焼ける残景

 目を閉じると、炎が見える。

 まぶたの裏が焼けるように痛む。

 エーテル知覚を使った後は、特にそれがひどい。


(いつまでも、この不快感には慣れないな)

 キリマは舌打ちをして、大きく息を吐く。煙でも吐き出したように感じる。

 自室の壁にもたれかかり、ずるずると座り込む。


(概ねぜんぶ、あの《死神》のせいだ。トリスタンを仕留め損ねた)

 そう思う。

 予想をはるかに超えて手強かった。かなり強力なエーテル知覚の持ち主で、狙った奇襲の手がことごとく回避され、対処された。


 おそらくは、読心術の亜種か、限定的な未来予知。

 しかもまだ何か奥の手を隠している。

 そう考えて相手にするしかないだろう。最後には、強力なエーテル知覚を持つ援軍まで駆けつけてきた――用意周到に伏せておいたと見るべきだ。

 偶然であのタイミングで来ることなどありえない。


 二度の邂逅で、こちらの手札を見られたのも大きい。

 あんな手練れが業界にいたとは。あれも《円卓》の騎士の一員なのだろうか? 《円卓》では、一部の騎士の情報を意図的に伏せている。

 主に「探索」とか「インテリジェンス」と呼ばれる席に座る数名のことだ。

 ボールズ、ガラハッド、パーシヴァル。もしかしたら、あの男がそうなのかもしれなかった。


(《円卓》のメンバーを仕留めるのは、なるほど苦労する……)

 キリマは目の奥に焼けるような痛みを感じている。

 頭痛に近い。

 その原因は、思わぬ強敵の出現以外にもう一つある。さっきからキリマを不満そうな目つきで見下ろしている、少女のことだ。


「……雪音」

 キリマはテーブルに手を伸ばし、ペットボトルを掴みながら、彼女を呼ぶ。

「何か、言いたいことがありそうだ」


「ある」

 印堂雪音は即答した。

「なにやってるの、キリマ」

「仕事だ」

「違う」


 久しぶりに会う印堂雪音は、ずいぶんと印象が違っていた。

(こんなに感情をはっきり表すやつだったか?)

