この少し賢い中学生は、テレビを見て、学校に通って、女の子に恋をします。私たちと変わらない人間でした。透明な点を除いては。
透明な君は時間の許す限り勉強したのでしょうか。冒頭の身の上話を聞いていたら、あっという間に引き込まれていました。話し方も丁寧で、凄く聞きやすい(読みやすい)です。
不覚にも、君の孤独については、もの悲しくなり一粒涙をこぼしました。
透明人間も、不透明人間も、姿形のない「心」については、等しく透明なはずですね。私たちはそれだけを頼りに生活を送っているんですね。そんなことを考えさせられました。
透明人間の心が読める作品なんて、 これ以上ないレアな体験はありません。
サクッと読める短中編。
透明人間から都合のいい部分を排したらどうなるか、というSF的実験に見せかけて、最終段で叙述トリックのように読者を物語の世界に放り入れ、私たちの想像力を刺激する。
小説を読むとき、私たちは常に「観察者」であり、その世界に干渉することはできない。残酷なプロットにダメージを受けることはあっても、その先の展開をどうこうすることはできない。その場で本を閉じるか、少しでも救いのある展開を祈りながら読み進めるだけだ。さながら本作における「ぼく」である。
本作を透明人間のSF考証だと考えて読み始めると少々馬鹿を見る。結構にご都合主義にできているからだ。そういう愛嬌に心の中でツッコミつつ終章まで読み進めると、理屈虫な「ぼく」の語る「仮説」が全章の意味と私たちの立ち位置を変える。
ヒロインを救ったのは、これが投稿サイトの連載小説であり、「ぼく」がはてブコメントに付した悲痛な願いが「届いた」からかもしれない。普通はNo Reaction。しかしある程度インタラクティブな場に物語が展開されつつある時、登場人物と読者の関係はどうなるだろうか。