第2話『魍魎の匣』

 結局、すべて杞憂きゆうに終わった。


『姑獲鳥の夏』発刊から4ヵ月後の1995年1月某日、第二作の『魍魎の匣』が上梓された。まず、その分厚さに驚かされた。新書版・二段組みで約700ページという分厚さは、新人作家の新刊としては前代未聞である。弁当箱かレンガのような分厚さとファンから言われたし、この形容詞は今も京極作品につきまとっている。


 デビュー作から短期間で新刊が上梓されたのは、京極夏彦の執筆スピードの速さがあってこそ、である。今では笑い話であるが、規格外の執筆量から、京極夏彦複数説という噂があったほどだ。その後も、立て続けに分厚い新刊が出て、ファンを喜ばせた。


 さて、第二作『魍魎の匣』は映画化、アニメ化、コミック化、さらに舞台化を果たしている。「百鬼夜行シリーズ」屈指の人気作であり、最高傑作と呼んでいいだろう。第49回 日本推理作家協会賞 長編部門にも輝いた。


『魍魎の匣』の「匣」とは、「箱」である。作中には、胸から上の娘の入った箱や、それを描いた作中作『匣の中の娘』、箱詰めになった遺体の一部、箱を崇める新興宗教、巨大な箱のように見える研究所、箱を抱えた幽霊、関口の夢に出てきた黒く大きな箱など、数多くの箱が登場する。


 第四の主人公、木場修太郎も自分自身を「中身の入っていない菓子の箱のようなもの」と考えているし、その四角い顔も箱のようである。さらに、分厚い新書版の形状を箱に見立てた評論家もいた。


 まさに、箱づくしである。


 作中作『匣の中の娘』を書いた久保竣公は箱マニアだったが、もしかしたら京極夏彦自身もそうなのかもしれない。他の作品でも数多くの箱を登場させているし、『姑獲鳥の夏』の持ち込み先を検討していた時、京極の手元にあって参考にしたのは、講談社ノベルス版の『匣の中の失楽』(竹本健治著)だった。


 かつて、「題名はプロットである」と京極は言った。「『魍魎の匣』は匣という事件であり、その事件に魍魎という妖怪を湧かせる、といった話なので、題名はこれ以外には考えられない」


 これはNHKトーク番組『ソリトン』でオンエアされた、京極自身のコメントからの引用である。いわゆる「百鬼夜行シリーズ」のタイトルは、妖怪の名前とキーワードの組み合わせになっている。「姑獲鳥」の「夏」であり、第三作は「狂骨」の「夢」、第四作は「鉄鼠」の「檻」と続いていく。


 さて、『魍魎の匣』には、二人の女子高生、映画女優というキャラクターが登場する。さらに、時折り挿入される幻想的なホラー小説、バラバラ殺人や新興宗教、謎めいた研究所がからむ、という贅沢な道具立てが『魍魎の匣』の特徴である。これはメディアミックスの多さと無関係ではないだろう。


 もし、長編ミステリーを読み進めるうちに、不気味なホラー小説、女子高生転落事故、バラバラ殺人、新興宗教、謎の研究所といった具合に、次から次へ魅力的なモチーフが登場した場合、あなたはどのようなストーリー展開を予測するだろうか。


 おそらく、すべてのモチーフが複雑にからみあい、衝撃の結末が待っている、という風に考えるはずだ。僕だって、そう予想する。それが普通の長編ミステリーである。


 しかし、京極夏彦は中盤で、中禅寺秋彦にこんなセリフを吐かせるのだ。

「関口君、たぶん君の思い描いているような連続した展開は今回の事件にはないんだ。一見関連しているかに見える幾つかの事象は全く関連していない。そこに目が行っている限り事件の整合性は見出せない。余計なことは考えず、それぞれの事件だけを追いかけることだ。(後略)」


 読者にしてみれば、せっかく二階に上がったのに、いきなり梯子はしごを外されてしまった気分だろう。しかも、このセリフさえ実は信用できない。なぜなら、この後、さらにストーリーが二転三転するからである。


 このように、京極夏彦は予想を裏切り、読者を翻弄する。単なるミスリードという範疇はんちゅうにはおさまらない。まさに、神か悪魔か妖怪の所業である。京極夏彦の掌の上で転がされることに快感を覚えたら、あなたも立派な京極中毒だ。すでに、〈ごくちゅう〉のとりことなりはてている。


 ただ、安心してほしい。凡百なミステリーのように、尻切れトンボに終わることは絶対にない。京極作品において、読者の期待が裏切られることは皆無だ。立て続けにやってくるクライマックスは、まさに圧巻の一言である。


 どのような結末が待っているかは、あなた自身の眼で確かめてもらいたい。


 ちなみに、『魍魎の匣』の結末は、3つのバージョンあったらしい。この長大な物語には、どのような結びがふさわしいのか、実験的に文字の並べ方やセリフの順番、語彙ごいを変えたりして試行錯誤を重ねたという。


 京極夏彦は結局、最も読後感のよいバージョンを選択した。現在入手可能な『魍魎の匣』はすべて、このバージョンになっている。天邪鬼である僕は、最も後味の悪いバージョンも読んでみたい気がするが、残念ながら、それは叶わぬ願いである。その最悪バージョンは、京極夏彦自身の手で、フロッピーディスクから消されてしまったからだ。

(蛇足だが、フロッピーディスクとは昔の記録媒体を指し、今でいえばUSBメモリーにあたる)


 だが、魅力ある京極作品はそれこそ山ほどあり、これからも上梓されていくはずだ。


 あなたが京極作品を未読であるなら、どの作品であってもいいから、気軽に手を伸ばしてもらいたい。もし波長が合えば〈ごくちゅう〉に憑りつかれるだろうが、それは決して不幸なことではない。


 きっと、エンタテインメントにのめりこむ快感を教えてくれることだろう。



                 了


 

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京極夏彦中毒の本質は妖怪のせいである 坂本 光陽 @GLSFLS23

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