流水

@kenbrijji

流水

「ーーーそういえば最近、毎日つまんなくて…」


南武運はこぶは閑散とした侘しいバーのカウンター席で一人ジントニックをちびちびと飲みながら、ずらりとカウンターにならんだワイン瓶の向こうでスツールに腰かけてるマスターに近況の不満を晒していた。


聞いている方は何も言わずただただ頷くばかりだったが、その寡黙さのおかげで彼はストレスなく吐き出せたのだ。


「三か月前に所謂授かり婚をして、昔のことを懐かしんでは寂しくなるんです」


バーテンダーはちらと向かいの壁に掛けられた時計を確認しながら、粛々と頷く。


運は区切りにカクテルを飲んで続けた。


「妻が懐妊する前までは度胸試しに色々やってたんです。とはいってもバンジーのようなものではなくって、真夜中の学校に忍び込むとか、一段飛ばして後ろ歩きで降りるとか、罪悪感かスリルを感じれるものです」


もう残り僅かになっている液を硝子越しに覗きながらあれは楽しかった…と言って続ける。


「しかし命が腹の中に入ってから沙紀は変わりました、あ、妻の名前沙紀って言うんですけど」


酔いが回ってきたのかまずいことを滑らしてしまったと、気恥ずかしくなってるのを直向きに押し隠しながら話を紡いでいった。


「もう彼女と共に冒険できないのかと思うと、独りぼっちなのかなみたいな思いが込み上げてきて、…時々、陰鬱になっちゃうんです」


運の話に、マスターはただ頷くだけだった。


その反応に、またも人がどんどん遠ざかっていくような虚しさを感じてしまい、


「……勝手な感情ですけどね」


と話を切り上げて、金を置き、逃げるように店を出ていった。


外に出ればいまだに盛ってる居酒屋の光のおかげで夜の闇も薄暗い程度に緩和されている。


できるだけ早めに帰宅しようと近道の路地裏を見通した時、奥にキャッチのような人影が佇んでいたが、良くあることだと運は気にかけないで行った。


都会にはよくドブネズミやらが路地裏に潜んでいるらしいが彼の住む町は都会とも田舎ともいえない、中途半端なところだったのでときたま見るのは誰かの吐瀉物とかだった。


そんなどうでもいい路地裏を抜けようとしたとき、先ほどの人影にぼんやりと光が当たって、その姿に思わず彼は足を止めて見入ってしまった。


華奢な男が水の入ったビニール袋を汚いもののように摘まんで、偶に通行人がやってきては何かを訴いかけて避けられていたのだ。


そいつがなにを言ってるのかが彼はとても気になって、ゴミ集積場の裏で耳を澄ますことにした。


面白い事が起こりそうだとすぐ探偵ごっこをしたくなるー彼の悪癖だ。


またバーで冷めきってしまったほとぼりの具合を戻すためにも彼は躍起になって観察、盗聴した。


それかもしかしたら、その時孤独感で病んでいた彼自身と投影していたのも動機なのかもしれない。


そして残念ながら彼の期待とは裏腹に通行人は全く通ってくれず、仮に通ったとしてもそいつの声が良くわからずに終わってしまうばかりであった。


こうして目ぼしい収穫がないので次第に浪費した時間が精神を逸はやらせ始め、ついにこの路地裏を抜けようと決心した。


彼はあたかも今すぐ帰りたいですみたいな顔をしながら男を横切った時、そいつが正面に回り込んで、拒否したらば号泣しそうなほどの震えた声でこう懇願したのだ。


「貰ってください!」


あまりにも勢いのある衝動が彼の理性を貫き、口は判断もせず先走っていた。


「いいですよ」


「!」


男は浄土を見たような安堵に溢れた笑みを零し、彼に深々と頭を下げてありがとうと言った。


摘まんでいた水袋を運の掌に乗っけ、そいつなりの礼のつもりか運の手で水袋を蔽うようにか細い両手で握手をして、


「さようなら」


と立ち去った。


ちなみに彼は受け取り、案外軽いことに少々驚いていた。


それもそのはずで、だいたいスーパーのレジ袋くらいのもの満帆に水がはいっていて、重量2kgはあるかという見てくれをしていたのだ。


しかしこの奇妙さにも彼は一興と袋を固く握りしめ、明るい路地からぼうっと帰っていった。




「ただいま」


ノブをひねって既に就寝している妻に告げてから、運は水袋を箪笥にしまっとこうと寝室に入った。するとそのとき、千鳥足だったせいで躓いてしまいその拍子で水袋を床に叩きつけてしまった。


