昔から、周囲の人間と服とか色とかの趣味が合いませんでした。
自分が身につけたいものを手に取ると「こっちもいいよ」とか「雰囲気は違うけどこの色も素敵だね」とかではなく「その色は変だ」「なんでそんなものを選ぶ?」と選んだもの自体を「ダメだ」「変」みたいに【悪】のように言われることが多く、昔の私は控え目で内向的なヤマトナデシコでしたので、
いつも「うん……そうかも」で、
本当に自分の好きな色や形を脇に追いやって、誰かの好きを身に着けて来た。
重要なのが私自身はそういう内向的な時分から、ちゃんと好きだと思うものや、形や色が、あったのです。生来備わった好みや美しいと何かを思う感性がちゃんとあった。
それは自分があるということで、大切にして、日常的に楽しんでいいものなのに、本当に趣味が合わないでいっつも否定されてました。
食べるものとかも、まず一回「他にいいものいっぱいあるじゃない。なんでそんなものを? もう一回見直しなさい」と否定が入るのです。
私はある時から「なんでもいいよ」と言うようになりました。
揉めたくなかったので。それに自分の好きを言っても必ず否定されることが分かったから、【言うことの意味】自体を失った。
だから「なんでもいいよ」と言うようになったのです。
自分の好きなものを選ばせてもらえないなら、本当にあとは何でもよかったから。
そういうことを続けていたら、ある時
「お前は自分が全然無いな」
と言われるようになりました。
選んでも気に食わない。
選ばなくても気に食わない。
ああ、結局この人は私が何しても気に食わない、一つ貶してやらないと気が済まない人なんだと思って、諦めました。
最初から諦めた顔で着飾ったりしても、全然そら表情が輝かないのは道理です。
写真を撮っても「顔が暗い」「笑顔をもっと出せ」などと言われることが多く、私が写真嫌いになった理由の一つですですね。
大学に入った時、持ってた過去の自分の写真全部捨てました。
見るたびにそこに当時の自分の辛いとか、ここにいたくない、とか。辛さを押し殺してカメラを見つめる顔が全てに映っていて、見ていて辛かったからです。
そんな私が今や歯を見せて笑ってる写真を激写されているのですから、人間環境を変えると本当に劇的に変化出来るものですね😊
今回読んだのは髪結いの話でしたが、
一組の母娘が出て来ます。
お母さんの方は娘さんが良い縁に恵まれて欲しいので、多少【完璧な装いにさせたい】と気合いが入り過ぎていて、年若い娘さんもやはり特別な場ともなると「これは普通のお出かけと違うから、お母様に任せた方がいい」ということで、言いなりになってしまっていたのです。
多少このお母さんは普段からそういう気の強い「あんたはこれが似合うよ」みたいに言って来る所は持っていたのでしょうが、娘さんはお母さんとは趣味の違う、藍色が好きで、こっそり見えない所に藍色の紐を使っていたのですね。
これも外した方がいいかなあと娘さんが不安になったら、
お母さんは「お前が好きな色なんだろう。人の目に入る所は、若い娘は明るい色を身に着けていた方が得をすることがある。でも目に入らない所まで私や他人が口を出すことは無い」というようなことを言って、この藍色の紐を没収しないでくれたのです。
まあ私の個人的な経験からなのでしょうが、
「見えない所まで他人に媚びないでいい」
と言ってくれたこちらのお母さんは、言う時は言ってきますが、娘の大好きなものまで何もかも奪おうとはしていない人なんだなあっていうことが分かって、主題はどっちかというと髪結いの人の話ではあるんですが、客として訪れたこの母娘のやりとり、お母さんが藍色の紐を「そんなもん外せ」と言わなかったシーンが一番胸に来ました。
私が思うに、ライトノベル界隈の昨今【今までにない奇抜で斬新な設定を】が求められています。それは会社やコンテスト主催がそういうことを言って来るのだから、それに参加しようとする人たちがこぞってそういう風にしてきてしまうのは、色んな人の責任があると思います。
ただ、
あまりに浮世離れした設定やキャラの言動を書いても、
【感情移入】
というものを読み手が出来なくなる恐れがあります。
読み手の感情移入は、物語に没頭するための大切なキーワード。
これを失うと話に入っていけなくなることが多いです。
斬新や奇抜な設定を考えるなと言うつもりはありませんが、例えそういう設定を使っても、エピソードなどで「この時、藍色の紐をそのままにしていいよって言われた娘さんは多分嬉しくて、表情が明るくなって、一層娘さんらしく生き生きとした表情や心持ちになれたんだろうな」と
【分かる】
