勇者と魔王。
昨今では澄乃ままれ氏の作品を始めによく用いられるモチーフだが、この作品ではどちらもヤクザな連中として登場する。
エーテル施術による超人と化した魔王のヤクザ稼業と、それを排除する勇者として。
そこに栄光はないーー少なくとも社会的にはどちらもクズであるからだ。
だが、だからと言ってただのクズでいいなんて、一体誰が思うだろう?
真摯に登場人物たちは、社会からドロップアウトしているような場所であっても、よくあろうと生きている。
こうした生きていく様相を、作者様の高い筆力と構成力、剣劇アクションを始めとしたドラマを散りばめて描き出した小説だと私は勝手ながら思っている。
そしてすでに物語は完結し、きっちりと完成している。
剣撃を始めとしたアクション、ヒロインたちの可憐さと素晴らしさは上げればキリがないが、やはりここは”勇者”という言葉に親しんだひとにこそ、読んでほしい。
傑作である。
一般人が後天的に異能を手に入れる手段が普及した現代のファンタジー。
人体改造で人間をやめるのは主にヤクザで、彼らは魔王と呼ばれ、法的に討伐対象として指定されている。
魔王を殺す賞金稼ぎは、魔王に対抗するためにドラッグで一時的に異能を手に入れる。
勇者と呼ばれる彼らの実態は、その大半が人殺ししか能のない犯罪者崩れのアウトローという有様である。
主人公である自称凄腕の勇者、ヤシロは自分がそんなどうしようもない底辺の世界で生きていることに鬱屈したコンプレックスを抱えており、「クズかそれ以下か」について異様なこだわりを見せる。
そんな苦みばしったハードボイルド野郎のもとに突如現れた3人の女子高生見習い勇者が彼を一方的に慕い、こぞって弟子入りを志願するところからこの物語は始まる。
若い女がクズのような仕事に憧れること自体に嫌悪感を抱くヤシロは、彼女ら、特に勇者とヤシロを真っ直ぐに賛美する城ヶ峰亜希を毛嫌いするが、城ヶ峰たちは『クズ以下にはなりたくない』というヤシロの美学につけこんでまで彼を自分たちのペースに引きずり込もうとする。
本作で描かれる勇者と魔王は、現代社会の延長線上の存在です。
その殆どが下劣なクズで、ヤクザのように抗争に明け暮れ、政治戦や騙し討ちで汚く立ち回っています。
しかし、作中を通して描かれるテーマは、古典的な勇者を決して馬鹿にしません。
「勇者」が安易な固有名詞の言い換えとしてではなく、深いリスペクトの上で用いられていることは、
高い精度で描写される西洋剣を用いた剣術技巧や、西洋魔術のフレーバーに富んだエーテル知覚の設定など、
剣と魔法の戦いを極めてソリッドに描き出していることからも、強く伝わってくるはずです。
息つく間もない派手なアクション、チンピラどもが馬鹿をやっている空気感、そして物語を進めるごとに内面の深みが増すヒロインなど、様々な観点からおすすめできる作品です。
ついに完結!
現代社会に似た、でも独特の世界で繰り広げられる、剣術とエーテル知覚を駆使した血まみれ物語。
概要に偽りなく、よくある普通の剣と魔法のファンタジーRPGとは一線を画した傑作です。
見所はたくさんあります。
バイオレンスな世界に生きる主人公のハードボイルドさ、緻密なアクション、建前と現実のぶつかり合い。
そういった厳しい世界観でありつつも3人のヒロインが一服の清涼剤としてこの作品をライトノベルたらしめている……
そんなわけで、いますぐ読んで城ヶ峰さんのポンコツ可愛さを満喫しよう!!
追記
しぶくて駄目なおっさんの活躍もあります。
マルタさんいいよ。
近未来の日本は、勇者(殺し屋)と魔王(アウトロー集団)がそれぞれしのぎを削る暴力の世界になっていた。
はじまりは、凄腕の殺し屋「ヤシロ」と、ビルから落ちてきた女子高生(勇者養成学校の落ちこぼれ生徒)・城ヶ峰との偶然の出会い。(落ちものだ!)そこから、なしくずしでヤシロに弟子入りすることになった落ちこぼれ勇者見習いのJK城ヶ峰、印堂、セーラたちとのハートウォーミングでハードボイルドな物語が展開する。
毎日のように命のやり取りをしているヤシロたち凄腕の殺し屋と魔王たち。ささくれだった世界観のなかで、どこか明るく甘さの残るJK3人組の存在が眩しく、殺伐としつつどこか笑える会話が楽しい。
クスリと剣と異能バトルの裏側で繰り広げられる恋の鞘当ても含めて、ヤシロとJKの関係性がどうなっていくのか。各章で、さまざまなピンチに陥ったヤシロやJK3人組を含めた周りの勇者たちが、切り抜けるシーンも読み応えがあります。(2016.03.13)
正義感に溢れ、誰よりも優しく、勇気を持って悪の魔王と戦う存在、いわゆる勇者。
そんな平凡な勇者はこの作品には居ない。
絵に描いたようなダメ男を体現する性悪勇者に、正義に固執する自称美少女勇者、常識人ながらもビビリで元ヤンな令嬢勇者、不思議系クール女子な勇者…などなど、主要人物だけ取っても曲者揃い。
この作品の勇者たちが取る行動は決して賛美されるようなものだけではない。しかしながら彼らは単なるクズでは終わらないのだ。
彼らは皆それぞれに譲れないものを持っており、それこそが「クズ以下の存在」とは一線を画している要因だ。
そしてまた主人公である「ヤシロ」の能力は、同時多発的に起こる戦闘や瞬間的な動作を一人称で書くことにおいて、この上ない理由付けとなっている点にも注目したい。
その上で登場人物が「動く」物語を読むのも面白いのではないだろうか。あとはお供にビールとピザ、それから餃子も忘れずに。
魔王と勇者、それは人を超えた能力を得たヤクザとヤクザ殺しである。
そんなクズであると自覚する勇者ヤシロと、彼のもとに飛び入りで弟子入りする三人の『個性的な』ネジの飛んだ美少女勇者たち。
そんな少女たちに振り回されながら、師匠として、教官として、センセイとして振る舞わざるを得なくなるさまは、クズとそれ未満との差を浮き彫りにする。その中で、勇者ヤシロがクズではあるが、それでもそこに熱いものを燻らせているのが読み取れるだろう。
あとポンコツキ印カワイイ城ヶ峰、無口キリングカワイイ印堂、話の通じそうなセーラとヒロインズの徐々にヤシロとの距離を詰めていく言動も愛らしい。まあ、この作品の勇者らしく、近くにいてほしくはない存在だが。