血の気が引くとはまさにこのことだろう、折角この退屈な日常を忘れてしまえれそうなものが割れてしまったら大変だ。漏れてないかとても丁寧に慎重に彼は検視し、問題なかったため箪笥の一番下の段にそっと入れた。そして酒臭さを洗い落とそうとすぐさま風呂場にいった。


どうも興奮しているためか誰かの目線まで彼の背中に刺さってる錯覚すら覚えて、久しくなかった恐怖を堪能していた。


大抵の場合霊障に対する恐怖とは行き過ぎた虚妄が人の理性を崩壊させて陥ってしまう穿孔だと彼は理解していたが、しかしアルコールと袋に入った液体が可笑しさを助長させていたのだろう。よく声が反響する浴室で、運は笑う音叉のようになって床をのたうち回った。


既に、洗脳されていたのかもしれない。




何事もないように太陽が昇って目覚ましが鳴る、そして水袋を箪笥から引き出し、それをうっとりと眺める。そして、彼は今日の朝行って明日の夜帰る、二日間の出張があるので一応写真を撮って家を出た。




いつも妻は運が出てから目覚める、パートタイムだから朝は余裕があるためだ。夫が隠し事をしていることなど知りもせず、昨日彼が洗濯機に突っ込んだ衣類を取り出そうと身体を持ち上げて洗面所へ向かったとき、足裏に奇妙な感触があって咄嗟に足をひっこめた。


「え、なに…?」


フローリングにシミはないのにぬめっているような触感があり、背筋に冷たい風が透けていく。彼女は自分を安心させるためにも壁面にもたれかかり、脛を持って足裏を確認した。


「…?」


彼女の足裏には埃含めて何一つついていない、むしろツヤツヤと鳴りそうなほど綺麗だった。不可思議に思ってもう一度その位置を凝視しながら踏んでみたが、感触は無くなっていた。


勘違いだったかと納得して彼女はそのまま三度目の眠りについた。




「ただいまー」


既に就寝している妻に挨拶してから運は水袋を箪笥から引き出し、一日ぶりにそれを眺める。


「?」


杞憂かもしれないが水嵩が減っている…ような疑いを彼は持った。


すぐさまスマホを取り出して元の量を確認する。


間違いない、確実に減っている。


妻に見つかったのではないか、しかし確認したら存在をばらしてしまう、彼女が犯人でなかった時の損害が大きい。


等々の考慮をして彼は自然発生的な要因を探ることにしたが中々ピンとくるものがなかったので止めにした。


ならなぜ減ってる感じがしたのだろう。


そんな消化しきれないフラストレーションを抱えながら、渋々彼は洗面所へ向かった。


木のフローリングがギイギイと音を立てて、静寂の空間に低く響く。


洗面所の電気を点け、露わになった光景が、彼を呆然と立ち尽くさせた。


「は?」


運が眺める様見たのは、洗濯機からつらつらと伸びたどす黒い塊だった。


水気があり、下利便を彷彿とさせる形態をしていた。


なぜこんなものが?


誰が?


