第2話
ドシャ、と死体が転がった。
手がかりを求め続けていた
ふと死体を探った手に触れる。
本当に小さな、小瓶だ。
液体が入っているが、中が何かは分からない。
「……。」
黄巌は目を細め、数秒後、ハッとして更に死体を探った。
そして目的のものを見つけた。
小さな筒の中に、針がまとめられている。
一本を引き抜いた。
針の背を見ると予想通り、中は空洞になっていた。
それを確認した瞬間、持っていた針を振り向きざまに投げつけた。
針が樹に突き立つ。
「それはそういう風に投げるんじゃないのよ。
でも樹に突き立ってる。
やっぱり貴方は力があるわ。
扱い慣れても無い武器を、一瞬でこれだけ投げてくる才もね」
黄巌は片膝をついたまま、闇の奥を見つめた。
閃光に照らされて、女であることを示す体の柔らかな曲線が浮かび上がる。
「
「君たちは涼州にもう立ち入るなと俺は言ったはずだ!
争いを持ち込むなと!」
「
立ち上がり、手にした小瓶を女に見せる。
「
何故魏軍の襲撃を装わせて涼州騎馬隊を奴らにけしかけた⁉
魏軍の
涼州の……、罪も無い人々を殺して、憎しみの火をこの地に撒き散らした!
何故そんな残虐なことが出来るんだ!
これが誇り高い【
君たちはどんなに苛烈な復讐を行っても、無関係の者を巻き込まないと言ってたはずだ!」
「烏桓六道はもう滅んだわ」
「なに……?」
女がやって来る。
全身黒衣を纏い、闇に紛れるが薄い灰色の瞳だけが輝いていた。
「だから掟に縛られることもない」
「近づくな……」
「君たちは、涼州と魏軍が今ぶつかる意味が分かってない。
三年前、君たちと会った時とは、三国の状況は全く変わってる!
曹魏は
それぞれの国境の緊張が高まってる!
涼州で魏軍が涼州騎馬隊とぶつかることで、蜀が涼州に派兵するかもしれないし、その派兵を受けて呉まで動くかもしれない!
戦になればまた大勢の人が死ぬ!」
黄巌は剣を握る手が震えた。
怒りにだ。
「
本当は復讐に生きるなんて嫌だって……あの言葉を信じていたのに」
「でも貴方は私と一緒に来てくれなかったわ」
「心は惹かれ合ったのに、結局一緒に来てくれなかった」
「……俺には……涼州を離れられない理由があった。
君たちと手を結ぶことも出来なかった。
涼州の人間達は君たちの【
そういう考えを、俺達はしない!
例え知らない土地の者達が訪れても、旅人は迎え入れる。
再び戻ってくれば家族のように、
誰も傷つけなければ、相手だって俺達を傷つけたりはしないんだ!」
黄巌は叫んだ。
「あなたの
冷たい声を女は響かせる。
「恨みを忘れたの?
【
貴方は馬超の許も去ったんでしょ?
貴方はただ意気地が無いだけよ
――復讐は、強い者がするの!
愛が強いから奪った者を憎むのよ‼
馬超を蜀に行かせたくらいで、その心を守ったつもり?
愛する故郷を仲間に追われて、
今も
いずれ蜀軍を率いて涼州を侵略しに来る!」
「黙れ‼」
女は身動きもしなかった。
「
あのひとは……」
北の、焼かれた村が脳裏に蘇った。
南の村落も。
小さい頃、馬に乗りながら一緒によく通った道。
どこの村に行っても温かく迎えて貰った。
『弟だ』
馬超は
正しくは、従弟だったのだが、
従弟だと言わずにはっきりと弟だと言った。
馬超の性格からして、別に大きな拘りがあったわけでは無いと思う。
兄弟に他人が見えるのに「いや俺達は従兄弟なんだ」などと言い換えるのが、きっと面倒臭かったに違いない。馬超はそういう人間だった。細かいことにはあまり拘らないのだ。 そしてそのことが自分の弱点であることも自覚していて、涼州連合の長になってからは細心を常に心がけていた。
黄巌は馬超が自分を「弟だ」と人に紹介すると、妙に嬉しかった。
へへっ、となんだか照れくさくなってニヤニヤしてると、何をニヤニヤしてるんだと呆れたように言って、彼は黄巌の頭を手の甲で軽く打って来る。
【
きっとあの人と兄弟のように力を合わせて、愛する故郷をずっと守って行けた。
あの村を見たら、馬超は必ず自分をまた責める。
今度は故郷を離れて、自分だけ戦火を逃れたことを責めるはずだ。
あの村を見たら、どんなに馬超はまた悲しむだろう。
(俺は、守ろうとしたのに……)
家族を守って戦い続けてくれた馬超の代わりに、残った大地で今度は自分が戦い、守りたかったのに。
「……君たちのせいだ」
一つ零れた涙を見送って、
「君たちのせいで大勢の人が死ぬ!
