入社したての新米営業、ひねくれアンドロイド娘に振り回されて困ってます〜ELISE-S7100〜

しろさば

ELISE-S7100

 ELISE-S7100型。

 自律思考搭載人型アンドロイド。

 おそらくは世界初の、「心をもった機械」。

 世の技術者が一度は見る夢、そのもの。



 ガラスで区切られたブースのむこうに、清楚な白いワンピースに身を包んだ少女が腰掛けている。熟れた桃のような、柔らかな産毛と淡いピンク色に染まった頬。艶々した栗色の髪。柔らかそうな唇。長い睫毛。

 それは人間そっくりに作られた人形——より正確に言えば、機械だった。

 今年——西暦2175年の春、株式会社『白樺電気』のロボット開発部門にて製造された人型アンドロイドの試作品。

 人類が人間そっくりの二足歩行ロボット、所謂アンドロイドを生み出してから歴史はまだ浅いが、技術の発達は急激なものだった。

 『不気味の谷』と呼ばれる、生身の人間と人工物の境界を、先人達は弛まぬ努力によって見事に乗り越えてみせた。

 今や「人間そっくりの」という謳い文句は、それだけでは企画会議を通らないくらいありふれたものになっている。

 そんな現状を踏まえても、入社一年目、営業部の新人である白井義春の目には、その少女型アンドロイド——開発コードELISE-S7100型は、人間そのもの、それもとびきりの美少女に映った。

「白井君、こっちよ」

 きぃ、と、開発室のスチール製のドアを開けて、中から明るいグレーのスーツを着た女性が顔を出した。ELISEと同じ、栗色の綺麗な長い髪が、さらりとひと房、胸元に落ちる。

「あ、はい」

 食い入るようにガラスにへばりついていた白井は、小走りに女性の後を追う。

 部屋の中には、ELISEしかいなかった。

 人気のない室内に、空調とワークステーションのファンの音だけが響いている。

「えぇと、ほかの研究員の方は…?」

「あー、うん、あの、今みんな出払ってるのよ。室長が学会で名古屋に行ってて」

「あ、そうなんですか」

「でも許可はちゃんととってあるから…」

 そう言って、女性——石河菜緒子はにっこりと微笑んだ。少しだけその微笑みが引きつっている気がするのは気のせいだろうか。

「怒られるのですよ、僕」

 困ったように笑いながら、白井は言った。

 石河は白井と同じ大学のOGで、当時属していた漫画研究会サークルによく入り浸っていた。今日は最新型のアンドロイドをこっそり見学させてもらえるという話で——石河へのほのかな憧れも手伝って——白井の胸は空気を入れたばかりのサッカーボールのように弾んでいた。

「大丈夫だってば。話は通してあるわ」

 石河は言いつつ、椅子に座ったまま目を閉じているELISEに近寄っていった。少女型アンドロイドの髪をかきわけ、うなじの端子に接続されたケーブルを引き抜く。

「動作テストは済ませてあるの。機体ハード的な不具合は今のところないわ」

「それでモニターを探していたんですよね。製品化に向けて……」

 はやる気持ちを声にのせて、白井は言った。ELISEは、今までのアンドロイドとは大きく異なる性能を備えている。それはアンドロイドにかかわる技術者の多くが夢見るものだ。

「えぇ、そうよ」

 なのになぜだろう。

 社運を賭けたプロジェクトに参加しているはずの石河は、誇らしげどころかやや表情が硬い。

「石河せんぱ——」

 気遣う声で呼びかけた瞬間、石河がくるりと振り返った。豊かな胸元から吊り下がった社員証のストラップが勢いよく揺れる。

「白井くん、ELISEが動いてるところ、見たくなぁい?」

 白井は目を輝かせた。

「えぇっ! 見たいみたーい!」

 うむうむ、と満足げに頷き、石河はELISEの傍らにかがみこんだ。

「じゃあ、取扱いを説明するわね」

「はい!」

「ここが電源スイッチ。皮膚シートの下にあるの。触ってみるとわかると思うけど…」

「あ、少し凹んでるんですね」

「そうそう。生体認証も兼ねてるから」

「じゃあ押しただけじゃ起動しないんですね」

 少し残念な気持ちを抱えながら、白井は何気なくELISEのうなじのスイッチを押した。

 きゅぅううううううん…と、小動物の鳴き声じみた起動音が響く。

「…………」

「…………」

「……あのぅ、せんぱい?」

「入社時に、静脈パターンと指紋データ、提出したでしょ?」

「しましたけど」

 石河がサムズアップする。

「登録しておいた☆」

「こ、個人情報——っ⁈」

「総務に知り合いがいるのよ。実証実験の一時利用許可ってことでねじ込んであるわ」

 ——じ、事前の確認とか、あったっけ……?

