今回の2026北中米ワールドカップの公式ソングの一つに
【DNA】
という曲があります。
私公式テーマソングとかあんま興味ない方なんですが、
この曲の歌詞の一部に
【This is more than just a game,it's our DNA】
(これはただのゲームじゃない、僕達のDNAなんだ)
【Tonight,we live our destiny】
(今夜、僕達は運命を生きる)
【I know everything is meant to be】
(全てはなるべくしてなると分かっている)
という言葉が出て来ます。
これは大きな大会に挑むアスリートの心境を、非常に的確に表現している美しい言葉だと思っています。
なんで戦うの? ってもうDNAとしか言いようがないのです。
戦士のDNAを彼らは持っているのです。
戦って勝つことを求める遺伝子を。
勝ちたいから自分を鍛える。いい選手になる。
普段からその為の努力をするのも、戦って勝ちたいからなのです。
立派な人間になりたいからではない。
最大限の努力をした人間だけは、
あとは運命を生きるだけなのです。
でも運命に委ねて、丸投げにしているわけではなく、
【ここまでやったんだ。全てはなるべくして成るはず】
と、それだけが彼らの拠り所なんですよ。
それでも成らない時はあって、そういう時は「今がその時ではなかった」と受け止め、再び勝つために自分を磨く。
その繰り返しがアスリートの人生なのです。
引退するまで。
私は小説家とか創作者も同じだと思っていて、
どんな話を描けるかはある意味DNAレベルの感性から来ると思っています。
卑怯や怠けや悪意を肯定する作者は、そういう作品を書きます。
人間の美しさや、強さ、誠実さを素晴らしいと思えるか思えないかは、ある意味DNAなんですよ。
私も暗い話を書く人や、バッドエンドに惹かれたり、グロいのが好きな人がいることは知っていますが、
そういうものに惹かれてしまうなら、もう何を言っても仕方ないと思う。
やめろといっても無意味だと思うのです。
優しさや正義が妙に嫌いな人も世にはいます。
私も家族団欒とか押し付けられると反吐が出る時があるので、優しさや温かいものにどうしても馴染めない人の気持ちも分かります。
だからといって、悪意や邪心に惹かれたりはしません。
他人を痛めつけたりするのは、間違いなく恥ずべき行為です。
悪を憎む心はある。
優しさや正義が苦手でも。
スポーツの素晴らしく、美しい側面を愛し、大切に思えるかは、
もはやDNAです。
スポーツが汚れても平気な顔が出来るのも。
自分はどういう人間なのか。
それをちゃんと把握することがとても重要で、
スポーツが汚れても平気なDNAを持つ人は、やはりスポーツに触れるべきではないのです。選手を平気で罵ったり、選手を侮辱したり、金でスポーツを好きに出来ると思っているような人間は。
スポーツの美しさや素晴らしさを愛して信じている人たちは、
やはりスポーツのそういう美点が脅かされそうになった時は必ず声を上げて守らなければならないと思う。
スポーツを汚すこともなんとも思わない人間がスポーツに触れたり介入すると、必ず今回のようなことが起きます。
創作者も似てるんだよなぁ。
芸術に生成AIを関わらせることを嫌と思えるかどうかはもう、生まれ持ったDNAなのです。
なんで使わないのってそんなもん
「嫌だから!!!!!!!!」
しか理由がない。
嫌だと思えないDNAを持った人とは、違う種なんですね。私は。
お前も嫌だと思えとか、使うなとか、他人に言う気はしないけど、
DNAレベルで嫌悪を感じるのです。芸術家として。
自分の力と、自分のアイディアだけで、作品を作り上げたい。
大変だとか手間がかかるとかそんなことは問題じゃない。
そういう風に創作と向き合って戦うDNAを私たちは持っているのです。
AIに一切頼らずに書くDNAを。
AIに依存してでも平気で書けるDNAを持った人も存在する。
違う種なのです。
何を卑怯だと思うのか、
何を嫌悪して、
何を悪と思うのか。
こういうものは理性的に選べるように見えることもありますが、
押し付けられた時に初めて、
DNAが拒絶するような感覚を感じるのですよね。
代表なんかに選ばれるような才あるアスリートは、
確かに多分、プロになりたいとか願望だけでそこに立ってない。
自分はサッカー選手になるために生まれて来たんだ!! くらいに思ってそこにいるんだと思う。
私も「私はAIなんぞ使わずに作品を書くために今まで生きて来たんだ!!!」って強く感じます。
だからこそ、変なものが介入して、純粋な領域で戦えない状況に陥ったアスリートを見ると、ものすごく辛く可哀想だと思うのでしょう。
卑怯なものや、
弱い立場のものを虐げるものや、
権力を振りかざして横暴に振る舞う者に対する嫌悪は
もうDNAだとしか確かに言えん😇
なので私の作品にはそういうDNAがこれからも色濃く表れるでしょう。
自分の作品を描くことは、ある意味、自分の身体に流れるDNAと向き合うことになるのかもしれません。