最中ふと真っ黒なそれが運のTシャツを蔽いかぶさってるのが判ったとき、彼の思考機能を停止させてた混乱が瞬時に妻への怒りに変性した。


そうして彼は、怒気の籠った足取りで寝室で眠ってる彼女を起こしに向かった。土下座させるつもりで。


「なあ、沙紀、沙紀」


運は横向けに寝る彼女の肩を掴んで揺すりながら何度も声を呼ぶんだも、彼女は喃語に似た笑いを返すだけで一向に目が開かないことに不覚にも苛立ちを覚えた。仕方ないと腹を括って、腹式呼吸で名前を叫ぶ手に出た。


「沙紀!!」


「ンん…?なにぃ?」


漸く起きたと息をついてちょっとこっち来い、と彼女を事件現場まで誘導させる。


「これどういう事だよ」


彼女はその凄惨な状況に息をのんで、額に手を当てた。


「え…?しまってない、なんでなんでなんで、だから、変な感触あって…」


すると焦点が定まらないまま、自分に言い聞かせるように何かをぼやき続けるようになってしまった。


このまま有耶無耶になってしまうことを彼は恐れ、独白の途中で尋ねた。


「…沙紀がやったんじゃねえのかよ」


「ごめん、ごめん、何もわかんなくて」


そういって彼女は何かを確認するために寝室へ戻った。


気になって何をしているのか見に行くと、ベットの上で正座をしながら、真っ暗闇なのに液晶を凝視しているようだった。


「どうしたんだよ」


寝室前の壁に寄りかかって聴く態勢を整える。彼女は消える様にぽつりと放った。


「…ずっと寝てた」


「寝てた?」


「なんで…?」


その声は路地裏で水袋を手渡した女を想起させるほどに、悲愴的に震えていた。


彼女の肩が激しく上下しているのに気づいた彼は、咄嗟に電気を点けた。


蒼白な背中に手を伸ばし、震える体をなだめるようにさすりながら、彼女が凝視するスマホの画面を覗き込む。


そしてなるべく温和に問いかけた。


「…見てるのパートの人らのコーリング?」


「そう、行ってなくて…」


「うぅん…」


そうして彼が一瞥した連絡は、以下の様になっていた。


----------------------------------------------


(愛羅)「どこいますか?」


   (不在着信)


   (不在着信)


   (不在着信)


----------------------------------------------


「…」


どこにいますか、運はその言葉になんともいえぬスリルを感じた。


面白そうな予感があれば探求したくなるという悪癖による、事情聴取が行われた。


「ずっと寝てたって言ってたじゃん、あれって昨日もぶっ通しだったって事?」


「昨日は起きてた、と思う」


「一日どんな感じだったの」


「………じゃあ、整理したいから全部話すね」


「うん」


「運が出社してから起きて、パート行って。…なんか信号待ってるとき、横に20あるかなくらいの小人がいた気がする、気がするだけだよ。」


「見間違いかもしんないしね」


「うん、でパートで野菜を棚卸しして、あ、変な感触って野菜にあったのか…あ、ごめん」


「ん」


沙紀は独り言を挿入させたことを詫びて内容を続けた。


「野菜が変な感触でさ、ツルツルで」


「へー」


「で箱に詰めて、でバス乗って帰った」


「え、帰りバスなんだね」


「…あぁー…」


沙紀は変に納得したように吐息を漏らし、枕側で捲れてるシーツを眺めながら呟いた。


「だった気がする」


運は優しさからどことなくごまかされたのは受け流して、今日の話に切り替える。


「…あ、今日は?」


「今日はずっと寝てた」


「あー…ずっと寝てたって今日の話だったのねwえー」


沙紀はこくんと頷いて、それから二人の間に湿っぽい沈黙が流れた。運は彼女が傷ついてるのを危惧し、これ以降の言及はせず、すぐパジャマに着替えて彼女の後に次ぎ眠りに落ちた。




静寂な暗闇の中、布の擦れる音とバネが軋む音が鳴って、次はギシギシと立ちだした。


ガラガラと何かが開かれ、乾いた薄膜が擦れ合い、水が揺れた。


乾いた摩擦音は束の間大きくなって、鎮まったら次は水の音が大きくなった。


そして闇の中、それは嚥下された。




何事もないように太陽が昇って目覚ましが鳴る。


頭から湯気を立たせた運がそいつを止めてスーツを着た。


「はぁ」


運は昨日より洗濯機から伸びている黒い塊の処理方法について苦悩していた。


野放図に晒してしまうと羽虫が集ってきそうな悪臭も放ってきているのだ。


流石に業者を呼ぼうかと箪笥の一番上に入ってた家計簿を見ながら躊躇っていた。


確かに呼べるけどめんどくさいだとかもし妻が万一三段目の箪笥を開いてしまったら(そう憂慮するならハナから彼が水袋を持ち歩けばいいだけなのだが)など頼まない為のケチをつけていると