 北の《黒領地》で傭兵をやっていた頃――正確に言えば、彼女がその見習いだった頃は、違った。

 あの環境でやっていくためには、そうした人間性を上手に抑え込む必要があった。

 恐怖で判断力を曇らせないように、感情を止める。仲間の死に動揺しないように、他人と壁を作って接する。


 そして印堂雪音は、もっとも「見込みがある」一人だった。

 キリマが見たところ、エーテル知覚も強力であり、戦闘技術も卓抜していた。誰よりも才能があったはずだ。

 単独戦闘に限れば、あの時点でさえ大人を圧倒することがあった。


「違う。キリマ」

 と、彼女は繰り返していた。

「勇者でしょ。私たち。だから、魔王を殺すのが仕事じゃないの?」

「勇者は辞めた」


 キリマはペットボトルの中身を、喉に注ぎ込んだ。

 ぬるい水の感触。少し苦い。

 そして、喉の奥に痛み――焼けた感触。《E3》が抜けきっていない。


「ごく普通の殺し屋をやることにしたんだよ」

 笑うふりをする。痛くて顔をしかめただけだ。

「それか、傭兵、便利屋、なんでもいい……とにかく、ぼくは勇者にうんざりした」

「なんで?」

 印堂は噛みつきそうな勢いで聞いてくる。

 さっきからキリマは気づいている。テーブルを挟んで向かい合う印堂との間に、張り詰めた緊張感が存在していることを。


「バカバカしくなったんだ。印堂、ぼくらが解散した日のことは覚えてるか?」

「……覚えてる。大きな……怪物。巨人たち……名前……、そう。《ネフィリム》が、みんなを殺した」

「すごいな」

 そう言ったのは、正直な気持ちだった。

「そこまで知ってるのか。じゃあ、あれを作ってた連中のことは? ……《半分のドラゴン》」


 キリマは両手を広げたが、印堂に驚いた様子はない。

 それどころか、軽くうなずいた。

「それも、知ってる」


「じゃあ、話はそういうことだ。ぼくはバカバカしくなったんだ。そもそもあのとき、ぼくらの部隊が、どうやって暮らしてたと思う?」

 これはむしろ、印堂雪音は知らないはずだった。

 案の定、彼女は黙って眉間に皺を寄せた。


「地方自治体からの報奨金だけじゃ、やっていけなかった。稼ぐ金のせいぜい半分くらいだ。だから――あとは《円卓》財団だよ」

《黒領地》での生活は過酷だった。

 一生を勇者の仕事で生きることはできない。ある程度の金を貯めて、残りの人生を過ごすだけのたくわえを作るには、それが必要だった。

《円卓》財団からの資金提供と、武装の供与。


「そして、《半分のドラゴン》って組織は、《円卓》財団によって運営されている。要するに、稚拙なマッチポンプだった」

 キリマは言ったが、印堂雪音はほとんど反応らしい反応を返さなかった。

 話が理解できないのかもしれない。あるいは理解しようとしているだろうか。以前からそういうところはあった。


(無理なら無理で仕方がない)

 思いながら、キリマは続けている。自分の中にある、行動の理由を語る機会は多くない。そのせいか、珍しく止まらなくなった。あるいは《E3》のせいか。


 印堂雪音に対しても、攻撃的な気分になっていた。


「あいつらの言う通り戦って、あいつらの言う通り死んだ。あの話はそういうことだった」

 キリマは印堂雪音の目を見た。

「どう思う?」

 わざわざ思い出すことはない。

 いまでもずっと、あのときに負った火傷が燃えている。燃え上がる巨人の体だ。おそらくそういうエーテル知覚を持った《ネフィリム》。

 自分がそれと酷似したエーテル知覚に変質したのは、まったく悪い冗談だ。


「ぼくはとてもやってられない――やってられなくなった。馬鹿じゃないからな。やつらと敵対する側につくことにした」

「……うん」

 印堂は少しぎこちなくうなずいた。

「私も、《円卓》財団は最悪だと思う」

「だろう」

「でも」

 印堂雪音は咎めるような目でキリマを見た。


「だからって、勇者を辞めてどうするの?」

「言ったじゃないか。《円卓》が嫌いなんだ」

「私の教官――いまの教官も同じことを言ってる。でも勇者を辞めてない」

「ヤバイな。そいつは頭がイカれてるんだろう。それとも、利用されてもいいと思ってる、すごい馬鹿だ」

「うん。それは、たぶんそう。たぶんそうだけど……」


 印堂雪音は言葉を選んだ。

 いままで、そんな彼女を見たことがなかった。ずいぶんと成長したらしい。

「……そうだけど、利用されてるとか、どうとか、関係ない。《円卓》は最悪でも……勇者の仕事は……」

 印堂雪音は眉間に皺を寄せ、何かを必死で言葉にしようとしているようだった。


「勇者の仕事は……、そんなにクソじゃない」

 言葉遣いは、成長というよりも悪くなった。そんな言葉を覚えるとは、よほど悪い相手に師事しているらしい。

「殺す相手は選ぶ。少なくとも、私……たちは、そう」


「ぼくだって選んでる。殺すのは、《半分のドラゴン》にかかわるクソだけだ。魔王、勇者、《円卓》」

「……私は、アキみたいに」

 急に、キリマの知らない名前が出てきた。

 話題が唐突すぎる。そこは変わっていないかもしれない。

「アキみたいに、アカデミーのことを楽園だって思ってない。あれは頭の髄まで花畑が咲いている。……でも、例えばトリスタン先生は先生で……魔王じゃないし……眷属でもない」


 はっきりとわかる。印堂雪音は、キリマを睨んでいる。

「そういう……最低の、ぎりぎりの一線を超えたくない。クズ以下のクソ野郎になると思う」

「それは、もしかすると、雪音」

 キリマは自分の神経が、戦うための準備をするのを感じた。

 まだ《E3》の効果は残っている。周囲のあちこちが燃えている。印堂雪音のいる場所も、炎が燃え盛っている。

 そこに意識を凝らしていく。


「ぼくを殺すつもりでいるのか?」

「なんか、どうでも良さそう。そういう態度」

 印堂雪音は、どこか痛みを覚えているようにつぶやいた。

「……いつからそうなったの?」


 キリマは答えることができなかった。

 わからないせいではなく、はっきりと覚えているからだ。巨人の怪物たちがやってきて、仲間たちが死に、自身は混乱の中で生き残った。

 いや、助けられた――といった方が近い。いまの彼の雇い主からだ。

 治療と、リハビリ。そして《半分のドラゴン》に関する事実の告知。

 魔王を殺す最初の仕事は簡単で、二度目、三度目と続いた。やがて《半分のドラゴン》に所属する勇者を殺したあとは、ただ、


「考えるのが面倒になった。悩むのも疲れてきた」

「キリマ。私は」

 印堂雪音が何か言いかける。手が動く。腰の剣帯に伸びる――キリマの意識が尖る――空間を跳躍するエーテル知覚。どのように戦うか、戦術を組み立てる。


(やるか)