 湧き上がった疑問は、起動音が静まるにつれて期待に上書きされた。

 ELISEのまぶたがぴくり、と動く。

「動いた!」

 自然と声が弾んだ。わくわくと成り行きを見守る。

「それにしても、すっごい美少女ですよね……爪の先まで本物みたいだ」

 顔が整ったアンドロイドは今や当たり前の技術だが、爪などの細部はコストカットの憂き目に合いがちだ。

「室長のお父様が日本人形の職人さんでね、少し監修していただいたの」

「へぇ……伝統工芸と最新技術のコラボなんてアツいですねぇ」

 と、

「おい、うるさいぞ」

 心底不愉快そうな少女の声が響いた。

「は?」

 きょろきょろと周辺を見回す。

 石河を見、ELISEを見、石河を見、

「今何か言いました?」

「——白井くん、こっち、こっち」

 石河の人差し指がELISEを示す。

「うるさいと言ったんだ、その耳は飾りか、唐変木」

「え、ELISE?」

 勝気そうにつり上がった眉。あどけない眉間に刻まれたしわ。アクアマリンブルーの瞳が、不機嫌そうに白井を睨みつけている。

 直前の石河の言葉が頭に蘇る。

 ——機体ハード的な不具合は今のところないわ。

 じゃあ、性格ソフトの方は?

 白井は気が遠くなるのを感じた。



 ——無理無理無理無理っ!

 ——無理ですよ!

 半泣きで訴える白井に、石河は笑顔を崩さなかった。

 ——お願い、他に頼める人がいないのよ!

 ——白井君なら優しいし人当たりもいいしお人好しだし、この子も懐くと思うの。お願いっ! 埋め合わせは必ずするから! 

 憧れの先輩である石河にそこまで頼み込まれればNOとは言えない。結局白井はモニターを引き受けることになった。


 心をもったアンドロイド。

 しかし、その『心』が最大の問題だった。


 同日、二十一時。ELISEを連れて社員寮に帰った。社内機密であるので、姪っ子という説明で寮の管理人室を通過する。

 扉の電子キーが解除されると、ELISEは先に家の中に上がり込んだ。遠慮する様子は微塵もない。

「こらこら、靴は脱げって——だっ!」

 返事の代わりに、黒いエナメルの小さな靴が跳んできて、白井の額に当たった。

 おもちゃのようなその靴を揃えて置き、白井も部屋に入った。電気ケトルのスイッチを押し込み、沸騰するのを待つ間、職場の売店で調達してきたカップ麺の包装を剥がす。

 ふとELISEに目を向けると、少女型アンドロイドは窓の前で静止していた。

「そんなに珍しいか?」

 食い入るように外の景色に見入るELISEに、白井は尋ねる。

「外は、はじめてだからな」

「いくらでも見られるさ、これから」

 何気なくそう言った白井に、ELISEは「はっ」と皮肉げなため息をついた。

「おめでたい奴だな、お前は」

「どういうことだ?」

「説明してやる義理はない」

 どことなく投げやりな様子のELISEを、白井は不思議そうに見つめた。製品化されれば、広報で好きなだけ外を見て回れるだろうに。それとも、試作品の自分は流通に乗らないことを憂えているのだろうか。

