京極夏彦中毒の本質は妖怪のせいである

坂本 光陽

第1話『姑獲鳥の夏』


 あれからもう30年も経ってしまったのか。


 1994年9月某日、京極夏彦のデビュー作を僕が手にしたのは、ひどく暑い日だったと記憶している。題名は『姑獲鳥うぶめの夏』、新書版の講談社ノベルスである。国道沿いの大型書店で平積みにされているのを見かけて、思わず衝動買いをした。


鳥山石燕とりやませきえん 画図百鬼夜行』の姑獲鳥をモチーフにした表紙に一目惚れをして、この小説は面白いにちがいない、と直感したのだ。


 期待は裏切られなかった。同じレーベルの新本格ミステリーとちがって、妖怪とミステリーの組み合わせは新鮮だったし、昭和27年という時代設定も目新しくて絶妙である。そして、何よりも主要登場人物の三人が魅力的だった。


 古書店の主人であり、神主、陰陽師でもある男、中禅寺秋彦。少々偏屈で、すこぶる弁がたつ。さらに、ミステリーの謎解きに該当する〈憑物落とし〉の使い手。


 薔薇十字探偵社の探偵にして、元子爵の息子、榎木津礼二郎。口が悪く、人の名前が覚えられない。そして、他人の記憶を視る異能をもつ。


 切れ者二人のいじられ役にして、ナイーブな心根をもつ小説家、関口巽。鬱病を患ったことがあり、対人恐怖症気味である。さらに物忘れがひどい。


 とにかく、この三人はコミック並みにキャラが立っている。ただ、話し合っているだけで、とにかく面白い。ファンの間で「トリオ漫才」と呼ばれるほどだ。


 これで売れないはずがない。新たな切り口のエンタテインメントの誕生だと思った。


 案の定、『姑獲鳥の夏』はロングセラーになった。「百鬼夜行シリーズ」の第一作として今でも読み継がれており、京極夏彦デビュー25周年を記念して、限定特装版が受注生産されたほどだ。(限定特装版の定価は10万円。本革金箔貼り、著者直筆サイン入りである)


 京極作品の特徴の一つは、心地よい語り口調である。僕自身、『姑獲鳥の夏』を買った日の夜、少しだけ読んでみるつもりが、続きが気になって途中で止められなくなってしまった。結局、夜を徹して、最後まで読んでしまった。


 リーダビリティに富んだ文体であることは間違いない。ある種の中毒性をもっている、という言い方もできる。読みだしたら最後まで読まずにはいられない。途中でやめると苦痛をおぼえることを僕は身をもって経験した。


 同じような現象が京極ファンの間で蔓延しているとしたら、それは間違いなく妖怪の仕業だろう。妖怪とは正体不明の生き物ではなく、理解不能な現象のメタファーである。


 わかりやすく言えば、夜道を歩いていると何故か一歩も前に進めなくなることがあり、その不可解な現象を説明するために、道に立ちはだかる「ぬりかべ」という妖怪が生まれた、という風になる。こうした定義づけも、僕は京極夏彦のコメントから学んだ。


 もしかしたら、活字離れが進んでいる日本に、「最後まで読むのを止めさせない」妖怪はこっそり生き延びているのかもしれない。


 仮に、この妖怪を「ごくちゅう」と名付けてみよう。「ごくちゅう」とは「獄中」ではなく、「きょうごくちゅうどく(京極中毒)」を短縮したものである。もし、京極作品が手元になければ落ち着かないような症状に襲われたら、「ごくちゅう」の存在を疑った方がいい。


 京極作品の特徴として、もう一つ、ページ・レイアウトの美しさが挙げられる。もし、手元に京極作品の文庫本があれば、どこでも好きなところで開いてみるといい。各ページの最後の行が句点(。)で終わっているはずだ。


 行替え、字詰め、段組みなど、見開きの状態で推敲を重ね、京極作品は極限まで研ぎ澄まされている。文字が整然とバランスよく並んでおり、過不足なくまとめあげられたレイアウトは、やはり美しいと思う。


 実は、ノベルス版、文庫版、ハードカバー版と、同じ作品が版を変えるたび、京極夏彦はそれぞれにふさわしいレイアウトになるように調整を行っている。ストーリーの内容は変わらなくとも、行間を開けたり、語尾、漢字表記が微妙に変わったりしているのだ。


 このレイアウト調整は、他の作家に影響を与えながら少しずつ進化してきた。こういう書き方は今では珍しくなくなったが、京極夏彦以前にはなかった。このこだわりは、彼がデザイナーだったことと無関係ではない。デビュー作から、こういう書き方しかできなかったという。


『姑獲鳥の夏』は仕事の合間を使って書かれた作品だった。デビューのきっかけは新人賞などではなく、出版社への持ち込みである。四半世紀前でも、こういうケースは極めてまれだった。京極自身、ダメ元で出版社に持ち込んだと述べている。


 京極夏彦が原稿を送り付けたのは、講談社文芸第三編集部だった。数日後には編集者から「本にします」という電話があり、とんとん拍子に『姑獲鳥の夏』は上梓されることになる。これをきっかけにして、エンタテインメント作家の登竜門、メフィスト賞がつくられたことは、有名な話である。


 もし、原稿を送ったのが講談社文芸第三編集部でなかったら、日本で一番尖った賞であるメフィスト賞はなかったかもしれない。メフィスト賞受賞でデビューを果たした、森博嗣、西尾維新、舞城王太郎、新堂冬樹、辻村深月たちの作品を読めるだけでも、僕たちは京極夏彦に感謝すべきだろう。


 このように、京極夏彦がエポックメーキングな作家であることは確かだ。


 ただ、1994年の時点では、まだ新人作家にすぎなかった。ミステリーファンの端くれだった僕は、京極夏彦がデビュー作一本で終わる可能性を危惧していた。創作意欲が赴くまま自由に書いた第一作と、出版社から発注を受けて執筆する第二作には、根本的な違いがあるからだ。


 編集サイドから制約をかけられたり原稿を急かされたりして、創作意欲をそがれないだろうか。読者の期待に応えようとして、袋小路に迷い込んだりプレッシャーに押しつぶされたりしないだろうか。僕はそのような心配をしていた。


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