概要
小説は割符のようなもの。作者が書けるのは、できて半分。
割符のもう半分は、読者が持ってる。
司馬遼太郎の随筆集『以下、無用のことながら』に、『私事のみを』という、私にとってとても印象深い一本があります。
そこに書かれていたのが、「作家は割符を書く」ということ。
そして、「小説は、いわば作り手と読み手が割符を出しあったときのみ成立する」ということ。
ただ、その割符が一致することは難しく、だから作家は常に不安でいるのだという。
さらに、「ひろい世間だから、自分とおなじ周波数をもった人が二、三千人はいるだろう」とも書いてありました。
私が小説で情景を書くときにアテにしているのがこの考え方です。
すこし気が楽になるし、肩の力を良い感じに抜くことができて、実際にそうだとも思う。
もしかしたら、この考えに共感してくれるひとが、カクヨムの中に
司馬遼太郎の随筆集『以下、無用のことながら』に、『私事のみを』という、私にとってとても印象深い一本があります。
そこに書かれていたのが、「作家は割符を書く」ということ。
そして、「小説は、いわば作り手と読み手が割符を出しあったときのみ成立する」ということ。
ただ、その割符が一致することは難しく、だから作家は常に不安でいるのだという。
さらに、「ひろい世間だから、自分とおなじ周波数をもった人が二、三千人はいるだろう」とも書いてありました。
私が小説で情景を書くときにアテにしているのがこの考え方です。
すこし気が楽になるし、肩の力を良い感じに抜くことができて、実際にそうだとも思う。
もしかしたら、この考えに共感してくれるひとが、カクヨムの中に
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