これから酷い運命に巻き込まれる!」
「巻き込むことに決めたの。」
静かな声が返った。
「全てを巻き込むことに決めたのよ。
私たち兄妹は【
長の一族を皆殺しにした。
長の一族を殺したら【
私も兄さんも引き戻された。
断っていたら殺されてたわ」
「答えになってない!」
馬超と離れたあと、一人で涼州を動き回っていた時に、彼らに会った。
彼らは復讐の最中で、襲撃の場に居合わせ、事情も知らず狙われた相手を守ろうとして、
【六道】の何人かを殺した。
涼州を守るために戦う代わりに、涼州で彼らを匿う。
復讐の任を下りた者には刺客が放たれる。彼らだけが知る秘伝を守るためだという。
しかし今や
その追撃を躱せば自由になれたから、
力を合わせて生きようと手を組んだ。
共にしばらく涼州で運び屋や護衛の任を引き受けたが、
ある時、魏へ行く仕事の依頼があり、黄巌は断った。
『俺は涼州からは出ない。魏の都に行く仕事はしない』
都に入る仕事じゃない。近くまで行くが、運び屋の仕事だと説得されついて行ったが、ある屋敷にものを運んでいると、騒ぎが起きた。
その屋敷の下働きの娘が突然死んだという。
復讐は禁じていたのにと兄妹を責めて、
事情を話さなかったので黄巌はそのまま涼州に戻った。
彼らとはそれから一度も会っていない。
『闇の道に戻りたいなら戻れ! 俺は君たちとは共に行かない!』
初めて【烏桓】以外の人で、信じられる人に会ったと
ただ一度、あの時は怒りで分からなかったが、
何故下働きの娘を兄妹が殺したのかと、冷静になると不思議に思って、時が経ってからもう一度その地を訪れたことがある。
何もするつもりは無い、誰の屋敷なのか知りたかっただけだ。
丁度商隊が寄っていたのでそれを尋ねた。
「涼州の者を殺す、答えになってない!」
後ろに倒れ込む。
ザー……、と滝のように雨の音だけがしていた。
女が傍らに立ち、ゆっくりと覆い被さるように覗き込んで来た、唇が触れ合った。
「……【北の悪魔】が」
触れ合ったまま聞こえた囁きに、黄巌は瞳を揺らす。
「【北の悪魔】がとうとうこの地にやって来たの。
あいつを殺して私たちも死ぬ。
もう生きないから、私たちは誰を巻き込んでもいい。
全てを巻き込んで、全ての国を巻き込んで……殺し合わせて!
殺し尽くしたら、」
自分の腰の短剣を引き抜いて、
彼は力のままに、貫いたその体を自分の上から弾き飛ばした。
一瞬宙に浮いた女の体が地の上に転がる。
仰向けになった女の瞳が、ゆっくりと立ち上がった黄巌を見上げた。
「……殺し尽くしたら、なんだ?」
刺された腹部の剣は、抜かなかった。
深い。
これは抜いた方が瞬く間の深手になる。
黄巌が女を刺したのは、
女の目の奥にあった憤怒の炎がもう止める術が無いほどに、彼女の中の情を、燃やし尽くしてしまっていることが分かったからだ。
救えない。そう思って刺した。
こちらを見上げる女の目からその闇の炎が消えている。
いつか同じように見た、穏やかな目に変わっていた。
その時黄巌は、女が、最後は自分に全てを終わらせて欲しくて、探して追って来たのだと気付いた。
「……悪しきものがなくなったら、何かが……」
「
女の口から血が零れる。
声は出ていなかったが唇の動きは、
「君はもう復讐なんてどうでも良かったんだろ!
「……」
「――――【北の悪魔】」
「
商隊に屋敷を尋ねると、
その時はそれを確かめただけだ。
庵で
郭奉孝と聞いた瞬間に、何かが分かったわけではない。
分かったのは【
烏桓はもう、ほとんど生き残りがいない。
まだ復讐の掟に縛られているのは【烏桓六道】しかなく、彼らしか使わない武器を見て、確信になった。
何故【烏桓六道】が涼州にいるのか、復讐の為に越境する彼らの特性を考えた時、今回の陣容に
この兄妹が狙った
【烏桓六道】の復讐は、掟では復讐相手の血の近親にも及ぶ。
だからあの屋敷の誰が標的なのは分からなかったが、今、分かった。
「彼は死病に掛かってたはずだ」
五年。
相手が五年の時も死病に苦しんでも、まだ許せない。
生きている限り。
涙の理由は、女への愛情では無かった。
黄巌の脳裏に浮かんだのは馬超のことだけで、
同じように何かを憎み尽くして、
こうやって泥の中で死んで行くのだけは耐えられなかった。
馬超に会わなければならない。
涼州の村が焼かれたことには、貴方は全く関わりのないことだと伝えなければ。
これ以上他人の人生の痛みを、背負わせてはいけない。
あの人に知らせなければいけない。
視線を戻すと女は目を閉じ、すでに死んでいた。
黄巌は自分の腹部に突き刺さった剣の柄に、手を置いた。
力を入れて抜こうとして、やめる。
そのままにし、何とか動かさないように気をつけながら、
突き立った刃はそのままにして、戻って来た馬の背に、乗った。
頼むぞ、
愛馬に小さく声を掛け、走り出した。
涼州が火の海になる。
もっと多くの戦火も撒かれる。
例えここで血が全て流れ出て死んでも、必ずそれだけは止めなければならない。
(痛いのは嫌いだ)
こんな闇の中、痛みを抱えながら、
たった一人で、駆け回るのも大嫌いだ。
それでも、
大嫌いなそのことを、
やらなければならないことが人にはある。
守るために、嫌でもやらなければならないことがあるのだ。
彼はそれを『兄』に教えられた。
【終】
花天月地【第70話 徒花】 七海ポルカ @reeeeeen13
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