 と、また、白井は別のことに気がついた。ELISEの視線が、いつの間にか白井の手元に注がれている。

「…………」

 白井の手元にあるもの。それはカップ麺にほかならない。湯を注いで三分経過し、あとは食べるだけ、という状態だ。

 つい、と白井は容器を横にスライドさせた。ELISEの視線も一緒にスライドする。

「なんだ、カップ麺なんかに興味あるのか?」

「ば、馬鹿を言うな!」

 かぁ、と頬を赤くして、ELISEは慌てて目をそらした。

「お前たちの食事など、わたしには関係のないものだ」

 ほんと人間くさいな…と苦笑しつつ、白井は未開封のカップ麺をELISEに渡してやった。

「市場調査ってやつ? 人間ぼくらのことを知るのも大事なことだろ」

「…………」

 好奇心に負けたのか、ELISEは小さな手でカップ麺を持ち上げた。ひっくり返したり光にすかしたり、食べ方の説明文や成分表示を読んだりして、いじり回している。

 ——なんだ、かわいいじゃん、こいつ。

 石河に呼び出されてから不安しか無かったが、なんだかうまくやれそうな気がしてきた。


 そのようにして、ELISEと白井の共同生活が始まった。

 朝は——べちべちと顔を叩く乱暴なやり方だったが——ELISEが起こしてくれ、朝食を食べる余裕ができた。

 寝に帰るだけだった寮の自室は誰かが待っていてくれる部屋になり、早く帰ろうと思えば仕事にもがぜん身が入る。

 こんな市場もあるんだな、と白井は能天気に考えていた。

 モニター期間である一週間は、あっという間に過ぎた。

 白井がELISEを連れて、石河のいる研究室を訪れると、中から話し声が聞こえてきた。

「取り込み中かな……?」

 出直すか、と思いつつ、中の会話に耳を傾ける。

 ひとりは男で、ひとりは女だった。女の方は石河だ。

「……すから、せめてプロ…いぷだけでも……」

「言っただろう、倫理委員会からの通達だ」

 次いで聞こえてきた男の声に、白井は目を見開いた。

「ELISEプロジェクトは凍結。試作機は廃棄処分。上からの指示は以上だ」

 

 ——プロジェクトは凍結——

 ——試作機は廃棄処分——

 

「なんですかそれ!」

 気がつくと、研究室の扉を開けていた。

 室内は静まり返った。

 中にいたのは石河と、冷たい目をした男が一人。

 名前は知っている。静岡誠太郎。ELISEプロジェクトの最高責任者であり、アンドロイド開発室の室長だ。

「お前が白井か。石河が迷惑をかけた。試作機を置いて自分の部署に戻っていいぞ」

「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか? プロジェクト凍結とか、ELISEが廃棄処分って…」

 はぁ、と、静岡は心底面倒臭そうにため息をついた。胸ポケットから旧式の煙草の箱を取り出し、一本くわえた。完全禁煙の昨今では珍しい、加熱式ではなくライターで火を付けるタイプのものだ。

 ——社内禁煙じゃ……

 突っ込みたい気持ちをぐっと飲み込む。今はもっと重要な事がある。

「聞いたままだ。他に何が聞きたい?」

 煙草に火をつけ、静岡は白井を見た。

「どうして……そんなことに」

「『心』は『商品』にならない」

 通達文書だろうか、デスクの上に置かれたコピー用紙を静岡は指で弾いた。

「なっ…」

「『自律判断に基づく感情反応』の商用提供は、社会受容性と責任主体の観点で不適切——だそうだ」

 何もかもを諦めたような投げやりな様子は、初めて会った時のELISEに似ていた。

 ——そうだ、ELISE、……は!

 白井は振り返った。研究室の入口に所帯なさげに立ったエリーゼは、白井を見つめて、

 生意気で、意地っ張りで、素直じゃない。そんなところがたまらなく人間くさい、少女型アンドロイド。この一週間、一度も笑顔を見せてはくれなかった彼女は「ほらな」と、諦めたように笑っていた。