「家計簿見てどうしたの」


と沙紀がとろんと聞いたので


「昨日の黒い塊あるでしょ、あれ業者に掃除してもらおうかって」


というと


「あぁ…なら私が掃除するよ」


などと言った。


「…マジで?」


「うん、パート出るまで時間あるし」


沙紀のその嫌がる素振りすら見せない屈強さに、運は内心痺れた。


「今日グミでも買ってくるよ」


「はは、ありがとね」


「いやいや、じゃあいってきます」




彼が家を出て行ってから、沙紀は三段目の箪笥をガラガラと引き開けた。


そして袋・があるのを確認して、静かに閉めた。


「はあ」


沙紀はトイレからトイレットペーパーを持ち出して、その黒い塊の対処を行うことにした。


昨日の黒塊は溶け始めており体積が増えているのが、彼女のやる気を削いでいく。


すぐに終わらそうとトイレットペーパーでゲルを蔽って、トントンと押し紙に吸い込ませて、液状化してるところを早急に纏め上げた。


そして黒い汁を吸い上げた部分をトイレに流して処分する。


次は固体だ。


手をトイレットペーパーで装甲してそのまま掴んでトイレとを行き来して、ものの十分くらいで処理を終えた。


慣れていたのかもしれない。


また不思議とシミはできていなかった。


そうして疲れた彼女はまた長い長い眠りに落ちた。




その時の夢は一昨日の出来事を再放送でもしたかのような内容だった。


しかし、小人はどこにも出てこなかった。


また不思議とシミはできていなかった。




「ただいま」


運は機嫌よさげに業務用グミを両手からぶら下げて、体当たりしながらドアを開いた。


玄関にその二つを置いて洗面所にて彼女の功績に頷き、風呂に入った。


歯を磨いてホクホクのまま布団に潜り込むと、足に触れたシーツが濡れていた。


反射的に抜け出し、電灯をともして沙紀を蔽うタオルケットを引きはがした。


「!」


シーツにあったのは沙紀の股から溢れた赤黒い血だまりであった。


そのときあまつにも彼の心中は、彼女とまた冒険ができるといって慶福のラッパを吹かしていた。


病んでいた病巣が剥がれ寛解していく、彼は浮ついた気分を鎮めようと箪笥の三段目を引き開けた。


「?」


も、水袋はなかった。


まあ幸福をもたらしては去る座敷童のようなものだったのかもしれない、とポジティブに捉えて夢の中にいる彼女を揺すり起こした。


「沙紀、沙紀」


なるべくテンションを悟られないように。


「ん…?あぁ…」


沙紀は寝ぼけ眼で自分の股座を覗いて、すべてを悟り、眠そうに言った。


「今病院開いてる?」


彼女はまるで他人の虫歯でも見てるかのような冷静さであり、つい運の背筋に冷たいものを這わせた。


「え?あぁ、ちょ今調べるよ」


運は、彼女はこんな客観視する人間だっただろうか、夢の中じゃないんだぞ、などと不気味さに拍車をかける考察のせいで何を検索すべきか一瞬健忘した。


そして近くの産婦人科に予約を取って、着替えた沙紀を車に乗せて迅速にそこへ向かった。




五分ほどでたどり着き、運は沙紀の介錯でもしようかと彼女が出るのを待ったが、思ってたよりも普通に出て歩けていたので何もせず院内に入った。


壁面は全てクリーム色になっていて待合室のソファは青い毛がふわふわに立っている。


二人の良く見た光景だ。


支払いと予約確認を行ってすぐ子宮内の検査のため二人は診察室へと誘われた。


沙紀だけ診察室に入って、運は外で腹の子の安否について逡巡することにした。


沙紀が少しばかり待ちぼうけを食らってから、奥のカーテンから女医が姿を現した。


外陰部の出血の確認をして、内部も膣鏡ちっきょうを用いて視診し、そして子宮内のエコー検査をする前に運を呼んで、胎児の安否について皆で見守ることにした。


