口に歩を進める。


「ま、まって、まってよ……」


 背後から聞こえるアリサの掠れるような声は彼の足を止めることはできなかった


「ああ、僕は神に感謝します・・・・・。この奇跡に、この、“運命”に!!」


 悲痛の言葉が飛び交う街中で、彼は一筋の涙を零しながら空高く叫ぶ。


「涙? おかしい、僕は“嬉しい”はずなのに。……はは、ははは。そうか、そうだよ。涙は“嬉しい”ときも流れるんだ! はははは、ははははは!!」


 ラッヘは嗤う。ただ嗤うのだ。

 

 零れ落ちた涙は、当の昔に乾き、空へと消えていった。



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