最終話 思い出
笑いあう蓮と京平。そんな二人を見守る、初穂と葵。
そしてそれを少し遠くから、亜弥羽と舟木が見ていた。
亜弥羽が言った。
「龍に気に入られて連れていかれる、というのは無事に回避できたようだね」
「とはいえ。結果論ですが、別の解釈も考えられますけどね」
「っていうと?」
舟木は、ビニール傘の雨粒を振り払いながら言った。
「舞を踊ったものは、意図的に村から追い出された、という可能性です」
亜弥羽は目を丸くする。
「それは……いわゆる村八分、というか」
舟木は静かに頷いた。
「祭事で龍を鎮めたともなると、その舞を踊った娘にはある程度の発言力や人望が集まる。これは、村を統治する側の人間にとってかなり面白くないものだと思います。今後もしも何かまた天災が起きた時、人々が『統治する人間』ではなく、『見事に龍を鎮めた娘』を支持する可能性は大いにある。現代でも、アイドルってそういうものでしょう? イナという存在も、そうですし」
「……」
「だが、英雄である娘を殺してしまえば後始末が面倒。そうなったとき、『お前は龍から気に入られてしまった。だから、村から逃げろ』というのは、その知名度を得てしまった娘を村から『秘密裏に追放する丁度良い隠れ蓑』だったのではないか、と考えられるわけです」
舟木は、茶髪からぽたりぽたりと落ちる雫を鬱陶しそうに浅黒い手で払った。
「そうして村には、平和と平穏、そして元の統治された生活が残る。……という別解釈も考えられる、という話ですよ」
亜弥羽は暫く、不思議なマジックを見せられた爬虫類のような目でキョトンとその話を咀嚼していたが。やがて、言った。
「解決の要因を、組織的な村八分と捉えるか、それとも『不思議なよもぎ餅のおかげ』と捉えるか、かぁ」
そう言って、肩を竦めた。ちらり、と舟木が亜弥羽を見る。
「どちらがお好みですか?」
「ウチは」
亜弥羽は言った。
「よもぎ餅かな。まだ平和でしょ、その方が」
***
日曜日の午後。
ユキが入院している市立病院の一室に、蓮、初穂、葵、そして京平の姿があった。ここまで彼らをレンタカーに乗せてきた亜弥羽も一緒である。
ユキは微笑んだ。
「とにかく御礼を言わせてほしい。みんな、ありがとう。……最後の大事な決着を見届けられなくて、すまなかったね」
「全然、そんなことないです」
蓮はふるふると首を振った。そんな蓮に、ユキは目を向ける。
「身体に異常は?」
そう聞かれ、蓮は。
「……っはは」
思わず、下を向いて笑う。ユキが怪訝そうに首を傾げた。
「なに、どうしたんだ」
「あ、いいえ」
蓮は、初穂、葵、亜弥羽たちへと目を向ける。一方、目を向けられた初穂たちはそれぞれ、顔をそむけたり、苦笑したりしていた。
「その質問、みんなに会うたびに聞かれるから」
「えぇ?」
「しかも、なんか一人ずつに」
「ちょっとちょっと、オニーサンの方見ないで」
葵が顔を赤らめ、虫でも追い払うように手を払った。
「一人ずつに?」
「あ、はい。あの、皆さんそれぞれに、二人きりになったタイミングで『本当に水橋 蓮か?』って確認されてます」
「だって不安になるじゃないのよ」
そう言う亜弥羽に、ユキが意外そうな声をあげた。
「え、亜弥羽ちゃんも?」
「いや、だってほら。こういうの、皆の前ではなんてことなく振る舞いながら、実際は中身が入れ替わってるみたいなの、ホラー映画のオチとしてよくあるじゃないの」
亜弥羽の言葉に蓮は神妙に頷いて見せた。
「今日、レンタカーに一番乗りで乗った時に亜弥羽さんに言われました。『本当の事を言ってごらん、水橋なのか』って」
「もー心配してたんだって」
「はは、ありがとうございます」
笑いながら答える蓮を見て、ユキはふふんと笑ってから言った。
「へぇー。じゃあ、アタシが『去年の文化祭の打ち上げで言った、思い出のエモい挨拶』も、勿論本人だから言えるわけだ?」
「ああ、それですか」
また一段と笑う蓮に、ユキは不思議そうな顔をした。
「なに、なんで笑うの」
くすくすと笑う蓮を、隣の初穂がムスッとした顔で見た。感情の見えない初穂には珍しく、本当に文字通り、ムスッとした顔だった。
「そのクイズ、もう窪に出されました」
***
そして週は明け、月曜日の放課後。
蓮は、京平と共に鳴衣主神社を訪れた。
青く晴れた空。天気予報は、「打って変わって暫くずっと晴れる」と言っていた。
境内の木陰に置かれたベンチに、二人は並んで座った。
蓮は暫し目を閉じ、境内の中に吹く風を感じた。鳴衣主神社はいつも身近な場所だったはずなのに、あの少女――イナの事は、忘れてしまっていた。
蓮は言った。
「なんで人間って忘れちゃうんだろうな。あんなに、忘れないって誓ったはずなのにさ」
「だって全部覚えていたら、生きていくのが大変だからじゃない?」
京平がのんびりと答えた。
「蓮ちゃんの中では、それは今は必要ない情報だったんだよ」
「……そっか」
蓮は鞄から、よもぎ餅を取り出した。先程、京平と共に久城庵を訪れ、買ってきたものだった。
「……あんなに美味しくって、絶対忘れないって思ったのになぁ」
蓮はプラスチックのパッケージを指で撫でた。
京平は言った。
「でも、『過去のどこかで、とっても美味しいよもぎ餅を食べた』って思い出はあったんでしょ?」
「え? うん」
「ならさ。もしまた忘れちゃっても、いつか食べた時に思い出せばいいじゃん」
にへ、と。柴犬のような垂れ目が、蓮に笑いかける。
「……それもそうだよな」
蓮は頷き、プラスチックのパックを止めるセロテープを剥がした。パックから取り出したよもぎ餅を、京平にも渡す。
蓮は、よもぎ餅に勢いよくかぶりついた。隣で京平も、意外に小さな一口でよもぎ餅を齧る。
「……美味いなぁ、やっぱり」
ごくり、と飲み込む。よもぎの香り、餡子の甘さ。通り過ぎていく風は、夏の湿気を孕んでいる。
蓮は空を見上げた。
雲一つない青空が、そこにあった。
<終>
龍を眠らせて - 吾垂高校写真部、走り回った七日間 - 二八 鯉市(にはち りいち) @mentanpin-ippatutsumo
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