するとほぼ全体によくわからない影がかかっていて、彼女の腹に潜んでるのが胎児なのかどうなのか判別つかなくなっていた。


女医は物憂げな顔をしながら、残念ながら、お子さんはもう…といい診察室は通夜状態になった。


では取り除かせていただきますねと女医は腰を上げてカーテンの裏に行ってしまった。


暫くして今度は同意書を携えて戻って来、沙紀に受付にて承ってる等の説明をして、同意書の確認をよくしてくださいと言って二人を帰らした。


沙紀は不気味な程の適応力でなんの動揺もなく同意書にサラサラ読みサインを入れてすぐ受付の係り員に手渡した。


運は思ってた以上に皆呆気なく片付けられてしまって、どこか肩透かしを食らったのだった。




明くる日、運はついに沙紀は妊婦という枷が外れ、昔のようになるだと快活にステップを踏んでいた。


今日は有休をとって朝から胎児の摘出を行う手立てとなっている。


運は意気揚々と朝食を用意しにキッチンへと向かった。


「うぅ…」


しばし経って沙紀が目覚め悪そうに欠伸をしてリビングにやってきた。


運は背中から床の軋む音をキャッチして、朝の挨拶を向けた。


「おはよう」


「おはよ」


朝食が出来たので、丸裸の炬燵で正座しながら待っている沙紀に、バターを塗ったくったトーストを差し上げる。


「え」


その時、運は信じれないものを見た。


膨れていたのだ、腹が。


膨れるはずのない腹が。


尋常でないものを見ると興奮するのが運の悪癖だ。


沙紀が一度授かったときもそうだったように、運は彼女の臍に耳を押し当てて、子宮から響く鼓動を体感せしめんとした。


ただこの時ばかりは心躍ってたこととは別に、陰気がかった憶測が奔流していたのもある。


愛の誓いに反する不徳の所以なのではないかと、実際、懐妊してからというもの彼は一度も沙紀とは交わっていなかった。


不安の翳りも程々にして静かに運は尋ねた。


「沙紀ってこの腹の膨らみの、あれ、思い当たるなにかしてた?」


「まあ」


余りにもあっさりとした彼女の告白は、運の感情を一瞬停止させた。


「ぁは?」


「小人を踏んだから」


運の因果律ではつながり得ない二点が間見てしまったことで、更なる歪みが思考の穿孔を生じさせた。


そう、それは他の何でもない。


彼が定義する、理性も何もかも吸い込む恐怖の穴だ。


運は耳をばっと引き剝がして彼女から退き、パーソナルスペースを十分に確保した。


精神を取り戻しながら運は聞く。


「小人ってなに」


「小人です」


沙紀は人差し指を立てて顎に置きながらそう言った。


「…小人を踏んだって、じゃあ自分で自分を踏んだって事なのか?」


「上」


「上…?」


彼女の不気味な言動相まって、運なのに恐る恐る天井を見上げた。


そこにはただ、シミがあった。


真下に丁度沙紀がくる位置から一本の線のように伸びており、次は壁に伝って来ている。


恐くないからね。


運はその床に向かって伸びていく神々しい動線を惚けてなぞりながら、真上を見上げる沙紀に


「あぁ、小人」


自らを指さしてそういった。


「うん、小人」


沙紀は股を開きながらそう答えた、またその視線の先は、依然としてさっきの一点に集まっている。


「へえ、じゃあお願い」


運は彼女の臀部に手を添える。


「うん」


先ほどの一線のシミは瞼のようにじっくりと開いて、二人を照明する神聖なる光をまばゆかせた。




まだかすかに熱いトーストと水袋だけがぽつんとリビングに置いてある。


また不思議とシミはできていなかった。

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