と読み手に思わせる部分を必ず作ったり、残したりしておくことは大切であり、絶対忘れてはいけないのではないかなと思いました。
そういうことが描かれていて、
そういうことが書かれているのが、この作品、丁寧なつくりなのです。
ただ出来た主人公がぶっきらぼうにお悩み解決!! じゃなくて、他の人間から自主的に湧き出して来るものや色もちゃんと生かして来る描き方、上手いなぁと思いますね。
【山龍遼士郎】さんの
【江戸日本橋薬種屋〈桔梗屋〉の診立て≪第一部≫】
最初よりも中盤あたりから、こうした主人公だけじゃなく、出て来る人たちも豊かに喋り始めたような印象を私は受けたのですが、前に返信で「無敵の主人公がなんでも上から言って解決するだけじゃワンパターンのような気がするので、変えたいと思って変化させています」というような、意識的に描き方に工夫が出て来たらしいことに気づきました。
正直言うと、序盤は私もそんなにピンと来ませんでした。
主人公の声だけがただ強く、揺るぎなく、響いているだけの気がしたので。
でも回をこなすうちに主人公以外の人たちの声がちゃんと聞こえて来るようになったのです。
それは作者さんが「そうした方がいい」と気づいてそういう描き方になって来たものだったらしいので、非常に素晴らしいなと思いました。
現時点でもとても上手いのに、ちゃんと自分の話を読み返して、常により良くして行こうと試みている姿勢が、すごく好感が持てる。
意図的に書き方変えて来てたんだ……!✨と分かった時、フォローしましたね。
こういう、【自分の作品の足りない部分や、工夫したらもっと良くなる点を自分で見つけられる】作者は、これからも絶対いいものを生み出して来てくれるであろうという期待が持てるからです。
シリーズは10月4日に完結するのだとか。(第一部、って書いてあるから続きがあるのかもしれない)。
時期的にも読んでない方、秋の夜長のシルバーウィークにじっくり読み進めて、完結を待つのに丁度いい感じします。
オススメです。
言葉とかも昔の江戸なので、現代人が普段目にしないような言葉も出て来ますが、私が前に言ったように【調子に乗って難字すぎる書き方をするひと】とは全く違い、読めるような読めないような、そのラインに上手い具合に乗って来る塩梅で、読み手の「読み」や「音感」を妨げない具合で使っているのも非常に好感が持てます。
読めないまで突き抜けないんですよ。
読めないとか分からない言葉も出て来ますが、前後の流れで「このことかな?😊」と連想込みで読むことが出来るので、読ませ方すっごい上手いです✨
ラストシーン。
綺麗に髪を結ってもらった娘が母親と帰って行くのですが、
普通の作家はありのまま「髪結いを終えた母娘は晴れた空の下、去って行った」とでも書くでしょう。
山龍さんはここで
【母御は娘を急かさず、歩調を合わせていた】
という表現を使って来ました。
自分の作品の、登場人物に入り切って書くというのはこういうことで、
この一文があるかないかで、最後の印象が私は全然変わったと思うのです。
こういう一文が、その作者の【考え方の個性】だと私は思います。
この方多分男性だと思いますが、非常に繊細な部分まで最後母娘の姿に気遣いを持たせたのが見事な手腕ですね。素晴らしい。👏
いやでも分かるよ。私も女だけど、役に入り込めば、こいつ女なのに男の心理描写リアルだなみたいなの多分書ける。
没頭すればね。実力ある作者は入り込んで、自分自身とは遠い立場の人の、どんな人だって想像力を駆使して描き出せるのです。
最近読み手の感情移入を度外視した作品が多すぎるんだよな……。
お前のその話どこの層のどういう人種に読まれたいと思って書いたものなんだよ……っていうのが全然分かんない話が多いんですわ。
奇しくも今日更新した【水鏡荘】でそういう【質量】の話書いてましたね。偶然だけど。作者自身を象ってる質量あるものがあるはずなんですよ。
親に苦労して来た人だとか。
兄弟に苦労して来た人だとか。
先生に苦労して来た人だとか。
ヴァイオリンに人生を捧げて来た人だとか。
俺の青春サッカーにしか捧げてない人だとか。
そういうのがその人を構成する、大きな質量になっているはず。
それが喜びになっていて、
それが苦しみにもなっている。
だからこそそういう質量あるテーマで挑んだ方が質量ある作品になるのです。
まずは、アマチュアは自分の中の質量あるテーマを選んだ方がいいですよ。
上手くなれば何でも書けるようになりますが。
自分の人生において何が一番質量あるテーマなのか。
兄弟で苦しんだり楽しかったりした人は、やはり兄弟の話を書くと、質量出ますよ。
そういうのもっと考えた方がいい。