 ひどく冷めた気持ちでそう思った。

 その瞬間に、印堂雪音の上着のポケットで、耳障りな電子音が鳴り響いた。やけに軽快で、場違いに不愉快な音楽。

 気勢を削がれ、キリマは手を止める。


「待って」

 印堂雪音は少し慌てた動作でスマートフォンを取り出す。

「教官? ……んん……ええと」

 眉間にますます皺が寄る。何度か間違えてタップし、画面を無意味にスワイプした後、ようやく通話を達成した。


「はい。教官、ちょっと待って。いま忙しい」

『忙しいとかじゃないんだよ。勘弁してくれ、俺はひどい目に遭ったんだぜ』

 意図せずとも、キリマにも向こうの声が聞こえてしまう。

 どうやらスピーカー状態で通話しているようだが、印堂雪音に言っても無駄だろう。いまの通話の受け方からして、まったく操作に慣れていないという様子だった。


「いいから。私はいま、キリマにお説教しているところ。あとでかけ直す」

『キリマ! 待て、昼間のやつじゃねえか! そこ動くな、っつーかいますぐ』

『ヤシロ様。今夜はもうやめておきましょう。働きすぎです』

 電話の向こうから、女の声が聞こえてきた。横から会話に入ってきたらしい。

 印堂が片眉を吊り上げるのがわかった。


『それより、もっと落ち着いた場所で飲み直しませんか? 私の知っているバーがこの近くにあります。紹介のない方は本来お断りですが、私がいれば――』

『オリエ、うるせーからちょっと黙れ! いいか? 俺は今日アカデミーに疑われたんだぞ! 未成年誘拐だ! 俺は速やかに今回の件を解決したいんだよ』

『今夜のお金はもちろん私がお支払いします』

『えっ』


 一瞬、動揺したような声。

 急激に印堂雪音が不機嫌になるのがわかった。

 昔から同じだ。眉間の皺が深くなり、殺意のようなものが漂い始める。ただし、今度はキリマに対してではない。


「……教官。いま、誰といるの?」

『誰だっていいだろ、クソ野郎の同類だよ。印堂、とにかくそこを動くな。……いまのはちょっとびっくりしたが、よく考えたらこいつに金を借りるなんて死ぬほど――』

『なにを他人行儀なことを、ヤシロ様。もちろん私の奢りです』

『えっ』


『お店が気に入らないようでしたら私の家はいかがですか? 買い直したので、ぜひヤシロ様にお目にかけたいと思っています』

『あっ、それは絶対やだ。っていうかよく考えたら奢りの方が面倒――』

『私もカードゲームを始めたのです。《七つのメダリオン》。そこで少し高価なカードを手に入れたのですが、『ガリーフォルの角笛』といいまして』

『えっ。ちょ、ちょっと待った、それって』


「切る」

『あ』

 通話先の誰かが何か言おうとしたにせよ、印堂雪音は決断した。

 即座に通話を切り、彼女はスマートフォンを放り投げるようにして床に落とした。ごとん、と転がる。


「いいのか?」

 キリマは尋ねる。床に落ちたスマートフォンが、再び着信音を鳴らしはじめた。

 印堂雪音はつまらなさそうにそれを見て、うなずく。

「うん。……やる気なくした」

 それから、その場に横になる。放り出していた寝袋を手に、それを素早く被る。

「キリマにお説教するのやめた。帰る気もなくした」


「おい」

「寝る」


 その言葉を最後に、印堂雪音は沈黙した。

 キリマは困惑し、くすぶる炎で焼けるまぶたを押さえる。

(……なんなんだ、こいつは)

 彼女と殺し合いにならなくて、安堵している自分もいる。それははっきりとわかる。だが、それ以上に一つだけ確実に言えることは――


「変わったな、印堂雪音」

 そりゃそうだろう、と、口に出して言ってから思う。

 あれから何年が経っているのか。いまだに炎の中にいる自分には、まるでよくわからない。

 このエーテル知覚を得た代償だった。

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