 静岡が続ける。

「人格の構築に不確定要素が多すぎる。人間が欲しいのは『心』じゃない。それがあるように振る舞う、自分たちに忠実で面倒のない道具だ」

 生みの親から発せられる平坦な声が、エリーゼに聞こえるように、響く。

「初めから誰も望んじゃいなかった。『心』をもったアンドロイドなんて——」

「やめ……っ」

 声を荒げる白井を嘲笑うかのように、静岡は口を開いた。


「……価値が、ない」


 たっ、と、背後で誰かが走り去る音がした。

 白井は何か言い返さねばと、数秒静岡を睨み、睨み…、結局何も言わずに、去りゆく足音を追いかけた。

「おーおー、若いねぇ……」

 冷やかすように笑う静岡の指から煙草を取り上げ、石河は「もうっ!」と声を上げた。

「拗ねて若い子に当たるのやめてくださいよ」

「拗ねてねーよ」

「拗ねてるでしょ」

「……ねーって」

「手塩にかけて作った機体むすめが上から不良品扱いされたから傷ついたんでしょう? 素直に落ち込めばいいじゃないですか。タチの悪い」

「お前だって余計なことしただろう。検体登録して廃棄処分の一時凍結とか……自己満足なんだよ、そんなのは」

「室長ってそういうところ潔癖ですよね。子どもみたい」

「研究者なんて人種はみんなガキみたいなもんだろ」

「風評被害です。訂正してください」

「へーへー。そいつはどうもスミマセンデシタ」

 二本目の煙草を取り出す静岡を睨みつけ、石河はため息を吐いた。

 


「エリーゼ!」

 白井はエリーゼの足音を追って、非常階段を登っていた。日頃の運動不足が祟って息の上がった此方とは対照的に、疲れ知らずのアンドロイドはさっさと先に行ってしまう。

「エリーゼ‼︎」

 追いかける速度が足りないのならと、その分声を張った。

「聞いてくれ。ぼく……、いや、俺は、きみの——心を持ったアンドロイドの話を聞いたとき、本当に嬉しかったんだ……」

 足音が速度若干緩やかになる。息継ぎを挟んで、再び口を開く。

「知ってるかな? 昔、未来から来たロボットが、人間と心を通わせるっていう漫画があって……。俺、転勤族で友達いなかったから、ああ、こんなふうに友達になってくれるロボットがいたらいいなって、そう思ってた」

 今となっては、人に話すのも恥ずかしい、けれど今でも捨てられずにしまってある夢だった。

「君の話を聞いたとき、夢がかなったって、そう思った。俺は石河先輩みたいに優秀じゃないし、静岡さんみたいな天才でもないから、研究職は諦めたけど……そんなこと吹っ飛ぶくらい、嬉しかった」

 階段を登る音はしない。あの子は、話を聞いてくれているだろうか。

 内心思う。

 アンドロイドにとっては、人の役に立つかどうか、商品価値があるかどうか、きっとそれが全てだ。だからこそ、静岡の言葉にELISEは傷ついた。こんなのは白井の一方的で個人的な感情に過ぎない。

 けれどエリーゼが、彼の小さな同居人が、こんな形で居なくなってしまうのは、あまりにも悲しい。

 言葉が足りない、と感じる。国語は昔から苦手だ。

 あの子のほしい言葉は、こうじゃないのに。

「だから、なんていうか…」

 かん、と、足音がした。

 ああ、届かなかったと白井は泣きそうになった。何もできない。何も伝わらない。

「……ごめん、うまく言えない」

 ばさりと、布が風に煽られる音がした。

 顔を上げる。

 激しいビル風に、長い髪とワンピースの裾をなびかせて、エリーゼが立っていた。

「シライ、お前……馬鹿だなぁ」

「大きなお世話だ」

「廃棄されるのは私なのに。仕方のない奴だ」

 悲しげに笑うその顔を見ていたら、鼻の奥がつんとした。

「エリーゼ、諦めないでくれよ」

「…………」

「きみみたいなアンドロイドが評価される日は、きっと来る」

「来ないよ」

「来るさ」

 白井はエリーゼに向かって手を差し伸べた。

「俺が証明する。必ずきみが、心を持ったアンドロイドが、必要とされる場を作ってみせる」

 その勢いに気圧されるように、エリーゼはおずおずと手を伸ばした。手のひらに収まる小さな手を、白井はしっかりと握りしめる。

「一緒に帰ろう、エリーゼ」

 安堵したように笑う白井の無防備な顔にエリーゼは数秒固まり、そして我にかえって赤面した。

 ふん、といつものように尊大なため息を付いて、

「お、お前がそこまで言うなら……一緒に居てやらないこともなくは、ない……」

 と、回りくどい了承の意を囁いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

入社したての新米営業、ひねくれアンドロイド娘に振り回されて困ってます〜ELISE-S7100〜 しろさば @srsB_sahara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画